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在特会と反ヘイト団体の路上パフォーマンスを見聞きすると、偉そうに振る舞いたがるスケベおっさんたちの都議会での野次がかわいく思えてくるから不思議だ。
運動の過激さ自体を非難する気はないが、人権主義の権化のような反ヘイト運動家のなかには左翼的価値観の持ち主が少なくないだろうから、信念をもって過激になるのは不思議ではない。そうじゃなきゃ、人殺しも辞さない革命運動に身を投じることはできない。
ロシアでは、小説・演劇・映画などでも、侮蔑や罵りの表現を使うと罰金を徴収する法律が施行される運びになっている。書いた人や言葉を発した人の他制作責任者も罰金の対象になるという。現在は、どの言葉がそれに該当するかをリストアップしている段階だそうだ。
転載する記事は、少し旬を過ぎて、2週間ほど前の『ニューズウィーク日本版』に掲載されていたものです。
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『ニューズウィーク日本版』2014−6・24
P.32〜35
「「反差別」という差別が暴走する
日本:在特会のヘイトスピーチを力で抑え込む反ヘイト団体
彼らが求める法規制は新たな憎悪を生む
在日韓国・朝鮮人が肩を寄せ合って暮らす日本各地のコリアンタウン。そこで白昼堂々、「朝鮮人を日本海にたたき込め」と叫んで練り歩く日本の排外主義団体「在特会(在日特権を許さない市民の会)」のデモとヘイトスピーチ(差別的表現)が社会問題になって久しい。
日本人一人一人の隠れた差別意識が、デモや横断幕という社会運動の形で表に出るようになったのが在特会デモの特徴だ。差別的な言動は「一部の極端な人々」にとどまらず、一般社会にまで拡大しつつある。Jリーグ浦和レッズの本拠地、埼玉スタジアムで掲げられた「JAPANESE ONLY」の横断幕、四国の仏教巡礼路に貼られた「大切な遍路道を朝鮮人から守りましょう」というビラ―。
日本人はあからさまな差別を傍観しているわけではない。その代表が、差別的な言動を糾弾する「反ヘイト」活動だ。差別は悪だから反差別は善。差別を糾弾する活動や団体は無条件に正義の姿を帯びるはず―だが、活動の現場を見れば単純な善悪二元論は揺らぎだす。
コリアンタウンでヘイトスピーチを連呼してきた在特会のデモが様変わりしたのは、昨年初めだった。在特会のデモや集会をつぶすために結成された「レイシストをしばき隊」などの反ヘイト団体が現れ、昨年3月末には在特会デモ参加者の倍以上となる500人を動員。6月末には2000人以上を集め東京都新宿区のコリアンタウン・新大久保に在特会デモが侵入するのを阻止した。
今やデモ現場の「主役」は在特会ではない。中指を突き立て、拡声器で歩道から「死ね」と聞くに堪えない罵声を浴びせる「しばき隊」や「男組」といった反ヘイト団体だ。
先月末、埼玉県川口市の駅前で在特会のデモに参加しようとした42歳の男性が、反ヘイト活動家の38歳の男性に顔を殴られ、右目周辺の骨を祈る事件があった(双方が暴行容疑で逮捕)。
今月初めには、在特会メンバーを「この世におれんようになるぞ」と脅した反ヘイト団体の元代表が大阪府警に逮捕された。
人数の多さでも激しさでも、今や現場の空気を支配しているのは反ヘイト団体だ。デモ終了後、少数派となった在特会は反ヘイト団体からの暴力を恐れて、警察の監視の下で帰路を急ぐ。反ヘイト団体はそのさまを「小学生の集団下校」と嘲り、なお挑み掛かろうとする。追いつ追われつの攻防戦の結果、在特会の勢いは既に失速。デモや集会は中止になり、告知すらままならないことも多い。
「これが果たして善か」
反ヘイト団体は「反差別」という絶対的な大義を盾に、相手の言動に少しでも差別的な響きがあれば容赦なく身元や過去を暴き、徹底的な批判を加え、社会的生命を抹殺しょうとする。時に暴力もいとわない。寛容さや理性を「日和見」と噛り、あえて憎悪の連銀を引き起こす。
「これが果たして善であり、正義だろうか」。黒人奴隷という負の歴史ゆえ、差別に敏感だったアメリカでは既にこうした問い掛けがなされている。差別する側と差別される側が逆転したような反差別の暴走は、「愚かな不寛容」とも批判される。
日本もかつてのアメリカと同じ道を歩み始めている、いや、むしろ日本のほうが深刻かもしれない。「しばき隊」を率いるのは、フリー編集者の野問易通だ。イラク戦争の際の反戦デモ、北京五輪のときのチベット人解放運動、福島原発事故後は反原発……と、この10年余りの問に次々と政治運動に参加。12年に首相官邸を20万人で包囲し、反原発活動家らと野田佳彦首相(当時)の面会を実現させた官邸前デモで、運動家としての頭角を現した。
ただ実際に野田との面会が実現すると、反原発運動はピークを過ぎたかのようにしぼんでいった。ちょうどその頃火が付いたのが、韓国の李明博大統領による竹島(韓国名・独島)上陸をきっかけにした在特会のヘイトスピーチだ。
12年未には、日本の政権が民主党から原発再稼働に意欲を見せる自民党の安倍晋三に代わった。「反原発運動もリセットしなければ」という焦燥感。さらに「ファシズム政権に対抗する街頭闘争が重要だ」という使命感に燃え、野間は反原発運動の仲間を中心に、組織を「しばき隊」に衣替えした。「反原発運動の基盤が反ヘイト活動に転用された」(在特会を調査する徳島大学の樋口直人准教授)のだ。
怒りのマーケティング
しかし、野間たちに唐突な方向転換を悪びれる風はない。それどころか、野問は反原発運動を通じて確立した「怒りのマーケティング」の手法を反ヘイト活動に活用していることを半ば得意げに語る。「『私たちは決して許しません』と呼び掛けるのではなく、『ふざけるな、ボケ』と叫んだほうが人は集まる」
参加者同士が「頑張ろう」と呼び掛け合う生半可なスタイルではなく、ただひたすら官邸に罵声を浴びせる。野間らの怒りのマーケティングは「炎上マーケティング」でもある。反原発活動では、当時の民主党政権閣僚の「遺影」を官邸前に掲げた。不謹慎とネットで炎上したが、その画像はツイッターなどで拡散。後に20万人を動員する官邸前抗議につながった。
反ヘイト活動でも、野間たちは怒りの感情を大いに利用した。しばき隊の支持者が歩道から中指を立てて拡声器で罵声を浴びせ、「実戦」を担う男組が刺青をちらつかせて在特会デモに肉薄し、にらんで怒鳴りつける。その暴力的な画像をネットで拡散して炎上させ、さらに動員をかけていく。
男組「副長」の石野雅之は、自分たちを汚れ役だと自任している。実際、去年から今年にかけて暴行や傷害の罪で「組長」らが検挙されている。
こうした暴力の嵐の中で在特会デモは衰退し、かつては数百人規模だったデモも今や固定メンバーしか集まらなくなった。中止になることもしばしばだ。
ヘイトスピーチ排除という初期目的をほぼ達成した今、反ヘイト団体は権力ヘの働き掛けを強めている。暴力的なイメージが広まったしばき隊は、公的機関やメディアの受けを良くするため、組織名を「C.R.A.C.(対レイシスト行動集団)」と改称。男親も傘下に「差別反対東京アクション」などの新団体を設立し、自治体や議会への働き掛けを続けている。
在特会を公共施設利用から締め出すことに加え、反ヘイト運動家の多くが目標として取り組んでいるのがヘイトスピーチの法規制だ。ただ彼らの要求は、憲法が保障する基本的人権を侵害する危険性をはらんでいる。
2000年間にわたるユダヤ人差別とナチスによる迫害の記憶が強いヨーロッパの多くの国では、ヘイトスピーチは法律で処罰の対象になっている。一方で建国以来、自由を国是とするアメリカや、戦前に激しい言論弾圧の歴史がある日本では「表現の自由」「集会・結社の自由」の保障が強く意識されてきた。
国会議員としてしばき隊や男親と連携し、ヘイトスピーチ規制の立法化を目指す有田芳生参議院議員(民主党)は、彼らを「ぎりぎりまでやってくれる」と称賛する。「既存の運動や政党は合法主義のあまり、闘わなくなった。きれい事と口先だけの人権派ばかりだ」
法をないがしろにすると受け止められかねない発言だ。「良識の府」である参議院の議員とは思えない言葉だが、それだけ有田は現在の左派の凋落が我慢ならないのだろうか(有田はかつて20年にわたり共産党員だった)。有田はしばき隊や男組を、30年代にファシスト台頭の阻止を目指したスペイン内戦の人民戦線外国人義勇軍にすらなぞらえる。
追い求め続ける「運動」
ただ、怒りを原動力に「正義」を押し通そうとする過激な活動に対して戸惑いと反発も生まれている。実際、反差別運動の参加者の中にも、差別デモに向かって「死ね」と叫ぶことへの違和感は存在する。左翼運動に詳しい金沢大学の仲正昌樹教授に言わせれば、その空虚さは「メディアと警察に守られながら過激さを競い合うコントそのもの」でしかない。
「差別する人を差別する」活動―。同性愛差別の不当性を訴えてきたアメリカ人ジャーナリスト、アンドルー・サリバンが批判する「愚かな不寛容」そのものだ。
反ヘイト活動を炎上マーケティング頼みと笑ってもいられない。ネットの匿名性と炎上に依存した反ヘイト活動には歯止めが存在しないからだ。
「ヘイトスピーチのターゲットは在日韓国・朝鮮人、戦時性暴力被害者、沖縄、婚外子、生活保護利用者、反原発を叫ぶ人々……」。反ヘイト団体「のりこえねっと」共同代表で在日韓国人3世の辛淑玉はまくし立てた。在特会との騒いを経て、反ヘイト団体の糾弾対象は慰安婦問題の検証作業、「ファシスト」と位置付ける安倍政権、そして表現の自由へと拡大している。
とりわけ辛は元慰安婦への「侮辱と憎悪」の封殺、さらにヘイトスピーチ規制の法制化を目指している。法規制に慎重な日本政府に対して、辛は「このままではヘイトクライムで大勢が殺されていく」と憤る。
野間によれば、彼らの活動に最終日標はない。現在の目標は「政権打倒にシフトしてかる」という。実際、安倍政権への抗議デモには「しばき隊」メンバーが集まり、今年48歳になる野間のツイッタ一には「安倍死ね」という言葉が飛び交う。
「死ね」という反抗期の子供のような言葉を使って相手を罵倒し、法規制なしには「大勢が殺されていく」と、一般市民の恐怖をあおる……そこに理性や知性はない。現在の反ヘイト団体は「運動のための運動」を追い求めているかのようでもある。
法規制なき日本は恥か
国際的な圧力を日本にかけるため、有田や辛の関係者らは8月にスイスのジュネーブを訪れる。人種差別撤廃条約の日本での実施状況が審査される国連で、審査委月らに日本がいかに「レイシスト」な国であるかを訴え、法規制の勧告を求める。
ただ日本の反ヘイト団体がヘイトスピーチの法規制へ突っ走る一方で、世界ではその見直しの動きが起きている。
カナダでは今月、70年代以降ヘイトスピーチ親制の根拠となってきた人権法13条が廃止される。英米法に詳しい静岡大学の小谷順子教授によれば、もともと過激な反黒人・反ユダヤ人団体を想定して制定された人権法を盾に、例えば職場での軽口まで人権委員会に訴えるケースが日立つようになったためだ。
00年代以降はイスラム団体による訴えが増え、ムスリム社会に対する一般的な批評や開祖ムハンマドの風刺画を載せたメディアまで「ヘイトスピーチ」として訴えられるようになった。やみくもな言論封じが顕著になったため、法規制廃止には目立った反対が起きていない。
オーストラリアでも先住民への福祉を特権と皮肉ったコラムニストと掲載紙が裁判で敗れたことをきっかけに、反人種差別法改正が審議されている。現行法では、「差別された」と集団が不快感を訴えるだけでヘイトスピーチと見なすことが可能だ。
オーストラリアの社会政策に詳しい名古屋大学の浅川晃広講師によれば、問題になった記事内容の賛否はともかく、「表現の自由」への萎縮効果を問題視する空気が社会に広がっているという。改正案では一般社会の目から見て名誉敦損や脅迫に当たる表現のみが対象になる。
「日本でもヘイトスピーチは名誉毀損や威力業務妨害などの現行法で取り締まれる。あえて法規制する必要があるのか」と、在日韓国人3世で今は日本国籍を取得した浅川は言う。「ばかげたヘイトスピーチは公開の場で批判すれば済むことだ」
日本の反ヘイト活動家の多くは「法規制のない日本は人権後進国」とあおるだけで、アメリカで起きている不寛容さへの反省や、海外の見直しの動きには目を向けない。まともな議論もないまま「正義」を振りかざして突き進めば、日本の法規制はカナダやオーストラリアのように、相手の言論を封じるただの武器になってしまう恐れがある。
「韓国人女性=腐れ売春婦」というプラカードを堂々と街顔で掲げる差別活動は到底、容認されるものではない。しかし差別的な言論を暴力や権力といった「力」で抑え込もうとするだけでは、憎しみが消えるどころか、新たな憎悪の連鎖を生むだけだ。
日本は独り善がりの「正義」と腕っ節ばかりが支配する息苦しい国になるのか。もどかしさを引き受けてでも、議論を重ねる国にとどまるのか。ヘイトスピーチをめぐる議論の行方は、日本の今後を占う1つの分水嶺なのかもしれない。
深田政彦(本誌記者)」
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