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田原総一朗:選挙が心配で集団的自衛権どころではない?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140702-00000000-fukkou-bus_all
nikkei BPnet 7月2日(水)8時1分配信
憲法解釈の変更により集団的自衛権を使えるようにするための閣議決定案について、自民、公明両党は7月1日午前の与党協議会で正式合意し、夕方に開かれた臨時閣議で閣議決定した。
■政府・与党の国民への説明は不十分だ
米国など日本と密接な関係にある国が攻撃されたとき、日本が攻撃されていなくても反撃する権利が集団的自衛権である。この行使容認をめぐる議論は国民に十分に説明されてきただろうか。
毎日新聞6月29日付の世論調査は、「集団的自衛権をめぐる問題について、政府・与党の国民への説明は十分だと思いますか、不十分だと思いますか」という質問と回答を掲載している。その結果は次の通りである。
十分だ 11%
不十分だ 81%
政府・与党の説明が「不十分」と感じている人は81%と圧倒的に多く、国民への説明はまったく不十分と言っていい。
公明党は集団的自衛権の行使容認については、これまで慎重な姿勢を示してきた。2013年の参院選では「集団的自衛権の行使に断固反対する」と言い、2014年3月に山口那津男代表は「政府が一晩で解釈を変えましたというのは、いかにも乱暴だ」と述べていた。
■自民党内からなぜ反発・反論が出ないのか
公明党の姿勢は慎重というよりはむしろ消極的だったと言ってもいい。その公明党を説得するため、自民党は与党協議の場で、現行法制では対応できない「15事例」を示した。しかし、多くの事例は「個別的自衛権や警察権で対応できるのではないか」といった反論が公明党からも出され、事例を出せば出すほど矛盾が生じた。
その矛盾の説明を自民党は党利党略でするものだから、よりわかりにくくなる。公明党も党利党略で協議に応じるものだから、よくわからない。与党協議のやり取りを見ていて、多くの国民がそう感じたのではないか。
私の不満は、集団的自衛権の行使容認の議論に対する反発や反論が、なぜ自民党内で起きなかったのかということである。本来なら、公明党が反論した程度のことは自民党内で行われてもよかったはずである。
自民党は右派だけでなくハト派も取り込んだ国民政党だと長いこと見なされてきた。かつて派閥が厳然として存在した時代には、派閥間で“政権交代”が行われ、左右のバランスをうまく取ってきた。
自民党には宏池会という派閥があった。創設者の池田勇人氏以来、大平正芳氏、鈴木善幸氏、宮沢喜一氏へと受け継がれ、4人の総理・総裁を輩出してきた名門派閥である。あるいは、現在の額賀派(額賀福志郎氏)につながる田中派、経世会があったが、こうした派閥はいずれもハト派である。
そのハト派の政治家たちが国の針路を左右する重要な局面では大きな力を発揮してきたのが自民党の歴史だ。
■かつて自衛隊の湾岸戦争への派遣に自民ハト派が猛反発
一例を挙げよう。1990年8月、イラクがクウェートに侵攻したため、国連は多国籍軍の派遣を決定して湾岸戦争が始まった。当時の日本は海部内閣で、小沢一郎幹事長は自衛隊を湾岸戦争に派遣すべきだと主張し、首相の海部俊樹氏もそれに同調した。
ところが、自民党の野中広務氏や梶山静六氏、古賀誠氏といったハト派が猛反発し、急きょ作成された「国連平和協力法案」は廃案になり、自衛隊を派遣することはしなかったのである。
自民党の歴代首相を見ると、最近では中曽根康弘氏、小泉純一郎氏、そして安倍晋三氏はタカ派と言えるだろう。たとえば、小泉さんが郵政民営化を進めようとした時、断固反対する人が自民党内にもいた。郵政民営化法案は参議院で否決されると、小泉さんは衆議院を解散し、その抵抗勢力と対決せざるを得なかった。
これはやや極端な例かもしれないが、このようにかつての自民党ではハト派とタカ派の間で議論が活発に行われ、これにより国民も議論の理解を深めることができたのである。
こうした自民党内の議論が今、なぜか行われなくなってしまった。
■「論争するゆとりなどない。選挙で必死」
先日、私は自民党の若手議員による勉強会に呼ばれ、かつての自民党では闊達な議論が行われていたことを話し、「なぜ集団的自衛権の問題では党内議論が行われないのか」「どうして党内でハト派の力が弱くなってしまったのか」と聞いてみた。
若手議員たちはこう答えた。「論争するゆとりなどない。選挙のことで必死だから」
地方選出の議員は以前、「金帰月来」と言われた。金曜日に地元へ帰って有権者との会合をこなし、月曜日に上京するという意味だ。ところが、今は少しでも時間があれば、そのすべてを選挙区回りに充てているのだという。
いかに地元の人たちと会い、握手をしてくるかが最重要課題になっているのだ。だから、集団的自衛権にどんな問題があるのかをじっくりと考え、議論するゆとりなどないのである。
政策について勉強し議論する時間がないとは、実に危なっかしい状況だといわざるを得ない。自民党は均衡のとれていない政党になってしまったため、公明党にハト派の役割を頼らざるを得なくなってしまったのかもしれない。
■自民執行部に素直に従う議員たち
政界を引退された森喜朗氏や渡部恒三氏らは、かつて無所属で立候補し、当選してから自民党に入った“やんちゃな政治家”だった。そうした政治家は以前の自民党にはいた。
しかし今は、党に公認されなければ事実上、立候補するのは難しい。公認されるには自民党執行部の意見に素直に従わなければならず、優等生のような若手議員や立候補者ばかりになってしまう。そんな人が当選後に自分の意見をガンガン言えるのだろうか。
政治家が選挙区に張り付かなければいけないのは、その一つの原因として小選挙区制の問題が指摘される。1選挙区につき1人を選出するこの選挙制度の下では、政治家がどんどん小さくなるといった批判もある。
それは政治の政界だけではなく、企業でも同様かもしれない。上司の言うことばかり気にして自分の思ったことを主張できないようなら、会社が活性化し、均衡のとれた成長などしようがない。
幅広い意見が失われ、バランスの欠いた自民党の姿を見て、私は政治の危うさを感じる。
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