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2014-06-29 07:28:01
「小沢?」「まだ小沢って言ってるの。オザワは過去の人でしょう」と言われます。
「集団的自衛権について」話題にしようとすると、「そんな政治向きの話はつまらん。もっと、身近な別の話題がいい」と敬遠されます。
かなり知性があると思える人でも、政治課題は避けるのが暗黙の了承になっています。お茶のみ話としても、政治マタ―を口にすることはむずかしい。
せいぜい、「安倍はアホや」とか、逆に「安倍は一生懸命にやっとるやないか。それに比べて野党がだらしない」「公明も安倍に取りこまれたな」と言った程度で、おしまい。
まともな議論には発展しない。もともと、「宗教と政治の話はご法度」という空気です。この空気が、長い間に日本人の”文化”となり、日本中に定着し切った感があります。だから、自分たちの生活に密接な関わり持つ事柄でも、自由に話し合う習慣がありません。
結果的に見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿です。決して強制されたわけではない。あくまでも長い間の風習で定着したものです。それだけに強固です。しかし、実態は、庶民レベルでの「言論の自由」が機能しない。「言論の自由がない」ことと同じ状況と言えます。
たしかに、テレビでも、新聞でも、「何を言ってもいい。言論の自由は、自由すぎるほどある」ように言われます。だけど、テレビや新聞にも、真の核心事項に関しては慎重に自己規制をかけているのが実態です。
一部の論壇には、左翼的な言論が溢れています。しかし、それは、一般市民社会とは”別世界”と、切り離されています。一部の人の”偏った議論”というレッテルが貼られて、「アカに近付いちゃだめよ」といった雰囲気が、現代の今も底流にあります。
そうした底流がある中で、まともな議論すら敬遠する風潮が定着し切っています。
例えば、安倍首相が口癖にしている「強い日本」にしても、「強い日本がいいに決まっている」でおしまい。まともに「強い日本とはどういうことか」を話すことはありません。
そこから、「軍備を固めればいいのか」ということに話が広がることもなければ、「平和な日本づくり」に発展することもない。
まして、「依存すればするほど、日本は自立し、基盤は強くなる」などという議論にはなりません。
「東大話法」などの本で知られる安富歩さんは、安倍首相の「ジャパン イズ バック」(強い日本を取り戻す」を書名にした本のなかで、「自立とは依存することだ」という話を紹介しています。
人間はそもそも誰かに依存することなしには生きていけません。依存する相手が増えれば増えるほど、実は人はより自立する、といえるのだそうです。
自分ひとりで誰よりも強くなろうとすれば、軍備を増強し、とどのつまりは核武装する以外にない。しかし、核武装すれば、本当に強いことになるのか。
世界最大の核武装国家、アメリカの最近の凋落ぶりはなんと見ればいいのでしょうか。
「私たちはできるだけ多くの頼れる友達を世界中に作り、そのご縁によって、やりたいことを楽しくやっていきましょう。その勇気を持とうではありませんか。そうすれば未来が開けます」と、安富さんは説いています。
政治イシューを含め、時事トピックスを気軽に話題に上げ、トークを楽しむ術を鍛えたいものです。そうすれば、よりましな日常生活も期待できるのではないでしょうか。
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