01. 2014年6月26日 11:14:00
: EAkIk2fULU
おれも沖縄に住みたい。 毎日の面白い記事もあったから貼っとくよ。特集ワイド:続報真相 集団的自衛権行使 「政治家の信念」なんて言われても… 自衛隊員の本音は 毎日新聞 2014年06月20日 東京夕刊 拡大写真 ◇「自分の命」の問題です 「日本国憲法および法令を遵守(じゅんしゅ)し……」。全自衛隊員が入隊時にそう宣誓する。だが安倍晋三政権はその憲法の解釈変更を閣議決定し、集団的自衛権を行使しようとしている。戦場に派遣される可能性のある自衛隊員や家族たちはどう受け止めているのか。駐屯地を訪ね、本音を探った。 イラク戦争でサマワ駐留オランダ軍宿営地に到着し整列する陸上自衛隊本隊の先発隊。集団的自衛権行使容認で、活動内容はどう変わっていくのか=2004年2月8日、岩下幸一郎撮影 イラク戦争でサマワ駐留オランダ軍宿営地に到着し整列する陸上自衛隊本隊の先発隊。集団的自衛権行使容認で、活動内容はどう変わっていくのか=2004年2月8日、岩下幸一郎撮影
拡大写真 東京・池袋から東武東上線で約15分、さらに住宅街を歩いて20分。今月中旬、首都防衛を担う陸上自衛隊東部方面総監部のある朝霞駐屯地(東京都練馬区など)は、陸海空から精鋭チームが集まる週末のバレーボール大会の準備が進められていた。 「政府のいう『限定容認』とか『3要件』とか。現場の人間からすると何のことかさっぱり分からない。机上の空論だ」。大会関係者らしき隊員に声をかけ、近所の居酒屋ののれんをくぐると、生ビール2杯で本音が噴き出した。 制服姿や日焼けした角刈りの男性でにぎわう「基地の街」ならではの店内。上司と焼き肉をつついていた若者も話を聞かせてくれた。3等陸曹だという。「現場で起きることは、紙芝居のような物語ではない。想定外のことが起きたら『限定容認された範囲外だから』と現場を放棄しろとでも言うんですか」 3等陸曹はビールをあおりながら続ける。「一言で言えば、政治家が今している議論はリアリティーがなさすぎる。パネルで説明なんてナンセンスですよ」と、5月の会見で、パネルを持ち出して集団的自衛権の必要性を訴えた安倍首相をあてこすった。 近くにいた30代の2等陸曹も「結局、政局の話でしょう。いつもの展開になりつつありますね」とため息をつきながら焼き鳥の串を置いた。安倍首相が2度目に就任した後「どんな人だろう」と著書「新しい国へ」を読んでみた。1990年代のカンボジア国連平和維持活動(PKO)などについて「国会の議論と現地の実情は、大きく乖離(かいり)していた」と指摘したくだりが目に留まった。「『手足を縛られた状態』で海外に派遣される自衛隊を本気で変えてくれるのではと期待しました」。だが、集団的自衛権の議論には失望させられたという。 「憲法の解釈をただ変えると言われても……。妥協して中途半端に終わるなら最初から何も変えない方がいい。『政治家の信念』なんて言われても、現場で命をかける私たちには響いてこない」 気持ちを語ってくれた自衛官の多くは匿名を条件に、なし崩しに自分たちの任務が拡大する懸念を一様に口にした=表。富士山麓(さんろく)の演習場で訓練を指導する40代の幹部は「『国を守る』という目的は何ら変わらないでしょう。しかし、今の議論は『どうしたら閣議決定できるか』だけが焦点になっている。要するに私たちの実際の任務をどうするかは二の次なんですよ」とあきらめ顔だ。 東海地方のある陸自幹部も「不安がないと言えばうそになる」と打ち明ける。「本来、武器の使用基準や部隊行動の判断基準なども含め、精緻な議論をすべきだ。だが、十分に尽くせたか疑問に思う」 東海地方の駐屯地に勤める30代の陸曹長は「国際貢献や災害派遣で人の役に立ちたいと入隊したのに、自衛隊の活動内容の拡大に歯止めがかからなくなると、自分の命の問題になってくる。命をかけて国を守るのは建前だが、正直不安しかない」と打ち明ける。 家族感情も複雑だ。陸自勤務の夫を持つ女性(30)の自宅を訪ねると「何で、新聞各紙の世論調査はこんなに違うんですか」といきなり質問攻めにあった。夫は普段仕事の話はしないが、女性はスマートフォンに集団的自衛権に関する世論調査結果のばらつきを分析する記事を何本も保存していた。「どれが真実に近い数字かはともかく、ある意味、国民の意見が割れていることは明らかでしょう。そんな状況の中であわてて決めても、いざというとき国民は自衛隊の活動を支持して、隊員や家族を『守って』くれるのでしょうか」 北海道で任務に就く息子がいる都内の会社員男性(51)も不安を口にする。「憲法解釈の変更は、肝心な国民の声を聞き漏らしているように思える。息子は何も言わないけれど自衛隊にとっては大きな転換点。国民の理解と後押しは本当にあるのか。選挙で国民の信を問うべき重要な話ではないでしょうか」 自民、公明両党は妥結ありきの協議を繰り返し、安倍首相は閣議決定を急ぐが、現場の隊員や家族の声は置き去りにされたままだ。 ◇派遣先の事故「隠蔽」 クウェート派遣中の事故の後遺症であごがほとんど開かず、流動食に頼る池田頼将さん=浦松丈二撮影 クウェート派遣中の事故の後遺症であごがほとんど開かず、流動食に頼る池田頼将さん=浦松丈二撮影
拡大写真 集団的自衛権を容認した先には何があるのか。自衛隊に交戦による負傷者はないが、事故の負傷者は出ている。イラク戦争で2006年にクウェートに派遣された元航空自衛隊員の池田頼将(よりまさ)さん(42)を大阪府の自宅に訪ねると「自分のような人を二度と出さないでほしい」と苦しそうに訴えた。帰国後8年近く経過した今も後遺症でほとんど口が開けられない。 「入隊当時、危険な任務は災害派遣ぐらいしかなかった。海外に派遣されるとは夢にも思わなかった」。池田さんが自衛隊に入隊したのは91年。当時、大工見習などをしていた池田さんは自衛隊募集担当の熱心な勧誘を受けた。入隊後は成績上位者が配属される通信隊員として小牧基地(愛知県)で勤務。20歳で結婚、子ども3人に恵まれた。 ところが、イラク戦争が03年3月に勃発。小泉純一郎政権は早々に対米協力を打ち出し、7月にイラク復興特別措置法が成立。自衛隊の活動地域は「非戦闘地域」に限るから憲法には抵触しないというのが根拠だった。法成立を受けて陸自はイラク・サマワで医療や給水支援などを、空自はクウェートを拠点にイラク国内への物資輸送を担う。入隊15年のベテランだった池田さんは06年4月にクウェートのアリアルサレム空軍基地に通信士として派遣された。 「空港到着後、乗せられたバスの窓は黒いカーテンで覆われていた。軍車両だと思われると自爆テロの標的になるため、制服の私たちを隠すためでした。バグダッドへの空輸機もいつ撃墜されてもおかしくなかった。『非戦闘地域』は全くのうそでした」 空自が派遣したC130輸送機は「人道復興支援」の名目だったが、輸送人員の3分の2が米兵だったことが後に判明。08年に名古屋高裁はこれを「他国による武力行使と一体化した行動」として憲法違反の判決を出し、確定している。無理な派遣は池田さんの事故にも影を落とした。 派遣から3カ月後の米独立記念日の7月4日。池田さんは米軍主催の長距離走大会に自衛隊から参加。先頭グループで折り返し地点を回ったところで、軍事請負最大手・米ハリバートン社の関連企業の大型バスに後ろからはねられた。全身を強打し、気を失う。その後、日米両国から信じられない扱いを受ける。 「運び込まれた米軍の診療所では小指の先ほどもある錠剤4錠を飲まされ、目が覚めたのは23時間後。自衛隊で治療を受けようとしても保健室のような施設しかなかった。治療のために帰国を願い出ても便がないと拒否されました」。池田さんはコルセットをして横になったまま勤務を続けるしかなかったが、日本から要人が視察に訪れると、上官から「コルセットを外せ」と命じられたという。「非戦闘地域」で負傷者を出したことを自衛隊が進んで公表することはなかった。 事故から2カ月後、任務を終えて帰国し、愛知県小牧市内の病院で受診すると「なぜこんなに放っておいたのか」と医師に問われた。首や肩のけがのほか、顎(がく)関節症は特に重症で早期回復は難しいと診断された。「小学校6年の長男とキャッチボールをする約束をしていたのに、満足に動けない体になってしまった」。池田さんは続ける。「集団的自衛権の行使には反対です。自衛隊は国を守るための組織であり、無理をして海外に派遣して事故が起きたら、私のように隠蔽(いんぺい)されてしまう」 池田さんは12年9月、名古屋地裁に後遺障害などの国家賠償請求の訴えを起こした。国側は「障害は原告主張ほど重くない。事故を隠蔽した事実はない」などと全面的に争う。 時の政権が解釈を変えても憲法の条文と戦場の現実は変わらない。集団的自衛権行使容認の先には、違憲訴訟、国家賠償訴訟の続発が予想されている。【樋口淳也、浦松丈二】
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