14. 2014年6月27日 14:45:35
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危うい連立継続集団的自衛権の行使をめぐる安倍首相の決意と公明党の対応とは原理原則で完全に対立している。第一次安倍内閣以来、安倍晋三氏のめざす日本像ははっきりしている。憲法、防衛、教育を一直線上に並べて、日本を普通の国に再興させようとしている。どういう国をつくりたいか道筋がはっきりしているから内閣は50〜60%の支持率を得ているのではないか。一方で公明党の山口奈津男代表は「ブレーキ役」だと自ら任じ、集団的自衛権の解釈変更だけでなく、教育問題などあらゆる分野で抵抗している。 公明党が自公連立に参加して以来14年間、この間、野党になることもあったが、自公体制は落ち着きを見せていた。かつての政教分離問題は忘れられているが、今起こっている自公対立が、まさ政教の対立が剥き出しになっている事態だ。自民党が目指す国づくりと、創価学会が理想とする社会の目標とが全く逆を向いていることが決定的に判明した。 そもそも公明党を構成する原理が、共産党のように”民主集中制”であり、人事政策が”上御一任”で決まる欠点が丸出しとなった。 集団的自衛権について創価学会総支部は2014年5月7日、「行使容認は改憲を経てから行え」というコメントを発表した。これは原則的に「認めない」ということだ。 一方で井上義久幹事長は「連立離脱しろとか、総選挙をやり直せ、は無茶だ。政教分離で別の態度がある」と建前と現実の二枚舌を使って連立を続行することだろう。 公明党議員に聞くと、「選挙母体の婦人部が反戦・平和だから」と一様に言う。その反戦・平和は池田大作名誉会長の持論だから、婦人部に逆らうことは池田氏に逆らうことに他ならない。池田氏の代表的著作である『人間革命』の冒頭の一節が「戦争ほど悲惨なものはない」とあるように、著作物はすべて反戦と平和で彩られている。憲法については”加憲”の立場ながら「9条は変えない」論だ。2001年9月に『産経新聞』に語ったところでは「現在の日米基軸の方向性は軍事関係に偏重しすぎている。時代遅れになると信じている」という。 池田氏の”日米基軸”は中国と北朝鮮をつなぐことを妨げている。オバマ大統領は「尖閣諸島は日本の施政権の範囲に入るから、安保条約が発動される」と明言した。日本にとって、予想外なのは、米国と軍事条約を結んでいる韓国が、中国に属国化し、日米韓連携の役割を忘れてやみくもに日本叩きに転じていることだ。 その中国と韓国について池田氏はこう言っている。1999年、池田大作名誉会長は中国大使公邸に陳健駐日大使を表敬訪問してこう語った(『聖教新聞』4月13日付)。 「貴国に対する創価学会の姿勢は一貫して変わりません。文化の大恩の国であり、日本は心から尊敬し、侵略の大罪を誠心誠意謝罪し、償っていかなければならない。日本に対して、貴国が戦争賠償の請求を放棄して下さったおかげで、今日の日本の経済発展もあります」 しかし、実態はODAで支払った額は賠償以上と言われている。 また韓国について2000年に韓国SGI(創価学会インタナショナル)の代表メンバーと会議した時、こう述べている(『聖教新聞』5月22日付)。 「韓国は、日本にとって『文化大恩』の『兄の国』である。『師匠の国』なのである。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに、私は、永遠に罪滅ぼしをしていく決心である」 この”歴史認識”は昭和30年代に受けた日教組教育が、そのまま頭に染み込んだかのごとくだ。教科書問題で、池田氏は「日本もアジア各国と共同作業で教科書を作成する時期に来ている」と述べているが、池田氏が政治家なら、古い発言を新しい時代に合わせて変化させることは可能だ。しかし、池田氏は宗教家であって、発言した内容を簡単に変えることはできない。公明党の政治家が頭を抱えているのは、池田氏が重病だと言われ、新しい発言が期待できないことなのだ。 婦人部が崇めているのが、池田氏なら、連立継続は実に危うい地点に来ていると言わざるを得ない。 「権利はあるが行使できない」は自社馴れ合いの典型 「集団的自衛権の行使」に向けて安倍政権が無理押しをしていると非難する声があるが、2つ反論する。 1つは、内閣法制局という存在がそもそも官僚内閣制の遺物に過ぎないこと。憲法の最高の解釈権を持っていること自体がおかしい。 2つ目は、国連憲章に関わる「自衛権」にはそもそも「個別」と「集団」は区別されていないこと。 国際情勢は集団的自衛権を行使できなければ近い将来、日本が危機に瀕することになるかもしれない方向に流れている。一方に国内しか見えない政治勢力があって、現状を変える必要がないという。 公明党の山口代表、漆原良夫国対委員長らは連日のように首相を批判して解釈の見直しに反対してきた。 自公ボケなのか、時代の流れについていけないのか、宏池会の古賀誠最高名誉顧問もこの発想だ。自公で妥協を繰り返しているうちに、自らの思想を失ったのである。 内閣法制局は戦前の官僚内閣制の守護神のようなものだった。官僚内閣制度だったから、内閣法制局に法文の最終解釈権を持たせてもおかしくはなかった。しかし新憲法が打ち出しているのは「議院内閣制」であるから、最終解釈権は立法府が持たなければおかしい。憲法41条には「国権の最高機関は国会」であると明記されている。その国会で首班指名された首相が「自分が最高の権力者だ」と言ったら非難したマスコミや議員がいたのには驚いた。本来、内閣法制局など潰すべきであった。ところが、政権が代わった時「法解釈まで変わっては困る」と官僚が言い張って1952年に再び内閣法制局を設置してしまう。 中曽根康弘元首相は「憲法解釈を内閣が一元的に持っているのはおかしい」と堂々と指摘し、衆参両院法制局か最高裁で持つべきだと提唱していた。安倍晋三首相もその論者だったが、今、内閣法制局を廃止して、代わりをどうするかまで議論すると実益のない政治論にはまり込んでしまう。民主党政権の時代、一時、内閣法制局長官の代わりに法務に強い大臣が答弁するシステムに切り替えたが、結局、元に戻した経緯がある。 安倍氏はもともと憲法改正論者で、第一次安倍内閣の時は防衛庁を防衛省に格上げした。安倍氏の国際情勢認識は明瞭なものだが、与党の公明党を切ってまで、憲法改正論議を高める気はなかった。 外務省条約畑の解釈は自衛権について国内法(憲法)と国際法(国連憲章)の両面を取り上げながら、国内法の論理のみで推論してきた。しかしその憲法自体が98条2項で「国際法の遵守」に触れている。したがって国際法との整合性に全く配慮していない現行の解釈はまさに欠陥と言うべきなのだ。 集団的自衛権は国連憲章により導入された新しい概念で、それを解釈するには国連憲章作成会議での審議の経緯を踏まえる必要がある。それによると集団的自衛権は「慣習自衛権」を補強するために持ち出された概念で、自衛権を二分して、これは国内、他は外国向けなどと考える必要は全くないのである。 集団的自衛権について「権利はあるが行使はできない」という日本独自の奇妙奇天烈な解釈が初めからあったわけではない。国連憲章では「自衛権」を個別的自衛権と集団的自衛権に分けていない。集団的自衛権が必要なのは個別的自衛権では守りきれないケースがいくらでもあるからだ。国内には日米安保条約が必要との強力な与党があり、野党には非武装・中立でいいという”抵抗野党”があった。国の安全に関わる根本思想で、これだけ違うと政治にならない。 困り果てた池田、佐藤内閣では日米安保条約に差し障りなければ、あらかた社会党の言い分を聞いてやる政策が貫かれた。「有事の場合は核持ち込みもある」という日米密約は、安倍晋三首相の言うように”不正直”だが、こうしなければ60年安保条約反対論が永遠に続いて、議会は機能しなかったに違いない。 自民党は「集団的自衛権」の権利を認めることで名を取り、社共両党は「行使はできない」ことで実を取った。自社馴れ合いの政治の典型だが、助かったのはこの間、集団的自衛権を行使するような事件が起こらなかったからだ。 公明党は今も社共と考え方が同じだが、国際情勢は様変わりしてきている。 米太平洋艦隊の情報部門を統括するジェームズ・ファネル大佐は、中国軍の演習は尖閣諸島またはそれ以上を奪取するための「短期集中作戦」に備えていると警告している。 日本人は、オバマ大統領が言明した「尖閣諸島は日本の施政権にある」と言うのを信じて、いざとなれば「米軍が助けに来る」と思っている。それを慮って、中国軍も手を出さないと思っているようだが、米国は将来にわたって尖閣諸島に出てくるリスクを避けるはずだ。 かつて米国は3つの戦争を行う圧倒的軍事力があった。欧州の冷戦が終わって3つ目の戦争能力を落とした。次いで中東で2つ目を使い果たし、今度は戦争能力が1つになった。そこで「リバランス」と言い出して戦争能力を再配置するという。日本は、中国がアジア侵略に乗り出せば、日米で組んで中国を抑えるという希望的妄想を抱いている。しかし、オバマ大統領には世界を仕切る能力はない。 習近平国家主席は2012年に訪米し「新型大国関係」を作ろうとぶち上げた。太平洋の問題米中で仕切ろうというわけだ。その「新型大国関係」という言葉が、今や米国の側から出始めた。1つしか戦争ができないのに尖閣諸島までは行けない。米中は仲良くした方が得だとオバマ大統領は考えているはずだ。シリアを見てもウクライナを見てもオバマ大統領の外交能力は劣る。 池田大作氏は1974年、中国の文化大革命の真っ最中、中国を訪問した。その見聞記録が毎日新聞から単行本『中国の人間革命』と題して出版されている。訪中の際、池田氏はケ小平氏と面会して文革の素晴らしさを精神革命だと褒め上げた。ケ小平氏は「褒め過ぎだ」と言ったそうだが、池田氏は「50年後にこうなって欲しいという願いを込めて書いた」と答えた。 これで思い出したのが、ちょうど同じ頃、私はローマに駐在していた。日本からは『朝日新聞』1紙しか届かなかったが、文革を「精神革命だ」と褒めそやしていた反面、イタリアのマスコミは新聞もテレビも「子供を使った内乱だ」と見る点で一致していた。池田氏も『朝日新聞』も政治状況を見る目が狂っている。加えて国際的平衡感覚が乏し過ぎるのではないか。 池田氏は首相の國神社参拝には反対で「追悼は無宗教の国立墓地で行うのが望ましい」(『産経新聞』2001年9月18日付)と小泉首相の行為を批判している。 政治を「宗教から引き離すべき」という考えなら、”宗教政党”が政府の内部に潜り込むのはどうなのか。日本は神道の国であり、神道は日本人しかいない。8000万人が初詣に出かける国であり、天皇家は神道の神祇祭事を司る伝統を守ってきた。 対話で事が解決するのか 公明党は世界情勢の変化についていけない様相である。2013年の参院選で、山口代表のキャッチフレーズは「自民党の暴走にブレーキをかける」だった。これまでの公明党の発想からすると、 @集団的自衛権については「行使できない」 A中国とは首脳同士は仲良くすべき というものだったろう。しかし、行使できなければ脅かされる。中国は反日を政治目標にして国が成り立っている。公明党の考え方と潮目は完全に逆なのだ。 安倍首相は日中首脳会談については「積極的平和主義」を正面に据え、条件を付けるなら会わない、とどっしり構えている。この点、菅直人元首相が胡錦濤主席の訪日にあたって、中国漁船体当たり事件を不問にしなければ行かない、との条件に屈したのと対照的だ。 山口氏は与党の一員として米中を訪問し、解決の手掛かりを探ろうとしたのだろう。米国政界に、安倍首相の”右寄り”を非難する向きがあると聞いて、その噂の周辺を探ろうとした。公明党は米国とのパイプが細いが、とりあえず上院外交委のカーディン議員と会談し、尖閣問題は「対話による解決」で一致したが、そのこと自体には全く意味がない。 リッパート国防長官補佐官は、山口氏に「日本が安全保障面で積極的な役割を果たすのは歓迎だ」と述べた。山口氏側は「慌てず議論することが大事だ」と対話路線にしがみついた。だが、事態は対話で事が解決するのかという段階に至っている。山口氏が狙っていたバイデン副大統領やケリー国務長官との会談は見送られた。米側は、時代錯誤の政治家と会っても無駄といった趣だったそうだ。 公明党は党青年議員団が中国を訪問したが、中国共産党対外連絡部(中連部)の責任者との会談がドタキャンされた。2014年1月に山口氏が訪中し、「交流を深めよう」と話し合ったのに「失礼な話だ」と党幹部は怒っているという。公明党と中国との関係は深く長いから、話し合えば日中首脳会談に結び付けられると甘く考えていたのだろう。国際政治の困難さは、歴史の流れや潮目が突然変わることだ。公明党は中国から「井戸を掘った人」とありがたがられていると思っているが、重宝がられるのは向こうが得をしている時だけだ。 古い歴史を絶対視する公明党 山口氏は国際情勢を認識し直さなければならない。いわゆる”平和協力”だけでは世論の支持が得られないのは、社民党の凋落を見れば明らかだろう。集団的自衛権の深化こそが、米・中両国が日本を重視するもとなのだ。 自民党は衆参で議席の過半数を占める。ということは国民の過半数が自民党の政治を進めてくれ、と言っていることに他ならない。 日本維新の会共同代表の石原慎太郎氏は、自公連立について安倍首相に「公明党が足手まといになるよ」と述べた。安倍氏は、米艦と日本のイージス艦が並走している場合やミサイルがグアムの米軍基地を狙って発射された場合などの具体的ケースを挙げて集団的自衛権を認めることでもいいという。二歩も三歩も下がって妥協して急いで壊れるよりよいと思っているようだ。遅くとも、目的に近づくことが肝要だと考えている。第一次安倍内閣時代は政局運営を急いでいたが、今回、ゆっくりと考えているのは自公連立を崩せないと判断しているのではないか。 自民党の事情から言えば、創価学会の支援を受けて当選した衆院議員が70人いるという。その他の議員も得票数の1〜5%は学会票だという。自公連立を嫌っていながら票が欲しいというのが自民党の大勢だ。 もっとも、政府関係者は、「首相が最もやりたいのが憲法解釈の見直し。その足を引っ張るなら、『どうぞ連立離脱してください』ということが明確に伝わったのではないか」と指摘する、という意見もある。 公明党の側から言うと、池田大作名誉会長には絶対に逆らえない。かといって連立から離脱することも考えられない。創価学会・公明党の影響力を保持するためには、多少の条件闘争はするものの、基本的に現状のまま推移したいと思っている。”多少の条件闘争”の中身は池田大作氏の胸一つに懸かっている。 公明党幹部は池田氏の健康状態がはっきりするまで、時間をかけたい意向だという。創価学会・公明党にとって税務調査妨害や地域振興券など現世利益を満喫したいのである。だが、集団的自衛権の問題は日本の運命に関わる問題で、個人の健康状態を見守ってのち決めるというような問題ではない。 創価学会・公明党が折れるか、連立を解消するか早く決してもらいたい。公明党の発想の原点には池田大作氏の思想がある。このうち防衛、中韓に対する考え方、在日外国人への参政権問題など池田氏の”古い思想”は決して変わらないが、現代の潮目は変わっている。この古い歴史を絶対視するのが公明党だ。国を誤る危険性がある。
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