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安倍晋三首相の強い意向で、集団的自衛権の行使を容認するための閣議決定に向けた手続きが加速、最終盤を迎えている。しかし、いざ「行使」の際、戦地へ向かう自衛隊と、彼らを送り出す私たちに、準備はできているのだろうか。
■見えぬ国会の議論、現場は不安 元陸将・元カンボジアPKO施設大隊長、渡辺隆さん
自衛隊は「専守防衛」を掲げ、長年かけ国を守るための戦略を立て、装備を開発し、隊員を鍛え、なんとか一人前の力を持つ集団に成長しました。
私が30年余勤務した陸上自衛隊で言えば、敵の着上陸侵攻への対処、つまり外部からの攻撃から国土を守ることが基本です。装備も編成も訓練も全体のシステムも、これを前提にしています。
急に「集団的自衛権の行使が認められた」と言われても、現場は明日から対応するというわけにはなかなかいかない。日本から遠く離れた地で、集団的自衛権の行使に基づく作戦行動ができる態勢があるかと問われたら、まだまだ難しいというのが個人的な思いです。これまでとはまったく次元の違う話になると現場では受け止めているでしょう。もちろんこれは2年前まで現場にいた私の想像です。現役自衛官は「黙して語るな」と言われ続けましたから。
1992年に自衛隊初のPKO部隊を率いてカンボジアに行きました。当時、国外で活動すると思って陸上自衛隊に入った者はおりませんでした。「我が国の平和と独立を守る」と服務の宣誓をして入隊した隊員にすれば、当時の流行語「聞いてないよォ」という話でした。我々は契約で自衛隊に入っていますので、隊員たちには新しい任務を「論理」で説明する必要があると常に思っていました。
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<指揮官なら悩む> それでもPKO参加は制度としては志願です。「絶対に行きたくない」という隊員には行かない自由もあります。しかし、個別的であろうと集団的であろうと自衛権に基づく行動であれば、たとえ日本の領域外であっても自衛隊法に基づく防衛出動命令なので拒否はできません。部隊長以下、組織に属する全員が命令に基づいて行動するという、本来の軍事組織が持つ基本的なパターンです。
正直なところ、私は今、制服を脱いでいて、つまり退官していて、ありがたかった。もし制服を着ていたら、自分が指揮官として集団的自衛権をどう隊員に説明するか、夜も眠れないぐらい悩むだろうと思うからです。
私たちは、いかなる任務が来てもそれを達成できるよう最善を尽くすことが務めだと教育されてきました。任務達成のためにどうするか。勝つためにはどういう訓練が必要か、どういう編成にすべきか、どういう武器を使えばいいのか、隊員が納得した上で任務についてもらうにはどうすればいいか。悩むでしょうね。
とはいえ、自衛官はひとたび命令されれば動きます。予想される事態に対し、与えられた装備と編成、人員で目の前の任務に全力でぶつかるしかない。それが自衛官の宿命であり、基本的なスタンスです。「必要最小限だ」と言われても、いざ戦闘になったら、戦場ではその時に持てる力を最大限に使って戦うだけです。「個別的」だろうが「集団的」だろうが、戦いに違いはありません。
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<隊員は国を信頼> 自衛隊がなぜ戦うのか、そのための厳しい訓練を続けているか、ご存じですか。我々は戦いたいから戦うのではなく、相手が憎いから戦うわけでもありません。自分の背後にいる人たちのことを考えるからです。
もしかしたら、任務遂行の過程で自分は死ぬかもしれない。その死が国民みんなから「よくやった」と言われるものでなければ、とてもやっていられないですね。自衛官は国と国民と政府を信じています。信じなければ、命をかける仕事などできません。
今でこそPKOは当たり前のように見られていますが、90年代はじめには、自衛隊を海外に派遣することに大きな反対があり、3回にまたがる国会の審議を経たうえで成立しました。武器使用基準をどうするか、自衛隊とは別組織で派遣すべきではないかといったさまざまな議論が戦わされた。我々にも議論の経過が見えましたし、大きな議論を経たうえでの決定ですから、民主主義のルールに基づく行動だと受け止められました。
申し訳ないのですが、今回の集団的自衛権に関して国会の議論の過程がどうも見えてきません。現場の隊員にすれば、そこが不安に思う一つではないでしょうか。
(聞き手 編集委員・刀祢館正明)
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わたなべたかし 54年生まれ。防大卒。陸上自衛隊第1師団長、統合幕僚学校長、東北方面総監などを歴任。92年、国連平和維持活動(PKO)の第1次派遣施設大隊長。
■「自分だったら」国民は想像を 一橋大教授・日本近代史学者、吉田裕さん
集団的自衛権の行使を容認すれば、自衛隊が実際の戦場に投入される可能性が高まります。現実の戦場、戦闘では人が死にます。殺し殺される状況に、自衛隊員が投げ込まれようとしている事態であると、どれだけの国民が気づいているのでしょうか。日本人の中で戦場へのリアルな想像力が衰弱しているように思えてなりません。
日本人が体験した直近の戦争、アジア・太平洋戦争での戦死とは、極めて無残なものでしたが、そうした実相が忘れられたことが想像力の衰えの原因でしょう。
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<美化された戦死> 日中戦争以降、日本軍の軍人軍属の戦死者約230万人のうち、6割が栄養失調や食料の窮乏で抵抗力をなくし、マラリアなどの感染症で病死した広義の餓死でした。輸送船などで戦地に向かう途中、敵の潜水艦や飛行機の攻撃を受けて船もろとも亡くなった海没死も約36万人を数えます。
日露戦争の戦死者は約9万人ですから、先の大戦は正規の戦闘でない形でいかに多くの人が死んだか、国が国民に強いた戦争の異常さ、むごさが分かります。
しかし、戦争体験がきちんと継承されていません。零戦の特攻隊員を描いた映画がヒットしましたが、特攻隊の担い手は将校よりも下士官や兵、それも少年兵が中心。将校の中でも陸軍士官学校や海軍兵学校出の正規将校ではなく、一般大学出身の予備将校が中心でした。こうした実態が忘れられ、国のために死んだことを美化した記憶が広がっています。
国民の多くは、戦死を自らのこと、身近なことと考えていません。自衛隊員と国民の間に溝があることが原因の一つでしょう。戦前は民衆の中に根を張った徴兵制があり、軍人が大きな威信を持っていました。国防婦人会、在郷軍人会などの組織が地域で軍を支え、公教育の場でも徹底した忠君愛国教育が行われ、軍と国民の間に溝はありませんでした。
国民には自衛隊と一緒に戦う意思はありません。2000年の国際調査では「戦争が起きたら国のために戦うか」の問いに「はい」と答えた日本人は15・6%で、データのある36カ国中最低でした。この傾向はその後も同じです。
そもそも、戦死者をリアルな現実と考える上で欠かせない追悼のあり方についての国民的合意がありません。戦前の戦死者について、靖国神社、A級戦犯を分祀(ぶんし)した靖国神社、無宗教の国立追悼施設という世論に三分され決着できていない。自衛隊に戦死者が出たらどう追悼するのでしょう。
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<ゲームじゃない> 政界では後藤田正晴氏や梶山静六氏ら「戦争への痛覚」を持った人たちが亡くなり、世代交代の結果、ウオーゲーム感覚でしか戦闘、戦場をイメージできない政治家が増えている。なかでも戦闘、戦場への道を広げる集団的自衛権行使を解釈改憲で行おうとする安倍首相の選択は、自衛隊の最高司令官として極めて無責任です。
国民的合意や支持が不十分な中で自衛隊員を死地に投じ、「国のために死ね」と命ずることは隊員や家族にとってあまりに酷です。少なからぬ隊員は自衛隊への志願が職業選択のうちの一つに過ぎず、特殊な人間、使命感に燃えた不屈の戦士ではない。しかも他国の軍隊と異なり、実戦経験を持たない。平和な日常生活と戦場の落差はとてつもなく大きい。そんな組織が戦闘に直面すれば、自衛隊内で戦争神経症が多発する可能性への懸念も出ています。
加えて、対テロ戦争の時代になり、戦場の姿が大きく変化しました。冷戦時代に想定したような大規模な地上戦ではなく、目前の敵と命をやりとりする市街戦のような戦闘が主体となっている。小銃主体の戦闘では、敵に被弾させても、絶命するまでに時間がかかり、反撃を受ける可能性があります。確実に相手の命を奪うためには、頭を撃ち抜き、とどめを刺す非情さが要求されるのです。
こんなストレスフルな環境に自衛隊員が耐えられるでしょうか。しかし、これが戦死が現実化する世界です。国民は自衛隊員を自らと同じ人間ととらえ、彼らの問題だと逃げずに自分だったら耐えられるのか。自問することから集団的自衛権を考えるべきです。
(聞き手・駒野剛)
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よしだゆたか 54年生まれ。日中戦争や戦後処理などを専門分野に、「日本人の戦争観」「アジア・太平洋戦争」などの著作で戦争の実態に迫ってきた。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11207625.html
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