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(画像出典http://silverwing.hama1.jp/e1039106.html)
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/06/post-34a4.html
2014年6月24日
竹中平蔵は2013年10月1日の「竹中平蔵のポリシー・スクール」の連載中、「オリンピックと“お白洲”効果」という題名で、“お白洲(しらす)効果”という独自の造語を連発している。
http://www.jcer.or.jp/column/takenaka/index543.html
竹中はこの記述で、日本の政策上の意思決定プロセスには、総理のリーダーシップ、族議員の影響力、世論(国民の意 見)、メディアの論調、などそれぞれに重要な要因が複雑にからみ、なかなか統一的な決定にはなりにくい。そこで彼は民間議員の有用性を強く主張する。
総理が議長を務める「経済財政諮問会議」には民間議員が5名、同じく総理が議長を務める「産業競争力会議」は10名の民間議員が置かれ、これに連なる各省の審議会を含めると民間人の数のレベルは相当なものになるという。
竹中平蔵はここで、民間議員の最大の効用は、「お白洲(しらす)」効果を演出することにあると言っている。お白洲(しらす)とはカタクチイワシとかウナギの稚魚とは全く関係ない言葉で、江戸時代の奉行所(訴訟機関)が法廷を置いた場所のこと。罪人を裁く当時の裁判所で、「遠山の金さん」みたいな時代劇によく出てくる。
竹中はお白洲効果の説明として、例えば、規制緩和が期待されるある問題を、上述したような会議で議論した場合、規制緩和を民間議員が求め、関係官庁は規制の有効性や正当性を主張する。
これに対し民間議員は反論し、官庁が再反論……これらを議事録を通して国民が見れば、規制緩和をせざるをえないという社会的プレッシャーが働くという。そこで官庁は、やむを得ず緩和の方向に進まざるを得ないという。
これが、お白洲効果の分かりやすい例だと竹中は言う。
これに加え、竹中は、2020年のオリンピック開催決を契機に、規制緩和を主体とした国内改革が進み、それが有効なお白洲効果を生むという論旨を語っている。
竹中平蔵という人物は、物怖じせずに堂々と自分の意見を言っているように見えるが、彼はワシントン・コンセンサスを世界展開の武器にするグローバル企業やバルジ・ブラケット(世界の上位投資銀行群)の犬(スポークスマン)として語らされている。
竹中が、さも自分の考えのように提言していることは、全てが上記海外勢力の意図を忠実に反映したものであることは、過去からの発言や記述を見ると客観的に見えてくる。蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘ると言うが、竹中が発言するポリシーも典型的にその形を踏襲している。
じつは、このお白洲発言も竹中のオリジナルではなく、グローバル企業群や大企業の日本の国政に対する恫喝的な注文を忠実に翻訳しただけのことなのだ。お白洲を引き合いに出していることは、それを物語っている。
グローバル資本は日本政府に対し、どういう形でもよいから規制緩和に抵抗する勢力をあぶり出して、彼らを完全に無力化しろという命令が出されているはずだ。それがお白洲発言として転嫁されたということであろう。
小泉構造改革では、修正資本主義者たちの残党が抵抗勢力として敵視され、徹底的に殲滅されたことと、今回の竹中によるお白洲発言は完全に同質のことなのである。小泉政権から第一次安倍政権に移る頃だったと思う。
小泉政権下で郵政民営化や構造改革の辣腕をふるっていた竹中平蔵は、政権初期の期待とは異なり、国民生活が苦しくなったとすれば、それは構造改革が中途半端だからであり、もっと急進的に確実に構造改革を遂行することが最大の課題だということを言っていた。
国民生活の逼迫が構造改革の不十分さから来ているという論陣を張っていたのである。その基本論調は今も続いていて、何が何でも構造改革(=規制緩和)だというのが竹中のポリシーを特徴づけている。
竹中の『不十分な構造改革』を、海の向こう側のグローバリストたちの本音として言いかえればこうなる。
いわく「不十分な新自由主義」「不十分なワシントン・コンセンサス」「不十分なフリードマン主義」「不十分な対米隷属主義」「不十分な対コーポラティズム従属」「不十分な修正資本主義破壊」「不十分な福祉政策破壊」「不十分な反ケインズ政策」「不十分な大企業・外資優遇政策」「不十分な国民奴隷化」「不十分な共通社会資本の民営化」などであろう。
以上は決して皮肉ではなく、グローバル資本の本音なのである。竹中平蔵を中心とする安倍政権の経済政策は、全てが上の表記に収斂されているのである。これが端的な政策となって出てきたのが「国家戦略特区」なのである。
要するに、竹中平蔵のベーシックなポリシーは、国民をガードするあらゆる法制度を“企業優先”、“企業利潤の最大化”という内容に変更し、同様に国民を守る規制を撤廃ないしは緩和して、国家機能が担う領域を全て民間に明け渡せということになっている。
竹中は「構造改革が不十分だ」という論旨を昔から張っていたが、今ではその表現は『規制緩和が不十分だから』となっている。だがそれは政策思想的に言えば全く同じ方向性である。規制緩和に反対する奴は片っ端からお白洲に引き出せというのが、傀儡子(くぐつし)・竹中平蔵の本意であるから、このお白洲発言の背景にはグローバル資本による対日改造の不可逆な悪意が強く反映しているのである。
小泉・竹中構造改革は、改革ばかりではなくネガティブな側面ももたらしたなどと考えている連中は甘すぎる。あれは全面的に国民毀損、国家毀損の国策だったというほうがはるかに正しい。
小泉政権は修正資本主義という既存システムの大破壊と、新自由主義への大転換を行った、まさに日本憲政史上におけるパラダイムの急激な変遷だった。小泉政権とは、旧田中派政治の金権利権構造を抵抗勢力と名づけてそれらを攻撃しながら、「聖域なき構造改革」というスローガン掲げて、さもそれが、最も進歩的な政策理念であるかのように国民をペテンにかけた食わせ物政権だった。
ここに打ち出されていた竹中平蔵の独善的スローガンこそ、「構造改革を否定する者は進歩に逆行する抵抗勢力だ」という単線的な進歩史観であった。この単線的な進歩史観は今も強力に生き続け、今では「“規制緩和”を否定する者は進歩に逆行する抵抗勢力だ」と頑強に思い続けている。
一人で思っているだけなら実害はないが、安倍政権は竹中の経済政策を最大限に重用し、産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議等で、竹中本人を経済の総理大臣のように遇している。小泉政権と同じ形なのだ。竹中を影の総理大臣にしてしまったために、竹中は勢いに乗って、昨年4月17日の産業競争力会議で「国家戦略特区法案」を言挙(ことあ)げし、わずか8カ月でそれは法制化されてしまった。
この日本解体法案が、今、我々全ての日本国民を奈落の瀬戸際まで追い込んでいる。
安倍政権は竹中平蔵のお白洲発言に沿って、おそらくは規制緩和の反対派や慎重派に対して、善悪二元論の強行作戦をとって来るだろう。やみくもな規制緩和に批判的な意見を言う者たちは、反構造改革派として処罰対象になるかもしれない。安倍政権はそれくらいルナティックでグローバル資本に盲従する危ない政権なのである。
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