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次の3本の映像は15年前の作品だが、いまも色あせない。
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「日独裁判官物語」の精神を広げる
2009年12月7日
片桐直樹さん(映画監督)
http://www.saiban-kenpo.org/hatugen/backnumber/091207.html
ドキュメンタリー映画『日独裁判官物語』が公開されて10年たった。
「日本の司法はどうにもならないことになっている。司法改革と云う事が司法界はもちろん政治に場でも経済界でも盛んに叫ばれている。しかし国民にはちっとも浸透していない。真に国民のための司法とは何か?を考えるための映画を作れないだろうか?」と云う相談を、後に製作母体となった「記録映画日独裁判物語製作・普及100人委員会」の弁護士さん達から受けたのは1997年春のことだった。ある弁護士さんは先年ヨーロッパに視察に行って彼の地の裁判官が市民的自由を生かして様々な活動を政治、社会、文化面でやっている姿を見て、何と日本と違うのか?と感じられた。日本の裁判官は全くの閉塞状態にある。欧米の裁判官と日本の裁判官の例えばアフターファイブを比較した映画が出来ないだろうか?と云うところから出発したのである。
私は恵庭事件をテーマに「裁かれる自衛隊」を、憲法に違反し肥大化する自衛隊を告発する「自衛隊〜その実態と私たち」などを製作してきたが、日本の裁判所は長沼ナイキ訴訟第一審判決を除いて自衛隊の合違憲性の判断を避けてきた。日本の裁判官が市民の前で発言することはほとんどなく、私は、裁判官は何を考えているのだと憤慨していた。
また1970年以来、私は当時東ドイツのライプチッヒで開かれる国際世界記録映画祭に初めて参加してから93年まで毎年のようにドイツに行っていた。当初は出品し、賞を貰って(「自衛隊」「トンニャッと・ベトナム」は銀鳩賞)国際審査委員を務めるようになり、時には日本のTX番組を何本か製作したこともあり、ドイツとは縁が深かった。そんなことから1985年ヴァイツゼカー大統領の「荒野の40年」と云う名演説、「過去に目をふさぐ者は現在も盲目である」と云う有名な演説であるが、それをテーマに戦後40年のドイツと日本を比較するドキュメンタリーの企画をTV局に持ち込んだが成功しなかった。ベルリンの壁の崩壊したときもそうだった。そんな事があったので、日本の司法は多くドイツから影響を受けているといわれるし、戦前のファシズム国家、敗戦、経済大国
と同じ歴史経験を持つドイツと日本の司法に絞って描くことでより分かり易い作品をつくれるのではないかと考え、これはぜひ成功させねばと取り組んだのであった。
ドイツでの取材、ロケは関係当局、裁判官組合の絶大なる協力で大成功だったが、苦労したのは日本の裁判所、裁判官であった。その救いがたい閉鎖性と官僚制。一時はこれでは日独裁判官物語ではなく、独独裁判官物語になっちゃうとの声も出たほどだった。
この映画を見た法曹界の人々のなかには、彼我の差に驚きながらも、法制度や国の体制の違いとして受け止める傾向があった。しかし、一般の人々からは「愕然とした」「思わず笑ってしまうほど、この国は遅れているのですね」(22才学生)、「このままでは日本の民主主義は大変なことになる」(48才女性)、「ドイツと日本のこの格差は社会全体の格差ではないかと考え、背筋が寒くなりました」(55歳会社員)などの感想が寄せられた。人権と自由は民主主義の基本であるからだ。特に主婦の方々が映画を観てそのことを考えてくれた。
その年(1999年)、政府に司法制度改革審議会が設けられ、司法改革への国民的な関心が高まった。現職の裁判官たちが「日本裁判官ネットワーク」をつくり、市民集会やテレビ番組で発言を開始した。
2001年に司法制度改革審議会が意見書をまとめ、その後司法改革に関わる様々な施策が実施された。法曹増員と法曹養成制度改革、被疑者国選弁護制度の実施、日本司法支援センター(法テラス)の開設などが進められ、今年からは裁判員制度も始まった。この間、裁判官に関わる施策としても、裁判官の指名の適否
に国民の意見を反映させる委員会ができた。
この間の司法改革の進展は、自民党中心の政権が新自由主義的な政策を推進してきた一環とも言えるが、弁護士会や市民の司法改革への関心と要求なしには実現しなかっただろう。『日独裁判官物語』がその流れにいささかなりとも貢献できたとすれば、感慨深く思う。
もちろん、こんにちの司法改革の到達点はシビアに見る必要もある。私は、市民の裁判への参加も、その趣旨をより徹底するため、裁判員制度から陪審制度に発展させるべきと考える。市民に開かれ、市民の権利を擁護する裁判所にしていきたいという『日独裁判官物語』の精神について、あらためて多くの方々と語り合いたいと思う。
【片桐直樹さんプロフィール】
映画監督。『裁かれる自衛隊』『自衛隊』『トンニャット・ベトナム』『生きるための証言』『日独裁判官物語』『人として生きる』『戦争をしない国 日本』など多くのドキュメンタリーを監督、一貫して社会的問題に取り組む。
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映画『日独裁判官物語』
http://www.jicl.jp/now/cinema/backnumber/20090330.html
日本とドイツの裁判官の違いを浮き彫りにしつつ、日本の裁判官のあり方について問題提起するドキュメンタリー映画です。
映画では、日本の裁判官たちが、日々の仕事のハードさを嘆き、市民集会で発言すれば処分され、最高裁から睨まれると人事や給料で差別されることを語ります。一方で、ドイツの裁判官がスクーターで裁判所に通勤する様子、普通の市民と同じように地域の人々と交流し、自由に意見交換する様子などが映し出されています。日本の裁判官をめぐる問題点がドイツとの対比でよくわかります。
5月から裁判員制度が導入され、市民が裁判に参加するようになります。
多くの人は、裁判官というと難しい法律を理解していて、物事を公平に判断できる人だと思っているのではないでしょうか。したがって、多くの人は、素人が裁判に参加しても、裁判官の言うことに異議を唱えるなんてことはできるはずはない、と感じているのではないでしょうか。
日本では被告人の99%が有罪になります。裁判官は、検察官が起訴した、ほぼ全員の被告人を有罪としているのです。したがって、裁判員裁判に参加する市民はお飾りにされるだけだという指摘もあります。
しかし、裁判官も人の子です。多くの裁判をかかえて四苦八苦し、できるだけどんどん処理していきたいというのも人情ですし、同時に、決して無辜を罰してはならないとも思っており、その狭間で悩ましい日々を送る裁判官も多くいるのではないでしょうか。
裁判員制度の導入にあたってはいろいろな検討課題がありますが、裁判への市民の積極的な参加が日本の裁判を大きく改革していく可能性を持っていると思われます。市民は、裁判官という人たちと彼ら彼女らをとりまく状況・問題点を理解しながら、裁判に参加していきたいものです。映画『日独裁判官物語』は、ぜひいま、多くの市民に観ていただきたい映画です。
製作:1999年
上映時間:60分
監督:片桐直樹
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http://www.ctv.co.jp/realtime/20090529/
“裁判所という大きな組織、その中で出世を重ねるには、上司に気に入られなければならない。幾つかの事件では、真実は消え、被告人は泣いた。”
―― 元裁判官の現役時代の日記。記したのは、福島重雄さん(78)です。35年前、「自衛隊の憲法九条違反」を認定。しかしその後、裁判長の椅子を追われ、これまで長い沈黙を守り続けました。
「裁判所の“官僚制”こそ、諸悪の根源。」そう語る、元裁判官の安倍晴彦さん(76)。最高裁の判例に背く判決を書き、出世とは無縁の人生を歩みました。「良心に従って判決する。」その“裁判官の独立”を守ろうと、閉ざされた組織の中で孤軍奮闘しました。
「ベルトコンベアーのようだ。儀式化している。」と、最近の刑事裁判に不安を感じているのは、元裁判官の丹羽日出夫さん(65)。現役時代、自ら下した「死刑」、そして「無罪」の判決の重みを語ります。
いよいよスタートした、市民参加の「裁判員制度」。一方で職業裁判官の世界は、どれくらい公にされてきたでしょうか?“良心”に忠実に仕事をし、組織の中で冷遇された元裁判官たちの訴え。それはメディアの前でほとんど語られることのなかった、裁判所組織の“負の一面”を描き出しています。
このうち、自衛隊を裁いた福島重雄元裁判官の証言をまとめた本が、出版されました。 「長沼事件 平賀書簡 〜35年目の証言〜」 日本評論社 詳しくは、日本評論社のホームページをご覧下さい。 |
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