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「役所の顔色を伺わなければ次期の当選はおぼつかない」と考える人々のみが議会で立法し半世紀経った結果、「公務員家族以外の相手と交際は認めない」などという親御さんまでいるとのこと、まさにインドのカーストのような格差社会になってしまいました
代議制民主主義では この先何年経っても議員の離合集散ばかりで時間をとり、政治は改革できず、更なる格差拡大 いつか 治安の極度の悪化、社会不安へと進んでいくのではないでしょうか
そもそも国民の四倍以上の報酬をとる人々が その寄って立つ体制を変革したいと考えることには矛盾があるのではないでしょうか
今の 永田町と霞が関は議員諸侯の身分の源泉なのです
この先も 役所が情報を恣意的に加工して議員に渡し、議員が役所の顔色を伺いつつ立法することが永続することでしょう
そもそも 自分自身の利益を顧みることなく、社会を良くしたいーーと志して、大金を賭けて立候補されるという崇高な精神の方が世の中に存在するものなのでしょうか、
これは代議制民主主義そのものが大きな矛盾の上に構成されていると言うべきではないでしょうか
短期間の選挙では、笑顔と握手そして無責任公約ーーーーこのようなことで「立派な立候補者を選べる」とした制度はあまりにも雑で幼稚な制度と言わなければなりません
しかも立候補者の過半は社会の中では上位かもしくは体制の恩典に浴してこられた人々と言っては言い過ぎでしょうか、社会の不条理や他人の痛みが分かる人がどれほどおられるのでしょうか
「いまどき水道の水を飲む人なといるの?」と言われた大臣がいました
どうして「もはや政治からは何も期待しない」と考える人々が八割近くもおられるのでしょうか
しかも政治テーマによっては、いくら与党ファンであっても「このテーマだけは野党を支持したい」というケースもあるでしょう
その証拠に 例えばTPPでは政党の内部に異論が続出しているではありませんか
「国民と違って議員は正解できる」のならなぜ党内に多くの異論があるのでしょうか
億を超す年収を捨てて立候補した橋下氏に多くの国民は注目し、支持したことがあります
しかしどうやら彼は「自己の政治観は優れている、何としてもこれを実現したい」とお考えをお持ちのようです
個人の価値観は、生育以来の経験を基盤として形成されるものです。ここで国民の普遍的な価値観とはかなり違ってくるでしょう
大統領制度では 世界に多くの失敗例があるのをご存じでしょうか
あらゆる失敗は 情報量の過少によります。個人がいかに優れていても個人の知識では大したことはないのです
スイスのように重要テーマは国民投票で決すべきではないでしょうか
選択の責任は、議員は任期の期間のみですが、国民が選択すればその責任は国民が子子孫孫まで持つのです、国民はより真剣に考えられるでしょう
激変を避けたいなら参政員制度です
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