01. 2014年6月22日 23:09:33
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2014.06.22 「平和の党」から「戦争加担の党」への変質、集団的自衛権の行使容認に関する自公合意で公明党は国民の歴史的審判に曝されるだろう 〜関西から(141)〜 広原盛明(都市計画・まちづくり研究者) 安倍首相と山口公明党代表が6月19日、首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更をめぐり、与党協議で早期に結論を得る方針を確認したとされる(産経新聞、2014年6月20日)。それと並行して(それを受けて)政府・自民党は19日、国連の集団安全保障について日本が武力行使できる方向で調整に入ったという(朝日・毎日新聞、6月20日)。 国連の集団安全保障とは、武力攻撃を行った国に対して国連軍や多国籍軍が安保理決議に基づいて制裁(武力攻撃)を加えることだ。日本の歴代自民党内閣は憲法9条を踏まえて、集団的自衛権(密接な関係にある他国が攻撃された場合、自衛隊が武力で反撃する権利)の行使はもとより、集団安全保障にもとづく国連軍や多国籍軍への自衛隊の参加についてもこれを認めてこなかった。それが一転して、集団的自衛権の行使も国連軍への参加も閣議決定で認めるというのだから、もうこれは憲法も何もあったものではない。 しかも驚いたことに、政府・自民党は6月22日の今国会会期末までに公明党と合意することは一応見送ったものの、6月中には与党合意を成立させて7月上旬に閣議決定する見通しだというのだから、すでに安倍首相と山口代表との間では集団的自衛権の行使容認については実質的合意が出来上がっているのだろう。表向きは「期限を切らない」とか「与党協議の結果を尊重する」とか言いながら、公明党が連立離脱をしない(できない)とみるや、安倍政権は「毒を喰らわば皿まで」とばかり集団安全保障への参加容認までを持ち出して一気にけりをつけようというのである。 こうした実態を見れば、「平和の党」とか「護憲の党」といいながら、公明党の果たしている役割は自民党の「隠れ別働隊」そのものに他ならないことがわかる。「自民党にブレーキをかける」とか「党内野党の役割を果たす」などと言って国民の目をごまかし、マスメディアに対しては「公明党を信頼すれば解釈改憲を阻める」といった期待を持たせながら、密室協議の裏で合意成立の機をうかがってきたのである。良識ある国民なら怒りを抑えることができないだろう。 まあ、ざっとこんな主旨の拙ブログを書いたところ(6月20日)、いつも辛口のコメントをくれる福岡の友人が、「大甘の分析だ。事態はそれどころではない。公明党は謀略政党そのものだよ」といって、西日本新聞の大スクープ記事(2014年6月20日)をファックスで送ってくれた。 「自衛権行使『新3要件』公明が原案 自民案装い、落としどころ」と大見出しをつけた西日本新聞の1面トップニュースには、自民党の高村副総裁が6月13日に与党協議で提案したとされる自衛権行使の「新3要件」は、実は公明党の北側副代表が内閣法制局に作らせ、高村氏に手渡したものだったという驚くべき事実が暴露されていた。北側氏をはじめとする公明党執行部が、解釈改憲で対立する首相と山口代表の「落としどころ」を探るため、山口氏が「憲法解釈の一番のベースになっている」と尊重してきた1972年見解を援用する形で、限定容認と読み取れる原案を内閣法制局に作成させていたというのである。 産経新聞が伝えるように、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定は、6月19日に行われた安倍晋三首相と公明党の山口那津男代表の党首会談で最終局面に入ったとされる。そこでの解釈改憲の核心は、自衛権行使の「新3要件」のなかの「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」場合、という集団的自衛権行使に絡むくだりである。この文言をめぐり公明党内では異論が続出し、議論が紛糾していると伝えられているが、山口代表は首相との1対1の会談後、1972年見解について「尊重しながら議論する」と記者団に述べている。公明党執行部は連立政権を最優先する立場から、憲法9条を足蹴にする解釈改憲を受け入れることをすでに決めているのである。 国民や公明党支持者はもとよりマスメディアさえも欺いてきた公明党の体質は、「謀略政党」そのものとして厳しく批判されなければならない。しかも高村氏提案の自衛権行使の「新3要件」の原案が公明党によって作られたと言うのだから、この文書を「はじめて見た!」と驚いて見せた北側副代表などは、さだめしナチスの国民啓蒙・宣伝大臣ゲッベルスに匹敵する「謀略の天才」にちがいない。
マスメディアはこれまで安倍政権の改憲強行路線は批判しても、その追随者である公明党に対する批判に関してはまったく及び腰だった。それどころか公明党の「踏ん張り」や「良識」に期待をかけ、自公協議の進捗状況に一喜一憂するという「待ちの姿勢」にさえ陥っていたのである。公明党は山口代表や北側副代表らが「自公連立政権からの離脱はない」と再三再四言明しているように、あくまでも自民党に追随する姿勢には変わりない。そして公明党が自民党政権にしがみつく以上、最終的には安倍内閣の要求を呑む以外に道はないと考えるのが常識ではないか。なのに、マスメディアがこんな自明の結論に目をふさぎ、自公協議の進捗状況に目を奪われて公明党に対する批判を怠ってきた。その結果が集団的自衛権の行使容認はもとより、いまや自公協議が国連の集団安全保障に踏み込むまでに至ったのである。 特定秘密保護法案の自公協議のときもそうだった。世論は反対一色に染まり、法案の危険性についてマスメディアが挙って反対の論陣を張った。にもかかわらず、結局は公明党の賛成で法案はあっさりと成立した。だが不思議なことに、主犯の自民党は批判されても共犯の公明党はいっこうに批判されなかった。そして今回の集団的自衛権に関する自公協議もまったく同じ道をたどっている。同じ道は同じ行先に通じているのだから、このままで行けば「いつか来た道」をそのまま辿ることになる。 私たちは、公明党が自公政権の解消に踏み切らない以上、世論がなんと言おうと自民党の「下駄の雪」になるほかはないという現実を直視しなければならない。この厳然たる政治的現実をみないで公明党に期待することは、まるで「森に魚を求める」ようなものだ。結論的に言えば、連立政権を解消しないことを前提とした自公協議は、国民の目を自公協議に釘付けし、改憲反対運動のエネルギーを茶の間に封じ込める茶番劇以外の何物でもないということだ。 そうでないことを祈りたいが、もし6月中に集団的自衛権の行使容認(および集団安全保障)に関する解釈改憲の合意が成立し、7月上旬に閣議決定されるようなことがあれば、自公両党は国民の歴史的審判に曝されるだろう。そして「平和の党」という仮面をかぶった公明党は、否応なく「戦争加担の党」としての正体を暴かれるだろう。そのとき、「平和の党」の看板を真面目に担いできた公明党員やそれを信じてきた創価学会会員はいったいどのような態度をとるのであろうか。公明党幹部はいつまでも「大きなウソにはだまされやすい」国民大衆をだまし続けるのであろうか。 http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2828.html |