58. 天橋立の愚痴人間 2014年6月20日 23:33:18
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>50さん、貨幣の性格に注目されるとは、よい視点であると思います。この金の問題をしっかりと解きほぐすのに、実は下記の様に少し専門的な概念の把握が必要です。 とっつきにくければ読み飛ばしていただき、要するに、現在は途方もない貨幣が出回っていて、それは実体経済を反映しているものではないにかかわらず、そういうものを取り扱おうとする金融政策の為に、皆さんが感じる矛盾が噴き出しているのです。 そうして、なぜ、このようになったかと言えば、ご指摘の様に貨幣の流通の過程で利息と言うものが介在し始めてきた時からです。 とはいえ、利息は貨幣経済が始まると同時にあったものと考えねばなりません。 それが最近は、利息を稼ぐ事を目的とした貨幣の流通の度合いが増えてきてこのようになったのです。 信用創造と言う話も御聞きになる事があると思います。 要するに市場主義経済は、そうした貨幣を媒体として急激にグローバル化をなしてきたのです。 とりあえずは、下記の文章に目を通していただき、貨幣の仕組みの大きな面を御覧ください。 (資料1) 現在、世界中に2京円のマネーが出回っていると言う話があります。 これを検証してみましょう。 日本のマネーストックは2012年で1150兆円、同じくGDPが475兆円として、GDPの2.4倍のマネーストックがあるとする。 これに対して世界中のマネーストックの合計を推定すると 世界の187カ国のGDP総計は、2012年で7220兆円。 つまり、7220×2.4=1京7300兆円と言う事になる。 (単位はドル・円の換算をおおよそでやっています、あしからず) 後は正規のデーターには上がらない、怪しげな金が数千兆円ほどあるのでしょう。 国によって事情が違うが、おおよそと言う目安にはなるでしょう。 さて、いきなり世界のマネーストックの話から入りましたが、とりあえずは、我が国の中のマネーの流れについて見てみましょう。 マネーストックとは 世の中に出回っているお金の総量のことで、通貨残高ともいいます。 世の中に出回っていると言う意味は、金融機関を除く民間の企業、個人のマネーの総計であり、預貯金額を含めるので現実に流通している日銀券の総計ではなく、現金及び帳面上のマネーの事です。 この数値は金融政策において重要な意味を持つので、目的に応じて以下の4通りの識別をしています。 M1 現金通貨と預金通貨を合計し、そこから調査対象金融機関保有の小切手・手形を差し引いたもの。 対象金融機関は日本銀行(代理店預け金等)、国内銀行(ゆうちょ銀行を含む)、外国銀行在日支店、信金中央金庫、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫、その他金融機関(全国信用協同組合連合会、信用組合、労働金庫連合会、労働金庫、信用農業協同組合連合会、農業協同組合、信用漁業協同組合連合会、漁業協同組合)。 ※現金通貨 = 銀行券発行高 + 貨幣流通高 ※預金通貨 = 要求払預金(当座、普通、貯蓄、通知、別段、納税準備) - 調査対象金融機関の保有小切手・手形 M2 現金通貨と国内銀行等に預けられた預金を合計したもの。対象金融機関は日本銀行、ゆうちょ銀行以外の国内銀行、外国銀行在日支店、信金中央金庫、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫。 M3 M1 + 準通貨 + CD(譲渡性預金)。対象金融機関はM1と同じ。 ※準通貨 = 定期預金 + 据置貯金 + 定期積金 + 外貨預金 広義流動性 M3 + 金銭の信託 + 投資信託 + 金融債 + 銀行発行普通社債 + 金融機関発行CP + 国債 + 外債。対象金融機関はM3のものに加えて国内銀行信託勘定、中央政府、保険会社等、外債発行機関。 2012年のマネーストックはおよそ1150兆円と言われています。 (ベースマネー)
これに対してベースマネーと言う事について見てみましょう。 世に出回っている現金と、各金融機関が日本銀行に預けている「当座預金」(法定準備預金)の合計。ハイパワードマネーとも言う。 各銀行が日銀に預けている「当座預金」とは、法定準備預金と言い、銀行が保有する預金額の一定の割合を日銀へ預けておかねばならないと言う制度です。 その比率は、時によれば10%近く高くもしますが、現在は0.05〜1.3%であり、世に言う量的緩和を最大限にしている状態です。 法定準備金制度は、日本銀行の役割が、経済活動に応じてマネーストックを調整する為に設けられ、通貨残高の動向を監視して、市中に出まわるお金の総量が常に適量となるように調整しています。 ところで、このベースマネーがどれくらいであるかと言えば、これも2012年で114兆円となっています。 現実に流通している日銀券は80兆円あまりと考えられます。 それでは、次にマネーストックとベースマネーの関係ですが、 通常、マネーストックをベースマネーで割った関係を言い、これを貨幣乗数と言います。 たとえば、1150兆円のマネーストックに対してベースマネーが114兆円とすると 1150÷114=10.08となります。貨幣乗数のことを信用乗数とも言い、銀行の信用創造の状態を現します。 金融政策でマネーストックが増えるメカニズムは信用創造と呼ばれるものです。マネタリーベースを財源に産業に貸し出されたお金はマネーストックとなり、支払いを経て、預金となり、その預金が再び貸し出されて、投資や消費に使われ、再び預金となるという繰り返しで、徐々に預金総額が増え、債務の拡大と共にマネーストックが増えていきます。これを信用創造といいます。信用創造の過程で、投資や消費が繰り返えされることでGDPも増加して行きます。 これが大きいほどよいとも言えませんが、少なくとも景気が良い状態の場合は、このようになります。 現在のそれは外国の諸国に比べると高いのですが、それが必ずしも国民経済の好調を現している訳でもないことは御分かりでしょう。 先にも書きました、法定準備金制度などの手法を使い、日本銀行の役割が、経済活動に応じてマネーストックを調整するとありますが、最近十年以上と言うよりも、バブル崩壊以後、そうした日銀の金融操作でマネーストックが有効に機能し、実質の経済が好転することはなかった。 要するに、従来の日銀による金融操作の手法は形だけのものとなり、役に立たなくなっている。 ところで、貨幣の問題を、糾弾掲示板でお付き合いしている、満天下有人さんと言う方が次の様に読み説いておられます。 (資料2) 人間生存と貨幣:満天下有人 人類が生存の為に要する必要物資を得るのに、あらゆる財の交換価値を計る尺度としての便利な貨幣が、その交換の仲立ちを始めるようになりました。 特に産業革命以降は、技術の発達により「膨大な商品」が生産され、貨幣の仲立ち無くしては、拡大した経済のパイを維持出来なくしてしまいました。 行われる生産活動は、人間の生存をも資本のコストとすることによってしか生存 人間の生存もこの貨幣が左右するようになってしまい、人間は生存を維持する為にこの貨幣を得なければ生きて行くことが出来なくなってしまい、一方で資本によってし得ないものだから、ここに大きな矛盾が生じてしまい、資本を持たない生活者は労働力を資本に売ることでしか生存そのものを維持出来なくなってしまった。資本は資本の生存の為には人間の生存は二の次で、だが人間はそれでも生きて行かねばならない。 生きる為に必要な物資を手にするには、貨幣を得なければならない。商品の生産、消費を通じてしか得られない貨幣・・・その貨幣経済下にあって、ならばいっそのこと、その貨幣を得ることに特化すれば便利ではないか・・・ここで金融資本の勃興が始まり、それがまた生産資本の支配権を得てしまう。 歴史的に大きな流れは、このようなものでしょう。 それ自体、何の価値も無く交換手段でしかない貨幣、だがそれによって人間の生存をも左右する貨幣、その概念を変えない限り、格差の解消どころか人類生存をも危うくしてしまう。当スレッド・新しいかたちの趣意は多分そこに置かれているのでしょう。つまり貨幣問題からアプローチしない限り、新たな世界は構築できない。 その意味で、人間が、現存しその中で生きている資本主義の下で、どのように貨幣=資本の概念を変えることが出来るか、言い換えると貨幣なるものが、利潤を得て、それを最大化することに特化されてしまった事に焦点が合わされてしまった現状に対し、貨幣無しでは生きていけない人間生活が一方で現存するのだから、貨幣における「概念的価値」を変えない限り、貨幣を得る為の方法論に終始してしまう。分配論もその一種でしょう。 貨幣を単なる交換価値手段として見るのではなく、そこに新たに人間生存価値貨幣の概念を構築できないものか・・・それを左右するのは結局の所、経済社会の構造転換という大命題が前提となり、貨幣だけからのアプローチでは大変に難しいとは思いますが、どのような論理の展開になって行くのか、注目させて頂くことにします。 (引用終わり) こうしたことが現状なのです。 最後に、通事態の概念のまとめをしてみます。 (資料 3) そうして新経済の仕組みを考えるときに、この貨幣の概念についても踏み込まねばなりなりません。 通貨とは
金貨、銀貨であった頃の通貨は、通貨自体に交換価値があったので、この時代の通貨は別の範囲とします。 現代社会の通過とは 1 それで欲しいものと交換できる。 2 通貨は冨(生活の保証)の保存手段である。 3 通貨自体が利殖の対象となりえる。 4 通貨は、それ自体、増産できる。 5 上記の機能を保持する為に、通貨の管理には運用責任者が必要である。 >1 それで欲しいものと交換できる。 通貨の始原的な機能であり、共生社会の根源を作ってきた。 >2 通貨は冨(生活の保証)の保存手段である。 人間の気力を醸成し、社会の発展の原動力となって来た。 >3 通貨自体が利殖の対象となりえる。 資本主義経済のシステムの中核の論理で、これゆえに経済は驚異的な発展をしてきた。 >4 通貨は、それ自体、増産できる。 究極の経済理念として、未来社会の構築の根本原理。 生産手段の発達に伴い働く必要のない人間が増えすぎると、そうした人間を抹殺するか、救済するかの判断が迫られる。 救済するならば、当然、働かなくても生きて行ける為に、商品の交換手段としての通貨を配布する必要がでてくる。 この通貨は、経済活動の媒体としての通貨からは捻出できない。 >5 上記の機能を保持する為に、通貨の管理には運用責任者が必要である。 前、4項目を維持する為には、従来よりも一層の通貨管理の体制が必要になる。個人的な理由で通貨を発行する事の無い様に厳しく管理する必要がある(管理社会)。 前、4、5の項目により、通貨の概念は、需要と供給の媒体として存在してきた通貨の本質を転換させるものである。 (地域通貨)
地域通貨と言う話も出ているようです。 確かに、その様に考える方は、他にもおられます。 最近ピットコインの問題が騒がれていたでしょう。 あれも一つの地域通貨の様なものですが、いくら公的通貨と違うものを作っても、現代社会の商品、サービスの流通は世界を股にかけて広がっています。 ですので地域通貨だけで生活することはできません。 どこかで公的通貨と換金する必要が出てきます。 そこで実際は地域通貨は意味をなさなくなるのです。 現在主婦が買い物でポイントとか称するものを集め、それで旅行とか買い物をするでしょう。 地域通貨とは、そういう程度で考えるべきものなのです。
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