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2014年06月16日 「ジャーナリスト同盟」通信
<安倍・国粋主義で見えてきた神がかりの日本>
創価学会の政治部門である公明党が、いま母体のはずの創価学会を呑みこんでいる。食い殺しているといってもいい。平和主義を駆逐している不気味さを印象付けている。他方、安倍晋三による宗教利用の危険な姿も見えてきた。神がかりの祭政一致の日本を目指している。間違いないだろう。いつか来た道である。これを国際社会がどう受け止めるだろうか。内政干渉とでもわめいて切り抜けのだろうか?国粋主義の源流は神国への傾斜でしかない。
<森喜朗の「日本は天皇中心の神の国」は本当?>
かつて森喜朗首相(当時)は、神社信仰の政治部門の集まりで、途方もない発言をして日本やアジアの人たちを驚愕させた。それは「日本は天皇中心の神の国」と。新聞記者のいる前で吠えた。
絶対天皇制を支えたものは、祭政一致の国家神道である。戦前の日本は、およそ近代を否定する神がかり国家だった。軍国少年は神がかり教育のもとで生まれた。隣国を野蛮な国と決めつけて暴虐な振舞いを行った元凶である。
殺し合いを前提にした神道・国家神道であった。神風が吹いて殺し合いに勝つという危険な宗教だった。愚民はいまも神社の祭礼に進んで参加、その意味することに無頓着である。しかし、戦争遺児は見抜いてSOSを発していた。影山友子を顕彰する理由である。この点で、彼女は抜きんでていた。神社・神道の正体を見破っていたのである。
「日本は天皇中心の神の国」という祭政一致体制で、侵略戦争を強行できたものである。完璧なカルト宗教であろう。
<靖国・伊勢・明治・出雲参拝は国家神道への道>
こんもりとした森に囲まれてぽつんと建つ社(やしろ)が、多くの神社のスタイルである。森林浴という言葉もある。実は、これこそが神道の仕掛けそのものなのである。およそ研究に値しない。それが国教として権力を背景に行われたのだ。
愚民は其れに従った。従うほかなかった。政治と権力が一体化した祭政一致体制ほど強力なものはない。民主主義など存在しなくなる。
国家神道の本山のような神社が、靖国・伊勢・明治・出雲であるが、安倍は昨年の暮れから、ここを参拝して神社信仰の熱心さをアピールした。彼には統一教会とも深い関係がある。それを打ち消すためなのか。
天皇家の宗教である神社神道は、国粋主義の源流である。岸信介は東京帝国大学の場で心酔、官僚の道に進んだ。敗戦による戦争責任を回避するや、再び政権の座に就いた。その影響を受けた人物が森である。そして孫の安倍である。
<祭政一致の日本支配に向けて>
安倍の神社総本山参拝は、全国の愚民への強烈なメッセージであろう。国家神道復活への布石と見るべきなのだ。祭政一致の日本の再構築、それが国粋主義者の野望と分析する必要がある。
内外の識者は宗教にうとい。神社信仰について無知である。「無知は犯罪」なのだということを学んだばかりだが、宗教は人間の思想と行動を束縛する。時には人殺しをいいことだと思わせる。テロの背景にこれがある。
安倍ががなりたてる「積極平和主義」は、敵対する相手からするとテロに相当しかねない。寛容・思いやりがゼロである。神社神道よりは仏教の教えの方が、はるかに上位である。闘い・戦いを抑制するからである。
国粋主義者の野望は国家神道の復活にある。そのための大きな壁が日本国憲法なのである。彼らからすると、それはあたかもドイツのワイマール憲法に相当する。それゆえにナチスの手口を用いている。
集団的自衛権の行使は、そのための第一の関門なのである。
<公明党が創価学会を呑みこむ>
正に現代日本のマンガである。公明党が親である創価学会を呑みこんでいる、今の姿である。フクロウになった公明党である。不意打ちを食らわせて親を食い殺している。フクロウは親を食い殺す獰猛な夜鳥ということが、中国や日本の仏典に登場する。
鬼気迫る事態が信濃町で繰り広げられているらしい。権力を握った公明党は、何としても手離せない。利権の味を知ってしまったのだ。公明党創立者の健康状態を見計らって大攻撃を加えている。
不意打ちを食らった信濃町は右往左往しているのであろうか。下剋上そのものだ。恐ろしい世界であろうか。これによって双方とも解体してゆく。喜んでいるのは安倍一人ではない。
<安倍は神社信仰を活用して右翼・愚民を糾合>
統一教会の利用から、いま創価学会を利用して政権を獲得した。そして今や、必死で祖父から教え込まれた「天皇中心の神の国」づくりに狂奔する安倍・国粋主義について、新聞テレビは警鐘を鳴らさない。
既に新聞テレビを、安倍流だと「しっかりと」懐柔してしまっているからだ。新聞テレビを握れば、愚民対策は容易である。
モミイのNHKは、昨日、大事なニュース報道の時間帯にサッカー報道をしていた。くだらない選手のコメント、一部のファンにスポットを当てて、あたかも日本国民が沸いているように報道している。サッカーにNHKが買収されてしまったのだ。これぞ愚民工作といっていいだろう。
安倍の方は、神社報道を新聞テレビに押し付けて、神社信仰で愚民の糾合を謀っている。間違いなく日本は危険な道へとまっしぐらに突き進んでいる。戦争遺児・影山友子が目にしたくない日本である。
2014年6月16日記
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