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2014年6月15日
根本的なことで不可思議、そして、はなはだしく異常なことが1990年代初頭から続いている。それは規制緩和によって、国民生活や社会の状態がどう変わったのかという、肝心な検証と報告が行われていないのではないのかという疑問である。
規制緩和の象徴的な人物・竹中平蔵の研究で有名なジャーナリストの佐々木実氏は、規制緩和の歴史を調べていて、ある重大な特徴に気付いたという。(月刊日本6月号より)
それは規制緩和の事後検証が行われていないという事実であるという。
佐々木氏によれば、規制緩和が実行されたかどうかの検証は行われていても、肝心の規制緩和が実行された結果生じた様々な事象(良いもの、悪いもの)についてはきちっとした調査が為されていないという。
1990年代からの規制緩和圧力と国民経済の相関関係を俯瞰すると、ざっと言って規制緩和が猛威を振るうたびに国民経済が低迷して、そのトレンドが不可逆的な性向を持つような気がしてならない。
もちろん国民経済低迷の要因は金融政策やその他の要因はあるのだが、国民生活に焦点を絞った場合には、規制緩和の負の部分が強く影響していることは否めない。
国民は対米従属、あるいは対米コーポラティズムに取り込まれている為政者、官僚、財界による規制緩和の甘言に幻惑され、グローバル資本やそれに連なるレントシーカー(政治的利益を追い求める者たち)の都合のよい政治体制に切り替えられていたことに気づいていない。
そのことは、規制緩和に実証的な検証がないことに強く表れている。神州の泉は、以前から規制緩和について、政府のリスク・アセスメント(事前チェック)や事後検証がないことを強く訝(いぶか)しく思っていた。
この理由を強いて考えると、事前検証も事後検証も、国民経済にとって都合の悪い負の結果が多いということしか考えられないのである。
――中略――
さて、2014年6月14日のMSN産経ニュース『「岩盤」打破、235項目 医療・農業・雇用、見直し着手』に、規制緩和にかんする記事が出ていた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140614/plc14061409000011-n1.htm
それによれば、13日、「政府の規制改革会議(議長・岡素之住友商事相談役)は、235項目の規制緩和策を盛り込んだ答申を安倍晋三首相に提出した。」とある。ここには反対が強い農業や医療などの「岩盤規制」でも新たな制度を導入しているという。
政府はこの答申を新成長戦略に反映するほか、規制改革実施計画を策定し、実施計画と新成長戦略は6月27日に閣議決定する。規制改革会議の答申を受け取った安倍首相は俄然乗り気になっている。
安倍首相自らがダボス会議で明言したように、「岩盤規制」について、「向こう2年間、いかなる既得権益といえども私の『ドリル』から無傷でいられない」、さらに「本年、さらなる法人税改革に着手する」と言い放ち、成長戦略にある国家戦略特区の推進を国際的に公約している。
生活保護費など数々の社会保障費の縮減している中で、社会保障費捻出の名目で実施された消費税8%、来年度は10%の実施が予定されている。
国民の血税を吸い取り、国家戦略特区法で広域エリアをなし崩し的な規制緩和の網で過当競争の激化と企業優先の社会に改変する作業が急ピッチで進められている。
これによる生活環境の激変は、日本人がかつて経験したことのないほど、惨憺たる状況に見舞われてしまうだろう。我々生活者は、この社会激変にどう対応していくのか、などという甘い事態ではない。
安倍政権が強行突破を目指している岩盤規制のドリル破砕とは、1980年代以降、経済成長の観点から多様な分野で規制緩和が行われた中で、医療・農業・教育・雇用など、国民生活の安定と密接にかかわる特に重要な分野である。
規制緩和推進派は、この岩盤規制について既得権益を持つ関係者の強い反対にあって問題の解決が後回しにされてきたものだと言い続けてきた。しかし、冷静に考えてみれば、根強い抵抗があったという話は、既得権益維持だけの理由というよりも、国民生活の守護にとってかけがえのない重要な規制であるから抵抗が強いということがより事実に近い。
「規制」というものを考えるときには、国民も為政者も「不易流行(ふえきりゅうこう)」という、昔からある四文字熟語の意味をとくと噛みしめてほしい。不易流行とは、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にあっても、常に新しい変化を重ねているものを積極的に取り入れていくことである。
世の中には変わってはならないものがあり、一方では昔ながらに筋が一本とおっている中に、常に新しい変化を求めていく“不易流行(ふえきりゅうこう)”の形が必要だ。変わってはならない規制の本質は国民や社会を弱肉強食のレッセ・フェール(自由放任状態)から国民を守ることなのである。
一方、「流行」という変化への適応は、社会や環境の変化に応じて自在に規制の縛りを変えていくことである。しかし、ここで言う変えていくことは、規制が本来守っている形を変えない前提を堅持しながら、必要な部分を変えていくということである。これが規制の不易流行性なのである。
――中略――
「年次改革要望書」書簡がスタートした1994年、経団連は規制緩和を徹底して行えば、1995〜2000年の6年間にGDPは実質で177兆円、雇用者数も差し引きで74万人増加するという試算を発表している。
その試算は全く外れているばかりか、2001年から始まった、規制緩和を核とした小泉構造改革は国民生活を奈落の底に突き落としている。単線的な規制悪玉論がどれほど有害な考え方であるかお分かりだと思う。
この状況を隠すために政府は規制緩和について事後検証を強く忌避するのである。方向性を明示しない規制緩和は、それが国民生活に負の影響を及ばすことを隠しているからだ。また、佐々木実氏が述べたように、規制緩和の事後調査が行われていない事実が上述の話を物語っている。
この観点から、規制緩和を売り物にする国家戦略特区がいかに危険な法制度であるかが分かると思う。政策自体が売国なのである。規制がなぜ存在するかについては、今こそ国民が真剣に考えねばならない時であろう。
規制は不易流行の形を保持するべきである。
時代や社会の変化に応じて変えていくべきところは変えて行っても、規制が担う本来のガードシステムは絶対に変えてはならない。しかも、その規制は国家が担うのである。
規制というものは商業主義になじまない領域において、国民生活や社会の安寧(あんねい)を守るために存在する。これが大企業利潤一辺倒の規制緩和で破壊されようとしている。
――中略――
本来なら1990年代初頭から始まっている、日本市場への内政干渉は日本版のエクソン・フロリオ条項を打ち立てて、グローバル資本からの経済侵略を防衛しなければならなかったのだ。1990年代から始まっている、結果検証のない規制緩和は、国民の安全と生活権を奪い、大企業や外資だけに奉仕する形となっている。しかも、この規制緩和は、検証もされていないし、不可逆な形に固定されている。
これは外国のグローバル資本が日本に求める対日改造プログラムの一環なのである。これに早く気づかないと、日本は終わる。
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