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例によって産経新聞は不都合な事実を隠すために紙面を使っているが、攻撃された広島大学は沈黙
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201406140000/
2014.06.14 18:39:03 櫻井ジャーナル
産経新聞は5月21日付けの紙面で広島大学で教鞭を執る「韓国籍の男性准教授」を攻撃する記事を掲載したが、この准教授を広島大学は擁護していないようだ。大学の最高責任者は浅原利正学長であり、担当責任者は吉田光演総合科学部長にも本来なら学問の自由を守る義務がある。広島大学は「大学」に値しないということだ。
「演劇と映画」と題された講義で「慰安婦」の問題を取り上げ、韓国映画「終わらない戦争」と題されたドキュメンタリー映画を上映したという。こうした「慰安婦」の取り上げ方を許せないと産経新聞が思っていることは秘密でも何でもない。
ただ、この准教授をダイレクトに攻撃せず、『慰安婦募集の強制性があたかも「真実」として伝えられたことに疑問を呈し、「何の説明もなしに、あの映画を流すのは乱暴だ」と指摘する』男子学生を登場させている。ついでに「ため息」をつかせているが、この種の人たちが好んで使ったり使わせたりする表現だ。
ところで、アメリカには大学でイスラエルを批判する教員を監視するため、「キャンパス・ウォッチ」のような団体のネットワークが張り巡らされている。この団体は2002年に設立した設立したダイニエル・パイプスの父親はハーバード大学の教授だったリチャード・パイプス。
ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官だった時代、リチャードはCIAの内部で活動していた対ソ連強硬派グループの「Bチーム」を率いていた。既存の分析官の報告が気に入らない好戦派は、自分たちにとって都合の良い情報を提供するチームを編成したのだ。このチームには後にネオコンの中心的な存在になるポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。
この当時の大統領はジェラルド・フォード。スピロ・アグニュー副大統領が汚職疑惑で辞職、その後釜に座ったのがフォード。次にリチャード・ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失脚し、大統領になった人物だ。この時代、「デタント(緊張緩和)派」が追放され、好戦派/ネオコンが台頭してきた。ドナルド・ラムズフェルドやリチャード・チェイニーもこの時代に頭角を現している。
イスラエルは「ユダヤ人の国」と言われるが、実態は「シオニストの国」。シオニストとは、エルサレム神殿があったとされる「シオンの丘」へ戻ろうというシオニズム運動に共鳴している人びとだ。ユダヤ教とは別の概念だが、自分たちの防御装置として「ユダヤ人」を隠れ蓑に使っている。
ナチスの弾圧を経験しているユダヤ人の中にはイスラエル政府のパレスチナ人弾圧を厳しく批判する人も少なくない。ナチスの強制収容所を生き抜いた両親を持つ学者、ノーマン・フィンケルスタインもそうしたひとりで、親イスラエル派の攻撃を受けている。
フィンケルスタインはシカゴにあるデポール大学の助教授だった。学生の評判も良いという同氏が終身在職権を与えようという動きが出ると、ハーバード大学のアラン・ダーショウィッツ教授が反フィンケルスタインのキャンペーンを開始、大学に圧力をかけ、終身在職権を否決させただけでなく、雇用契約も打ち切らせてしまった。
第2次世界大戦の前からアメリカの巨大資本はメディア支配に熱心で、1980年代には制圧に成功した。次いで熱心なのが大学の支配。欧米では大学の自治を尊重する歴史があるのだが、そうした伝統も支配層は破壊してきた。そうした中、キャンパス・ウォッチも創設されたわけである。
ネオコンの強い影響下にある日本もそうした動きを追いかけている。「学問の自由」という感覚が希薄な日本人は簡単に支配者の学問支配を許してしまった。「日の丸」や「君が代」といった「踏み絵」にも抵抗せず、官僚が全てを支配するシステムへ変えられている。
『日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと「慰安所」の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。』(高見順著『敗戦日記』)
『あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を●姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そうしたことはやるな、と逆に戒めた。』(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)
『そこで、出てきたのが「慰安婦」というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。』(前掲書)
『女性たちにここへ来た事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった。』(前掲書)
『何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。・・・やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。」(前掲書)
1945年に20歳だった人は1975年でも50歳代。その頃の日本はまだ戦場の記憶が鮮明で、荒唐無稽な話はできない。戦争中に残虐な行為をしなかった日本兵もいたわけで、そうした人びとの目を意識せざるをえない。せいぜい「南京大虐殺のまぼろし」、つまり「南京大虐殺」の話には疑問な箇所があるとしか言えなかった。「南京事件は捏造」ということが口にできるようになるのは、社会の記憶が薄らいでからだ。
ちなみに、「南京虐殺」の責任者は上海派遣軍の司令官として南京攻略戦に参加していた昭和天皇の叔父にあたる朝香宮鳩彦であり、中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根ではないと考えられている。松井は師団長クラスの退廃ぶりを嘆いていたとも言われている。
負けたとも降服したとも言わない天皇の「玉音放送(終戦勅語)」があってから3日後、日本が降伏文書に署名する半月前に日本の内務省は「外国駐屯慰安施設等整備要項」という指令を各都道府県へ出し、予算も捻出されて8月26日には警視庁の音頭とりで特殊慰安施設協会(RAA)が設立され、皇居前で結成式が行われたとされている。最初の慰安施設が大森でオープンしたのはその2日後だったという。
つまり、日本の支配層は日本人であろうと外国人であろうと、庶民の女性をその程度の存在だと考えていた。おそらく、今でも変化はない。1980年代以降、ひどくなっているような気がする。
しかし、本人や家族が「合意」してのことだとしても、「慰安婦」的なものが許されるわけではない。1923年に関東大震災が起こり、その復興資金を調達する際に頼ったJPモルガンはその後、日本に大きな影響力を持つようになり、現在の表現を使うならば、新自由主義化を求めてきた。
その結果、日本から金が流出して不況は深刻化、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になった。支配層は裕福になるが、庶民は貧困化が進んだわけだ。そうした庶民を苦しめる政策を推進するグループを排除しようとして引き起こされたのが1932年の血盟団による井上準之助や団琢磨の暗殺、五・一五事件、そして1936年の二・二六事件だ。
庶民を苦しめているグループを排除すれば天皇による「善政」で日本は良くなると彼らは考えたのだろうが、これは大きな間違いだった。天皇も仲間だったのである。そして決起した将校は切り捨てられて「悪役」にされた。この将校たちから見れば、拉致や奸計は勿論、貧困で身売りせざるを得ないような状況を作ること自体が犯罪的なのである。
(注)●は楽天の検閲
文中リンク
【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(2)前半】
講義で「日本の蛮行」訴える韓国映画上映 広島大准教授の一方的「性奴隷」主張に学生から批判
2014.5.21 08:18
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140521/plc14052108180007-n1.htm
広島大学への公開書簡―日本軍「慰安婦」授業への産経新聞の不当な攻撃に大学側は抗議すべき
Friday, June 13, 2014
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/06/blog-post.html
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