http://www.asyura2.com/14/senkyo166/msg/784.html
Tweet |
http://31634308.at.webry.info/201406/article_14.html
2014/06/14 19:27
今、公明党は自民党のブレーキ役と任じているが、政治は結果である。いくらポーズをとっていても、国民は自民と同類と見なす。昨日、公明党の集団的自衛権の限定容認について、やっぱり与党の地位が捨てられないのかと批判的に書いた。
公明党の支持母体が創価学会ということは、自明の理である。今や、自民党議員ですら、基盤の弱い議員は創価学会の支援なしに当選が出来ない状態に陥っている。この世界、ただでご奉仕する程、甘いものではない。選挙の時の動員は半端ではない。選挙運動をすることが、学会への最大の貢献らしい。
こんなことを書いたのは、実際に私自身、実体験からそう思っているからだ。まだ、我々家族と私の母が同居していたとき、突然母の親戚の子供という人から、近くまで来たので母に挨拶に(夕食時間に)寄りたいと電話があった。母自身も何十年も会ったこともない人の子であったが、母の親戚、つまり私の親戚でもあるので、失礼がないように食事を用意して迎えた。初めてなので、母を交えて歓談していた。ところが、今日宿を取っていないので、泊めてほしいと言いだしたのだ。初対面なのに随分大胆なことを言う人だと呆れたが、母の手前、いやだとも言えず泊ってもらうことになった。
ここからが本題であるが、いよいよ話すことも無くなった時期に、やおら、その人が国政選挙の話をはじめた。この選挙区から公明党の〇〇氏が出馬するが、その人に是非投票してくれないかと言い出した。その瞬間に、常識ではありえない今までの筋が、すぐに理解出来た。これが創価学会の活動かと納得がいった。心の中では「いい加減にしろ」と思いながら、もう投票する人は決まっていると言うと、気まずい雰囲気が流れた。その人は、翌朝、私が会社に出勤した後に起きて、平然と妻に朝食の給仕をしてもらって帰って行ったという。これが創価学会の活動の一端である。正直、この根性には他のどんな政党の運動員も負けるだろう。
この行動一つとっても、「カルト」と言われても仕方がないような行為である。公明党は、世の中に出てきたころ、世界平和を願う仏教に裏打ちされた「平和の党」と華々しく登場したが、戦後誰一人戦争で犠牲者を出させなかった憲法9条を骨抜きにするような憲法解釈に加担する党になってしまった。
それが、創価学会との「政教一致」と言わせないための対価、創価学会を「カルト集団」と言わせないための対価としたら、何のための宗教かわからない。こんなことを書くと、目を付けられ抹殺されるかもしれない危惧を抱くほど、タブーに触れているかもしれない。
創価学会の婦人部が集団的自衛権には反対していると聞く。それなら、こんなことを言わせないためにも、正々堂々と「政教一致」させて、阻止してほしいものだ。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK166掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。