★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK166 > 731.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
解釈改憲と集団的自衛権行使容認はセットではない。いま議論すべきは、解釈改憲の犯罪性だろう。(くろねこの短語)
http://www.asyura2.com/14/senkyo166/msg/731.html
投稿者 かさっこ地蔵 日時 2014 年 6 月 13 日 10:13:28: AtMSjtXKW4rJY
 

http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-83f8.html
2014年6月13日


 ワールドカップが始まって、早くもブラジルが1勝。これからの1ケ月というもの、サッカーで浮き足立ってばかりいると大変ことになりますよ、とは思いつつもついついにわかサッカーファンになってしまう今日この頃なのである。

 そんなことより、集団的自衛権だ。公明党は、1972年の政府見解とやらを言い訳に使って、限定的行使容認で決着をつけようとしているらしい。この72年の政府見解では、「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態」の場合にのみ武力行使が憲法上許されると定義したもので、集団的自衛権行使は認められないって結論だったんだよね。それをオニギリ顔の高村君がわざわざ持ち出して、「限定的な集団的自衛権なら否定はされていない」なんてことを言い出したわけです。ま。公明党に対する助け舟みたいなもんです。で、公明党はそれならいいんじゃない、ってことでシャンシャンにしようって腹なんでしょう。

・集団的自衛権、公明に限定容認論 72年見解を根拠に
 http://www.asahi.com/articles/ASG6D64K7G6DUTFK017.html?iref=comtop_6_04

 でも、これもおかしな解釈で、「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態」って、そもそも日本が攻撃されている状態です。だからこそ、当時の政府見解は、こうした事態なら武力行使もOKですよってなったはずなんだね。つまり、個別的自衛権の範疇です。集団的自衛権というのは他国の戦争に参加するということなんであって、「国民の生命」が脅かされるという状況とはまったく次元が違います。

 自民と公明の与党協議ってのは、こうしたまやかしの議論ばかりなんだね。集団的自衛権という言葉の「自衛」というところばかりが強調されるからわけわかんなくなっちゃうんであって、集団的軍事権とでも言い換えた方がよりその実態が明確になろうというものだ。そんなんだから、中国の戦闘機が異常接近してくるのも集団的自衛権を認めないからだ、なんてアホなこと口走るコメンテーターが出てくる。

 さらに、このところのニュースを聞いてると、「公明、解釈変更容認へ」なんて言い方が罷り通っている。でも、これもおかしな話だ。集団的自衛権行使容認するかどうかということと、憲法解釈変更とはまったく別の話で、けっしてセットではない。ところが、新聞・TVは、これがあたかもセットであるかのようなミスリードをしている。おそらく、意図的でしょう。だからこそ、どんなケースが集団的自衛権に当たるのかなんて机上の空論を、いかにも白熱の議論であるかのように報道するんですね。

 いまなすべきことは、解釈改憲なんて乱暴な手法の是非についての議論であって、集団的自衛権をどうするかなんてのは、それから先の話だ。憲法を解釈変更することの異常性について、「本の窓」(小学館)6月号で菅原文太との対談した弘中弁護士がとてもわかりやすく解説してくれているので、是非ご一読を。というわけで、お後がよろしいようで。

(これより引用)

 要するに民主主義とは何かという問題なんですよ。民主主義というのは、国民が直接統治できないから、選挙で代表を選んで、その代表に法律をつくってもらったり、実行してもらったりするという(法治国家の)システムですね。代表に無限の権利を与えるわけにはいかないから、一定の枠内でそれをやってくださいと。つまり代表を縛る法律が憲法なんです。
 だから、代表といえども憲法の範囲のなかでしか法律はつくれないし、したがって法律の執行もできない。そのために違憲立法審査権というものがあるわけです。つまり、「憲法に反した法律は無効だ」という権利を裁判所に与えておく。三権分立ですね。行政、裁判所、国会がそれぞれあるわけだけれども、いずれも憲法の枠内だけでしかできませんよと。そういう取り決めなんです。
 ですから、「この憲法の枠全体を変えるためには国民が特別に投票をしなければ変えられません、なかにいる人たちだけで変えるわけにはいきません、それはあなたの権力外の話ですから」と、こういうことなんですね。なかにいる人が自分の解釈で憲法を変えるなんてことは、してはいけないに決まってるんですよ。

 憲法は文字で書いてあるし、そのときの社会事情もあるから、一定の解釈の幅というのはありえます。でも、それを超えてやるのは、解釈という言葉に名を借りた改憲ですから、そんなことはできないに決まっているんですよ。自民党はずっと憲法を変えたいと言っているわけですよね。なぜ変えたいかといえば、現行の憲法ではどんな解釈をしてもできないことがあるから。「このままの文章ではできない」と自分で言っているということは、解釈の限界をみずから認めていることになるわけです。

(引用終わり)

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2014年6月13日 16:58:20 : rAZs4KvhOE
>自分の解釈で憲法を変える

憲法が戦闘機の整備マニュアルや保険の契約書のように、微に入り細を穿って書いてあるなら、憲法どおりに政治が出来る。いやそれ以外出来ないと言うべきか。
しかし現実はそうでない。如何様にも解釈出来るような「文学的」表現になっている。
ならば実際の政治を行うものは自分で解釈して進める以外に無いではないか。
勿論最終判断は最高裁ということになるのだろうが、これまた提訴という手続きなしには判断できないシステムになっている。こんなものを待っていては現実の政治が停滞してしまう。
そこで内閣法制局という専門家が立法或いは行政執行に当たって、憲法に抵触しないか、他の法律との整合は取れているかなどを「自主的に」検証している。
飽くまで内閣の一部局の解釈なのだから、情勢に応じて内閣が変えるのは禁じ手でも何でもない。内閣法制局の判断なしに立法でも行政でも進めたって構わない。
今回の集団的自衛権については、自民党政権が決めた解釈を、自民党政権が変えるのだから、政治的責任は云々されて良い。
だが一部の護憲派のように、法制局の解釈が憲法の上にあるかのような物言いは、ためにするものとしか見えない。
むしろ見苦しい。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)  recommend
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト

▲上へ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK166掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧