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2014年6月13日
ワールドカップが始まって、早くもブラジルが1勝。これからの1ケ月というもの、サッカーで浮き足立ってばかりいると大変ことになりますよ、とは思いつつもついついにわかサッカーファンになってしまう今日この頃なのである。
そんなことより、集団的自衛権だ。公明党は、1972年の政府見解とやらを言い訳に使って、限定的行使容認で決着をつけようとしているらしい。この72年の政府見解では、「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態」の場合にのみ武力行使が憲法上許されると定義したもので、集団的自衛権行使は認められないって結論だったんだよね。それをオニギリ顔の高村君がわざわざ持ち出して、「限定的な集団的自衛権なら否定はされていない」なんてことを言い出したわけです。ま。公明党に対する助け舟みたいなもんです。で、公明党はそれならいいんじゃない、ってことでシャンシャンにしようって腹なんでしょう。
・集団的自衛権、公明に限定容認論 72年見解を根拠に
http://www.asahi.com/articles/ASG6D64K7G6DUTFK017.html?iref=comtop_6_04
でも、これもおかしな解釈で、「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態」って、そもそも日本が攻撃されている状態です。だからこそ、当時の政府見解は、こうした事態なら武力行使もOKですよってなったはずなんだね。つまり、個別的自衛権の範疇です。集団的自衛権というのは他国の戦争に参加するということなんであって、「国民の生命」が脅かされるという状況とはまったく次元が違います。
自民と公明の与党協議ってのは、こうしたまやかしの議論ばかりなんだね。集団的自衛権という言葉の「自衛」というところばかりが強調されるからわけわかんなくなっちゃうんであって、集団的軍事権とでも言い換えた方がよりその実態が明確になろうというものだ。そんなんだから、中国の戦闘機が異常接近してくるのも集団的自衛権を認めないからだ、なんてアホなこと口走るコメンテーターが出てくる。
さらに、このところのニュースを聞いてると、「公明、解釈変更容認へ」なんて言い方が罷り通っている。でも、これもおかしな話だ。集団的自衛権行使容認するかどうかということと、憲法解釈変更とはまったく別の話で、けっしてセットではない。ところが、新聞・TVは、これがあたかもセットであるかのようなミスリードをしている。おそらく、意図的でしょう。だからこそ、どんなケースが集団的自衛権に当たるのかなんて机上の空論を、いかにも白熱の議論であるかのように報道するんですね。
いまなすべきことは、解釈改憲なんて乱暴な手法の是非についての議論であって、集団的自衛権をどうするかなんてのは、それから先の話だ。憲法を解釈変更することの異常性について、「本の窓」(小学館)6月号で菅原文太との対談した弘中弁護士がとてもわかりやすく解説してくれているので、是非ご一読を。というわけで、お後がよろしいようで。
(これより引用)
要するに民主主義とは何かという問題なんですよ。民主主義というのは、国民が直接統治できないから、選挙で代表を選んで、その代表に法律をつくってもらったり、実行してもらったりするという(法治国家の)システムですね。代表に無限の権利を与えるわけにはいかないから、一定の枠内でそれをやってくださいと。つまり代表を縛る法律が憲法なんです。
だから、代表といえども憲法の範囲のなかでしか法律はつくれないし、したがって法律の執行もできない。そのために違憲立法審査権というものがあるわけです。つまり、「憲法に反した法律は無効だ」という権利を裁判所に与えておく。三権分立ですね。行政、裁判所、国会がそれぞれあるわけだけれども、いずれも憲法の枠内だけでしかできませんよと。そういう取り決めなんです。
ですから、「この憲法の枠全体を変えるためには国民が特別に投票をしなければ変えられません、なかにいる人たちだけで変えるわけにはいきません、それはあなたの権力外の話ですから」と、こういうことなんですね。なかにいる人が自分の解釈で憲法を変えるなんてことは、してはいけないに決まってるんですよ。
憲法は文字で書いてあるし、そのときの社会事情もあるから、一定の解釈の幅というのはありえます。でも、それを超えてやるのは、解釈という言葉に名を借りた改憲ですから、そんなことはできないに決まっているんですよ。自民党はずっと憲法を変えたいと言っているわけですよね。なぜ変えたいかといえば、現行の憲法ではどんな解釈をしてもできないことがあるから。「このままの文章ではできない」と自分で言っているということは、解釈の限界をみずから認めていることになるわけです。
(引用終わり)
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