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太平洋戦争:軍部批判し投獄された衆院議員 自叙伝を復刊
毎日新聞 2014年06月08日 21時11分(最終更新 06月08日 23時10分)
http://mainichi.jp/select/news/20140609k0000m040054000c.html
http://mainichi.jp/select/news/20140609k0000m040054000c2.html
◇「父駆り立てたのは正義感」
父敬太郎さんへの思いを語る吉田潤世さん=福岡県芦屋町で、平川哲也撮影
太平洋戦争中に大政翼賛体制下の国会で衆院議員を務めながら、大本営発表を批判して投獄された人がいた。戦後は福岡県若松市(現北九州市)の市長も務めた吉田敬太郎さん(1988年に89歳で死去)。絶版になっていた自叙伝を長男潤世(じゅんせい)さん(83)が復刊し配布している。自叙伝に込められた吉田さんの思いは、国家の虚偽という過去の過ちを繰り返さないための後世への警鐘といえる。【平川哲也】
「『国賊』と呼ばれても父が戦争に反対したのは、大本営発表のウソを見抜いていたからですよ」。福岡県芦屋町の自宅で潤世さんは、3年前に復刊した父の自叙伝「汝復讐(なんじふくしゅう)するなかれ」のページを繰りながら語り出した。
吉田さんは若松市出身。火野葦平の小説「花と竜」にも登場する侠客(きょうかく)の元親分で衆院議員の父磯吉氏の地盤を継いで42年に初当選した。ミッドウェー海戦の損害を過小に発表するなど、大本営が情報統制を強めたころに重なる。そうした内実を、吉田さんは外務省に勤める大学の同窓生らから聞いていたという。
自叙伝で、吉田さんは「当局が国民に判断の基礎となる資料をひた隠しにしていたのだから、最後の破局が到来するまでその欺瞞(ぎまん)を見破れるはずもなかった」と書く。44年夏にサイパンが陥落して敗戦が濃厚になると、学友から聞いた情報を基に「軍部の欺瞞」を突く演説を地元で始め、停戦を主張した。国会では軍事費の決算報告がないことを追及し、憲兵らに追われる日々が続いた。
45年3月、根拠のないうわさを流したなどとして逮捕され、福岡市内であった軍法会議で懲役3年の実刑判決を受けて刑務所に収監された。潤世さんら子供たちも「国賊の子」と陰口をたたかれた。敗戦で嫌疑が晴れ出獄したが、潤世さんは栄養失調でやせ細った父の姿を記憶している。
収監中に出会った聖書が「汝自ら復讐するなかれ」と説くのに共感した吉田さんは、その後キリスト教の牧師となる。さらに51年から若松市長を3期務め、5市合併による63年の北九州市移行後に公職を退いた。
終戦から69年を控え、潤世さんは「父を行動に駆り立てたのは『本当のことを言わねばならない』という正義感だったと思います」と話す。
特定秘密を漏えいした者に最大10年の懲役を科す特定秘密保護法が年内にも施行される。国家が恣意(しい)的に特定秘密を指定し、事実を隠すような恐れはもうないのか。「生きるか死ぬかの体験をしてきた中で父が伝えたかったことがあるはず」と潤世さん。その父は自叙伝の後書きでこうつづった。「これは老船長の航海日誌で、人生の大海に挑もうとする若い航海士への参考のために書いたものです」
A5判118ページで初版は71年。500冊ほど在庫があり、発行元の若松バプテスト教会(北九州市若松区)が希望者に無償で配布している。
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