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2014年06月08日
<日本の狂気・安倍の狂気>
周囲に右翼がいないせいか、これまで安倍を誉める人はいない。先日はひさしぶりにZ出版社の社長と編集長に招かれて夕食を共にしたが、彼らは「安倍を退陣させないと、日本は大変なことになる」と本音で、率直に話してくれた。極右・国粋主義を憲法は拒絶している。立憲主義は安倍に憲法擁護を強要している。それでいて憲法解釈変更で「戦争する日本」に大改造、そのための閣議決定をするという。安倍の狂気を支援する新聞テレビ、これに惑わされる日本人こそが、現在の日本とアジアの本当の危機である。
<75年前の「風と共に去りぬ」>
ビビアン・リー扮するスカーレット・オハラの情熱的な演技が銀幕に繰り返し登場した「風と共に去りぬ」は、正に時代・人種を超えた名画である。
75年前の作品である。そのカラー映画の技術からして、当時の繁栄するアメリカを印象付けている。そんなアメリカに「鬼畜米英」を叫んで、アジア解放のための自衛戦争というイカサマの悪しき大義で突進した東條軍事政権の狂気は、世界の歴史から消えることはない。
連合軍は自由と民主の大義を掲げて、ナチスの狂気を6月6日、史上最大の作戦といわれるフランス・ノルマンディーで打ち砕いた。今年はその70周年である。直前のベルギーのG7で、オバマは東條内閣の商工大臣だった岸信介の孫との会談を拒否したが、ウクライナ問題の渦中の人、目下大敵のロシアのプーチンとは15分間、立ち話をしている。
<国家神道が狂気の元凶>
閣議決定で「戦争する日本」大改造を強行する、狂気の安倍内閣である。「日米・日中戦争は、アジア解放の自衛戦争である」という安倍の狂気は、岸信介譲りに違いない。
岸が政界復帰・政権担当したさい、さすがの昭和天皇も驚いた。これも当然であろう。背後に財閥とCIAが控えていた。
こうした狂気の背景に何があるのか。国家神道である。数年前から気になっているのだが、家々に日本帝国が強制した神棚に、人々は「榊(さかき)」を供える風習がある。それが今も続いている。
なんてことはないのだが、強要されて、其れが日常化すると、愚かな人間は、それが何を意味するのか、さえ考えようとはしない。ここに近代の合理主義は全く機能しない。ひたすら「ありがたい」と信じている。サッカー選手も神社での必勝祈願をする。お笑いの世界を通り越している。
田舎の店では、この榊が売られている。国家神道を引きずる日本人が、靖国や、無数にある、実に他愛のない神社にお参りをしている。安倍が松陰神社を崇拝、伊勢神宮・明治神宮とさらに究極の神社信仰の本山といえる靖国参拝にこだわる理由であろう。
極右・国粋主義の原点である。個人がどうしようが、憲法は信教の自由を保障しているが、公人としての特定宗教参拝を禁じている。戦前の祭政一致の国家神道への反省からである。
この狂気を新聞テレビは伝えない。それどころか公的な建造物を建設する際にも、神社が前面に出る。最近は神社宣伝のテレビが横行している。安倍の狂気に連動している、外国人がわからない真実なのである。
<中曽根・安倍も神社狂>
宗教・信仰の恐怖である。国家神道を抜きに侵略戦争と、想像を絶する蛮行は行われなかった。何もかも略奪する日本の植民地支配・侵略戦争は、キリスト世界のそれと比較しても、大きな落差が存在する。
安倍も中曽根も、共に神社信仰に徹してきている。右翼議員の源流に靖国が存在している。神社信仰がこびりついている。近代人には不思議なのだが、これは財閥も同様である。近代建造物の一角に神社を建てて祀っている。これを自衛隊基地や司令官室で確認した時は、いまも国家神道・神風信仰の存在に驚いたものである。
狂気の源流は国家神道にあるのである。戦前が生きる日本は、明らかにドイツと異なる。
<戦争遺児・影山友子は正気「反靖国・反神社」>
安倍がベルギーからの帰途、立ち寄ったバチカン・ローマ教会は、大2次世界大戦の過ちを謝罪したと記憶している。過ちを悔い改めて償いをしているローマ・カトリックである。そこへと足を向けた、反省も謝罪もしない安倍である。悔い改めることのない安倍であった。
アジアから戦争神社と恐れられている靖国はどうか。自民党幹事長をした加藤紘一の勇気に敬意を表したいのだが、それは彼が靖国の歴史館である「遊就館」のことについて言及したことである。筆者の靖国認識を大きく変えてくれた。
彼の一言、それは「欧米人がこの歴史館の存在を知ったら大変なことになる」というコメントのことである。今のオバマ政権のケリー国務長官とヘーゲル国防長官は、昨年に千鳥ヶ淵の無名戦士の墓苑に花を捧げた。反靖国の姿勢を鮮明にさせた。
北京やソウルだけでなく、欧米も「靖国NO」というメッセージを明確にしたものである。安倍はその後に靖国へと参拝を強行して、国粋主義の本領を見せつけた。
同じく戦争遺児・影山友子も既に「靖国NO」「神社信仰NO」を行動で見せてくれた。米軍機の攻撃で沈没する船に乗っていた影山友子の父親は、天皇を象徴する軍刀を取りに行き、逃げ遅れて無念の最期を遂げてしまった。
未亡人は胎内の友子を抱えながら、毎日のように海辺に立った、と戦争遺児は語っていた。亡くなっても遺児の父親の帰還を待つ戦争未亡人の地獄のような心情を思うと、胸が張り裂けるようである。それでも必死で娘を育てた。その報恩に娘は応じて18年前、故郷に戻ったのだった。それにしても、強制的に靖国に合祀されている日本兵も悲劇である。
70年になろうと言うのに、靖国以下神社による侵略戦争への反省はない。「自衛戦争だった」と、依然として言い張って、安倍や中曽根ら極右・国粋主義の本山として君臨、あわよくば国家神道へのレールに乗り込もうとしている。これも狂気である。
<「戦争は女子供を犠牲にする」と遺児の叫び>
戦争遺児・影山友子は今を生きる日本人に対して、戦争の恐怖を伝えてくれている。あえて彼女に言及するゆえんである。それは信濃町にも強く訴えている。「安倍・国粋主義に屈するな」という叫びである。
友人の時事通信元記者や日本テレビ元解説委員長が、戦争遺児・影山友子について注目してくれている。わざわざメールを寄こしたほどだ。
今の日本人は戦争遺児のことを忘れている。その苦悩の軌跡に無関心だ。未亡人はお茶ノ水の一流の病院で助産婦の資格を取った。晴れて芸術家志望の若者と幸せな結婚をした。だが、国家神道の下での侵略戦争は「神風が吹いて勝つ」という途方もない、野蛮な信仰を押し付けられながら、無念の死を遂げた。
戦争遺児も69歳でようやく掴んだ幸せを、あろうことか思いやりのない、フクロウのような溺愛娘に立ち切られて、この世から消されてしまった。戦争による幸せはない。
<信濃町は集団的自衛権を潰せ>
憲法9条は日本の宝である。アジア・世界の宝である。悪しき為政者から国民を守ってくれる宝物である。安倍工作にふらつく公明党に対して、信濃町が遂に決起した。このことを戦争遺児に知らせたかった。
生きていれば、どんなにか喜んだことだろう。「池田先生の意志が消えることはない」といって胸を張ったであろう。遺児の嬉しそうな姿が目に浮かぶ。多くの日本人の悲願でもある。新聞テレビと野党が右傾化している中で、信濃町が1本のローソクなのだから。
そのことに13億人の中国も韓国も北朝鮮も願っている。言論出版事件の時とは様変わりの信濃町である。「右翼を恐れるな」「安倍・国粋主義に屈するな」と戦争遺児も、時々通い詰めた信濃町に向かって大声を張り上げている。
戦争する集団的自衛権を潰せ、と叫んでいる。
<信濃町抜きの自民党は存在しない>
鹿児島2区の補欠選挙で、自民候補が勝利した理由は分かり切っている。公明党・創価学会が自民党を支援したからである。今の自民党は、公明・学会抜きに存在しない。
維新の石原党が支援しても無理である。自民党員であれば、皆分かり切っている事実である。
恐れてはならない。世論は学会の側にある。憲法9条を死守する使命が、学会の双肩にかかっている。安倍の狂気を許してはならない。日本人もアジアの人たちも皆知っている。信濃町は戦争遺児・影山友子の無念の死を、是が非でも晴らしてもらいたい。泉下で平和・軍縮派の宇都宮徳馬も祈っている。
大義は安倍にない。
2014年6月8日記
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