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2014年6月 3日
政界のメルトダウンが進んでいる。
みんなの党が分裂し、維新が分裂する。
日本の支配者であり続けた米・官・業のトライアングルは、米官業による日本支配の構造を死守しようと懸命だった。
2009年には、一時的にせよ、米官業トライアングルによる日本支配の構造が打ち破られたのは事実なのである。
この体制を維持し、2010年参院選で勝利を重ねて、新体制を盤石のものにできなかったことは痛恨の極みである。
米官業トライアングル勢力は、徳俵に足がかかったところで、全面的な巻き返し工作に打って出て、状況を大転覆した。
そのなかで、いまの安倍政権による一強多弱の状況が生まれた。
いま進んでいる政界再編は、米官業による日本政治支配の構造を、半永久的なものにする試みであるように見える。
私は、米官業による日本政治支配の構造は、米官業勢力と連携する二大勢力体制を強引に構築して、これを固めるものであると予測してきた。
この予測は的中しつつあるように見えるが、現実はこの予測よりも、さらに悪い方向に進む可能性を垣間見せ始めている。
このまま、日本政治の変質が進み、時計の針が完全に逆戻りさせられてしまうのか。
それとも、現在の流れを、もう一度大転換させる、重要な変化が生まれてくるのか。
この問題を考察してみたい。
結論を先に示せば、事態は極めて悪い方向に進み始めている。
石原慎太郎氏は維新を割って新党を創設し、田母神俊雄氏を合流させて、安倍自民党のさらに右側に政党を構築しようとするものである。
同時に、この策略の狙いは、政権与党への潜り込みを図ることでもある。
ここに、ひとつの大きな塊が生まれることになる。
他方、橋下徹氏らによる新勢力結集は、第二自民党の構築である。
対米従属、新自由主義を基軸に置いて、対官僚では強面な装いを施しつつ、現実には官僚利権の根幹には切り込まないというのが、この新勢力の基本である。
対米従属を基礎に置く二つの大勢力が構築され、この二大勢力による日本政治支配の構造を定着させようとの目論見が読み取れる。
私はこの動きの大枠を予測してきたのであるが、現実の二大勢力の重心は、より右側に位置することになるのが、「極めて悪い方向に進み始めている」という表現の意味だ。
この現状を踏まえると、2009年の政権交代実現時の空気は、もはや別の時代のものであると言わざるを得ない。
サブプライム危機が政界経済を大不況に陥れて、日本でも小泉竹中政治の市場原理主義政策の誤りに対する認識が広がった。
米官業の既得権が支配する政治を、主権者国民のための政治に転換しようとした、鳩山友紀夫政権のイニシアチブに、大多数の主権者が拍手喝さいを送った。
もしも、このときの主権者国民の意識がたしかなもので、その意識、希望、哲学、価値観が存在し続けているなら、現在の状況が再び大転換する可能性は残されることになる。
4年半の時間で、まるで別の時代にタイムスリップしたかのような激変が生じているのである。
逆に考えれば、もう一度、別の時代にタイムスリップすることがあってもおかしくはないということになる。
その可能性が残されているのか。
残されているとすれば、どのような戦術、戦略が必要になるのか。
このことを、とことん考えなければならない。
石原氏は原発推進を公言し、憲法改定を強く主張し、集団的自衛権行使容認を唱える。
尖閣国有化につながる強硬外交を主張し、日中間の緊張を積極的に創作してきた人物である。
類似した人々が、跳梁跋扈する時代に転じている。
安倍晋三氏がNHK経営委員に抜擢した百田尚樹氏、長谷川千代子氏、あるいは、放射能のリスクをほぼ全否定する田母神氏など、従来の尺度では明らかに危険人物と認定されるべき人々が、大手を振って闊歩する状況が生まれている。
そして、その状況を人為的に作り出しているのが、極右傾向を強めるマスメディアである。
若い世代の人々が、こちらの陣営に引き寄せられているとの見方もしばしば伝えられる。
メディアが作り出す「空気」によって、この流れは確かなものであり、簡単には変えようのないものと、私たちはつい思ってしまいがちになるが、これこそ、まさに敵の策略である。
日本国民がそこまで劣化しているとは考えられない。
日本国民の多種多様な意見が存在することは当然のことだし、間違ってもいない。
だから、私は特定の考えを持って、これが唯一絶対の真実、正義だと述べるつもりはない。
現在の風潮を肯定する国民が多数存在しても、そのこと自体はおかしなことではない。
しかし、この流れに反対の主張を有し、現状を打破して、状況を変えなければならないと考える国民が圧倒的少数に陥っているとは考えない。
この「沈思黙考する人々」は、いま、積極的に躍動する場を失っているだけなのだ。
これこそ、まさに「サイレント・マジョリティー」である。
この人々の意欲と行動力が生み出されなければならない。
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