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三匹のおっさん記者、東京地検特捜部を語る 第3回 リクルート事件が栄光の絶頂だった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39048
2014年06月03日(火) 週刊現代 :現代ビジネス
村串栄一(むらくしえいいち)
元東京新聞記者
'48年、静岡県生まれ。司法記者クラブキャップなどを歴任し、東京新聞編集委員に。現在はフリージャーナリストとして取材、執筆を行う。主な著書に『検察秘録』『がんと明け暮れ 記者が綴る10年の記録』などがある
村山治(むらやまおさむ)
朝日新聞記者
'50年、徳島県生まれ。毎日新聞の社会部記者を経て、'91年に朝日新聞に転じる。バブル崩壊以降の政界事件や大型経済事件の報道に関わる。主な著書に『特捜検察vs.金融権力』『検察 破綻した捜査モデル』などがある
小俣一平(おまたいつぺい)
元NHK記者
'52年、大分県生まれ。司法キャップ、社会部担当部長などを歴任し、現在、東京都市大学教授、出版社『弓立社』代表。「坂上遼」の筆名で、『ロッキード秘録 吉永祐介と四十七人の特捜検事たち』など
政財界の要人に未公開株をばら撒く。社会を揺るがしたリクルート事件は、ある調査報道が発端だった。それを受けて特捜部は動く。「悪い奴を眠らせない」。そんな気概を持った検事がかつてはいた。
■渡辺喜美はどうなるのか
小俣 猪瀬直樹・前東京都知事が徳洲会から5000万円の資金提供を受けていた問題は、公選法違反の略式起訴で幕引きです。予想していたこととはいえ、特捜部の対応にはがっかりしました。
村山 国民の多くが「何らかの賄賂だったのではないか」と疑っていたと思います。贈収賄は証拠不十分で不起訴になっても、少なくともカネは選挙目的で提供されたもので、収支報告書に記載されていない以上、公選法違反に問われるのは当たり前と受け止めていたでしょう。公開の裁判で徳洲会側の資金提供の動機や背景が明らかになるのを期待していたと思います。
村串 それが当然の国民感情でしょうね。
村山 ただ、猪瀬氏は「私的な借金で選挙とは無関係」と主張していました。検察上層部は、猪瀬さんを正式起訴するには、あのカネが「選挙資金」であることの確実な裏付け―すなわちカネが選挙に使われた証明が必要だと注文を付けました。特捜部はそれをクリアできませんでしたが、徳洲会側から「選挙資金として貸した」との供述を得ることには成功したようです。検察は最終的に「虚偽記載の罪は成立するが、すでに社会的制裁を受けている」などの理由で、略式起訴することを決めた。猪瀬氏側も「選挙資金の側面があった」と認め、略式請求を受諾しました。
村串 でも、国民目線では、たかだか「罰金50万円」でお茶を濁されたようにしか見えませんけどね。
村山 ええ。国民に対する説明責任という点では疑問の残る処分です。
村串 そこに降って湧いたのが、渡辺喜美・みんなの党代表が化粧品会社DHCの吉田嘉明会長から8億円を借りていた案件です。過去の事件とのバランスを考えれば、この一件を検察は放置するわけにはいかんでしょう。
小俣 渡辺氏は今月7日、残っていた借金5億5000万円は耳をそろえて吉田会長に返済したとし、代表を辞任しました。辞任会見では「法的に何ら問題はない」と開き直りましたが、それで済むとは思えません。
村山 仮に、政党の党首が企業経営者から8億円ものカネを選挙資金や政治資金として提供されながら、有権者と国民に情報開示していなかったとしたら大問題です。
渡辺氏は発覚当初、8億円は個人として借り、手元にはカネは残っていないと説明していました。しかし、辞任会見では一転して5億円近くを妻の口座で「政界再編などに備えて保管していた」とし、それが返済原資になった説明しました。どうして最初から保管していたと言わなかったのか。腑に落ちませんね。裏付け資料を示してきちんと説明してほしいと思います。
小俣 特捜部はこれまで政治家とカネの問題に何度も斬り込んで来ましたが、やはり金字塔と呼べるのはロッキード事件※1でしょう。この事件を立件したことで特捜検察は国民の喝采を浴びたわけですが、実はその前の10年近くの間は眠っちゃっていたんですよね。
村串 '68年の日通事件※2の影響ですね。この事件では、社会党の参議院議員を逮捕しながら、最大のターゲットだった自民党の池田正之輔代議士を逮捕できず在宅起訴にしてしまった。そのうえ、特捜部は国税局の調査官5人を日通から接待を受けていたとして、収賄容疑で逮捕してしまった。
■「セミの鳴く頃には」
小俣 特捜部と国税は兄弟みたいなものなんです。カネの流れを解明するには両者の協力は欠かせないのに、この件で気まずい関係になっちゃって、しばらく大きな事件を手がけられなくなってしまった。
村山 そこで関係修復に動いたのが、後に検事総長になった東京地検次席検事の伊藤栄樹さんと、同じく国税庁長官になった同庁調査査察部長の磯邊律男※3さんでした。2人はお互いに検察、国税の有望な部下を集めて一杯飲む機会を作った。そうやって関係が修復してきたときにちょうどロッキード事件が起こった。
村串 本格的な捜査は'76年2月24日、児玉誉士夫邸への、脱税容疑での強制捜査がスタートでしたね。
村山 その20日前に、米議会でロッキード社の対日工作資金が丸紅や児玉氏を通じて政界に流れていたことが明らかになり、大騒ぎになりました。国会でもマスコミでも真相究明を求める声がどんどん強くなり、検察、国税、警察も解明に動かざるをえなくなった。
でも、当時、検察の手元にあった捜査資料は米国から取り寄せたロッキード社の書類のコピーだけ。とりあえず、時効にかかっていない脱税の疑いで強制捜査に踏み切ったのですね。東京高検検事長だった神谷尚男さんは「ここで検察が立ち上がらなければ、今後20年間検察は国民から信頼されないだろう」と、2月18日の検察の首脳会議で発言した。そういう悲壮な思いで始まった捜査でした。
※1 '76年に発覚した米ロッキード社による汚職事件。田中角栄前首相をはじめ、政財界の有力者が逮捕された
※2 日本通運の不正経理問題から贈賄疑惑へ発展。捜査中に、当時の検事総長が被疑者の国会議員と会食していたことも発覚し、法務・検察を揺るがした
※3 元大蔵官僚。長く大蔵・国税と法務・検察を結ぶキーマンだった。退官後は博報堂に転じ、社長、会長を歴任。'12年死去
村串 児玉邸へは検察と国税が合同で入ったんだけど、その強制捜査の直前、当時東京国税局の局長だった磯さんは、庁舎の地下の大会議場に突入部隊を全員集め、「これは国税の生死をかけた仕事である」と発破をかけた。国税にとってもまた、組織の存亡がかかった調査だった。
村山 その後、検察はシビアな交渉の末、米国から極秘資料の提供を受けて、そこに名前のあった田中角栄前首相が捜査のターゲットになるのです。
小俣 事件の捜査は「角栄逮捕」ありきで、彼を逮捕するに見合うだけの証拠と供述をどう固めていくかが、捜査の主眼になっていきました。
村串 政府高官の逮捕の時期について、当時の法務大臣が「セミの鳴く頃には」なんて名台詞を漏らしたけど、セミなんて7月から9月くらいまで鳴いているもんだから全然時期が特定できない。各社が誤報だらけになった(苦笑)。
小俣 当時、主任検事だった吉永祐介さんが、司法記者が特捜検事に食い込むスキを作らせなかったというか、メディアの側から言えば、吉永さんの情報統制が厳しかったと言えます。だから周辺を取材して、あとは検察の動きを経験から推測する「筋読み」で書いていたのではないでしょうか。
村山 そういう場合、おそらく特捜部の過去の行動パターンを調べるんでしょうね。そして考える。トップの摘発の前に、下から逮捕し、上っていくはずだ、と。
小俣 最終ターゲットの角栄氏の前に、元運輸相の橋本登美三郎氏や、元運輸政務次官の佐藤孝行氏あたりから逮捕するだろう、と。
村山 ところが特捜部は、電撃的にトップの田中角栄氏から逮捕した。「橋本登美三郎逮捕」の予定稿しか作っていなかった社も少なくなかったのではないかと思います。朝日新聞では、急遽、号外を出すことになって、予定稿の「橋本」を「田中」に、「元幹事長」を「前首相」に直したけれど、慌てていて1ヵ所だけ「元幹事長」のまま号外を出してしまった。
村串 ロッキード事件は田中角栄という政界随一の実力者を逮捕した大事件ですが、それから東京地検は法廷闘争に膨大なエネルギーを注ぎ込まなければならず、事件捜査の面では長く雌伏の時期が続きます。
■最高権力者のクビを取れ!
小俣 態勢の立て直しを図ったのは、'85年になってからでした。
村串 そこから約10年に及ぶ特捜検察の栄光の時代がやってくるわけです。
小俣 その代表的事件が'88年のリクルート事件※4ですね。発端は、川崎市助役にリクルートコスモス社の未公開株が渡っていた問題で、これを神奈川県警が掴んで内偵していた。
その時点で朝日新聞、東京新聞、NHKの地元支局が察知していたんですが、県警が立件をあきらめて捜査チームを解散してしまうんですよね。
村山 立件見送りの最終判断をしたのは、横浜地検の検事正だった水原敏博さんだと思います。水原さんは特捜部時代に協同飼料の株価操縦事件を担当し、証券取引法にも精通していた。それだけに確実に儲かるかどうかわからない未公開株の譲渡が賄賂に当たるかどうかなどを多角的に検討し、助役の件は「賄賂とするのは困難だ」と判断したのでしょう。
小俣 ところが、県警で潰れたこの事件を、朝日新聞横浜支局の山本博※5さんのチームが、まず社会面で報じた。私なんか当初は「あ、これは横浜放送局管轄の事件なんだな」なんて思って記事を見ていたけど、その後も朝日新聞は調査報道を続け、すぐに中曽根康弘氏、宮澤喜一氏、竹下登氏、渡辺美智雄氏といった大物政治家の周辺にも未公開株が渡っていたことを報じた。
村山 あの記事で真相究明を求める世論が盛り上がりましたね。
小俣 政治家の名前が出て来たことで、対岸の火事と高をくくっていた私たち、東京勢は泡を食った。しかも、国会でも爆弾男・楢崎弥之助代議士※6が追及し始めた。その楢崎氏を懐柔するため、リクルートコスモスの社長室長が現金を持参したわけですが、その現場を楢崎氏と親しかった日本テレビの記者が隠しカメラで撮影していた。ニュースで流されたその映像は衝撃的でしたね。
村串 未公開株が賄賂に当たるかどうかという問題だけど、リクルートの疑惑が盛んに取り沙汰されたちょうどそのとき、殖産住宅事件の最高裁判決が出たんですね。それは新規公開する株式を公開価格で提供することを賄賂と認める内容でした。この判決で特捜部の展望が開けたんです。
村山 リクルート社は、多数の政治家に未公開株をばら撒いていましたが、この事件で摘発されたのは、元官房長官の藤波孝生自民党代議士と池田克也公明党代議士だけで、しかも在宅起訴でした。
村串 竹下登氏に関しては、秘書・青木伊平氏が自殺してしまい、どうにもならなかった。
※4 リクルートコスモス社の未公開株が政官財の要人にばら撒かれた事件。竹下登首相退陣のきっかけとなった
※5「談合キャンペーン」やリクルート事件など、数々の調査報道を手がける。新聞協会賞2回受賞。'13年死去
※6 社会民主連合元副代表。ロッキード事件での政府追及や、リクルート事件での隠し撮りで「国会の爆弾男」として有名に。'12年死去
小俣 竹下氏は早い段階で「辞任します」と言って、さっさと首相の座を降りてしまいましたしね。首相のクビを取ったところで、事件も何となく収束ムードが漂い始めたんです。
■弁護士に転身した検事たち
村串 中曽根元首相の疑惑報道も各紙誌が展開したけど、特捜部は手を着けませんでしたね。
小俣 検事総長の前田宏さんは、NTTからリクルート社へのスーパーコンピューター転売に中曽根氏が関与したとの疑惑について捜査するように求めていました。しかし、東京地検検事正だった吉永さんは「証拠がないからできません」と抵抗し、最終的に起訴しませんでした。中曽根氏の秘書には未公開株も渡っていましたし、国会では野党から証人喚問の要請も受けていましたが、大物政治家だけに、無理に起訴して万が一無罪になったら、特捜部は大きなダメージを受けたはずです。
村山 中曽根さんについては、ロッキード事件以来、何度も疑惑が報じられ、メディアも注目していましたが、結局、確たる証拠はなかった。リクルート事件での吉永さんの判断は正しいと思います。
小俣 長年、抜いた抜かれたの競争をやってきましたけど、他社のスクープで一番衝撃を受けたのが、リクルート事件を報じた山本さんの調査報道によるものです。'90年元日の朝刊で朝日新聞は、中曽根元首相の金庫番と言われた女性名義で巨額の株取引が行われていると報じました。仕手集団「光進」との取引で、約1億2000万円もの差益があったといいます。
「どうやったらこんなネタ取れるんやろうかな」と後になって山本さんに直接聞いたこともあるんですけど、「コツコツ回っていれば小俣さんも取れるよ」って言われて。そんなことはないだろうって思うけど(笑)。
村串 この頃は記者だけでなく、検事も個性があって面白い人が多かった。
小俣 有能な人が多かったですよね。事件が一段落すると、何人かの検事は弁護士に転身しました。当時は「リクルート事件を担当した元特捜検事」という肩書に威光があって、大成功した人が何人もいます。矢田次男さんなんかは筆頭でしょう。いまや大手芸能プロの顧問弁護士として名を馳せ、週刊誌の天敵みたいな存在になっている(笑)。
村串 特捜に元気があった時代に活躍した人は、弁護士になってもしっかり生き残っている。
小俣 リクルート事件の主任検事だった宗像紀夫さんも弁護士として辣腕を振るっていますし、特捜部長として大蔵省接待汚職なんかを手がけた熊崎勝彦さんに至っては、いまや日本のプロ野球のコミッショナーですからね。
村山 一方で、リクルート元会長の江副浩正※7さんは勾留中の体験や裁判記録をもとに'09年10月『リクルート事件・江副浩正の真実』を出版し、検事の取り調べのひどさを告発しました。壁に向かって立たされたり、土下座させられ、自白を迫られたと書いています。
村串 そういう荒っぽいことはしていたと思います。ただ、今はそんな取り調べはできないでしょうが。
村山 ええ、大阪地検の不祥事の後、検察改革の一環で、特捜部が逮捕した被疑者の取り調べは原則、録音・録画することになっていますから。それに、不祥事の前から、拷問に近いような取り調べや誘導で取ったと指摘された供述については、裁判所が任意性を疑うようになっていました。
小俣 その意味では、特捜検察にとってリクルート事件は記念碑的事件だけど、旧来型の取り調べで積み上げられた事件だったという反省も必要ですね。
※7 東大在学中に学生向けの求人広告営業で才能を発揮。リクルートを創業し、急成長させた。'89年に逮捕・起訴され、有罪判決を受ける。'13年死去
(次号に続く)
「週刊現代」2014年4月26日号より
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