http://www.asyura2.com/14/senkyo166/msg/319.html
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「公共放送も原子力規制庁も、新聞テレビも各省庁トップも全部「安部カラー」に:山崎 雅弘氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14332.html
2014/6/3 晴耕雨読
https://twitter.com/mas__yamazaki
内閣人事局が発足(読売)http://bit.ly/1lWCufh
「政治主導を打ち出すため、安倍首相は初代局長に衆院議員の加藤勝信官房副長官を起用。今夏の省庁幹部人事で『安倍カラー』を打ち出したい考えだ」
公共放送も原子力規制庁も、新聞テレビも各省庁トップも全部「安部カラー」に。
人事に安倍カラー、重要課題に戦略的人材配置=加藤内閣人事局長(ロイター)http://bit.ly/1kd2y98
「『重層的な構造であり、いろいろな視点が入っており、きちっと運用していけば、恣意的にはならない仕組みだ』と説明」
恣意的にならない理由について何の説明にもなってない。
「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法を有しない」(1789年のフランス人権宣言16条)
分立していた権力を手元に集中し、自分の一存で憲法解釈を自由に動かせると強弁する首相は、日本を革命以前のフランスと同じ社会に戻そうとしている。
BS世界のドキュメンタリー『カラーでよみがえる第一次世界大戦』、今日の午後2時から全三回が一挙再放送される。
見損ねた人にお奨め。
昔は、そんな風に考える日が来るとは想像もしなかったが、今ではもう、遠い世界の話ではなくなっていると思う。http://bit.ly/1nXorvE
> 結局、尖閣諸島についてはオーバーラップゾーンで棚上げが一番いいのに、「日本の領土であり紛争は存在しない」と政治家が言うのは、その方が票になるから。中国に対して、弱腰になるな、という「民意」が一見強いように見えるから、政治家は票がほしいからそっちに右にならえする。
逆方向から考えれば、構図が見えやすくなると思います。
自国が実効支配する状態での「棚上げ」はベストではないが考え得る限りの最善策。
この選択肢を排除してしまえば、あとは「相手国が全面的に屈服してこちらの言い分を受け入れる」か「武力で決着をつける」しかない。
二番目の「相手国が全面的に屈服してこちらの言い分を受け入れる」可能性は、誰の目にも明白な通り可能性ゼロ。
そうなると棚上げの否定で残る唯一の道は「武力衝突」しかない。
棚上げか武力衝突か。
日中戦争当時の日本政府と国民も、同様の形式主義の潔癖症に陥りました。
安倍晋三首相が30日、アジア安全保障会議(シャングリラ対話)で自身の靖国神社参拝について「国のために戦った方に手を合わせる、冥福を祈るのは世界共通のリーダーの姿勢だ」などと語り、会場が拍手に包まれる一幕があった(産経)http://on-msn.com/1gNdY3Q
産経らしい記事。
首相が靖国神社参拝を正当化する説明を行った際「会場が拍手に包まれた」と書いているのは、今のところ産経だけ。
見出しにも「会場に賛同の拍手」とあるが、拍手したのは誰なのか、会場にいた首相周辺の人間なのか否かを示す記述はない。
少なくともホスト国のシンガポールの人は、拍手はしないだろう。
シンガポール外務省の報道官は(2013年12月)29日、安倍晋三首相の靖国神社参拝(26日)を「遺憾だ」とする声明を出した(産経)http://on-msn.com/1hp0pGS
「旧日本軍は1942年、英国植民地だったシンガポールを占領。多数の中国系住民を殺害したとされる」
産経が書いている通り、日本軍の第25軍は1942年2月15日に英領シンガポールを占領したが、植民地からの解放はせず、地名を前日の2月14日付で「昭南島」へと一方的に変更し、昭南特別市として終戦まで日本の軍政統治下に起き続けた。
そして日本軍の記録では数千人、シンガポール側の記録では数万人の中国系住民を殺害した。
このシンガポールでの「華僑大虐殺」は、日本軍に抵抗した疑いのある人間だけでなく、英植民地時代の公務員や地方議員などの「知識人」も殺害の対象として選別しており、構図としてはナチスドイツがポーランド等で実行した知識人虐殺と共通する一面もある。
インド独立運動を支援したことで知られる「F機関」の藤原岩市少佐は、辻政信中佐の命令で行われたシンガポールの華僑大虐殺を知ると「このような野蛮な行為は逆にアジア民心の離反を招く」と第25軍上層部に抗議した。
戦後は辻政信が行方をくらましたため、現地で警備司令官だった軍人が処刑された。
日本の首相が「安全保障問題を討議するため」シンガポールを訪問して、こうした歴史的な事実に全く触れようともしない。
首相は「旧敵国」の仏パリと英ロンドンで「無名戦士の墓」を詣でて「靖国神社に参拝するのも同じだ」と論点のすり替えを図っていたが、シンガポールでは犠牲者記念碑を訪れたのか?
(一九六〇年当時)辻政信参院議員(終戦後しばらく経って帰国し当選)は
「集団とか個別というのは自衛の手段にすぎない。自衛の本旨を認めているなら手段も当然、認められるべきだ。それを否認するなら条約を作る必要はない」と政府を問い詰めた(東京)http://bit.ly/1kaKXjn
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