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南十字という人からメールが来た。あまりにも奇妙な名だから聞いてみた。
私 「南十字とは変な名ですね。地球の南には南十字星がある。北には北斗七星がある。もしや北一輝をもじったのではないでしょうか」
南十字 「北は北、南は南、一輝は一輝、十字は十字。関係ない。しかし鋭い。実は北一輝について話そうと思ってメールをした」
私 「北一輝といえば2・26事件で処刑された国家社会主義者。右翼の思想家ではないですか」
南 「歴史の教科書ではそういわれている。しかし実像はかなり違う。社会主義者といっても私有財産は認める。宗教も認める。本人は法華経を信じて読誦している。
右翼といっても、『国体論及び純正社会主義』という本で大日本帝国憲法を批判し特高からつけねらわれる。天皇は国民の一人であり、もと有力部族に過ぎないといって天皇の神聖性を否定している。
明治維新を市民革命とみる。ペリーの来航により幕府と藩に分かれていた日本人が日本国民として自覚し幕府を倒したからだ」
私 「そういえば坂本竜馬も、『幕府とか藩とか小さい、小さい。今からは日本人の時代だ』と言っていますね」
南 「その通り。開国を迫られて日本人を自覚し、革命を行った。これが明治維新だ。五箇条の誓文には『広く会議を興し万機公論に決すべし』とある。これは民主主義のことだ。だから市民革命という」
私 「なるほど。でも2・26事件のクーデターとどう結びつくのですか。民主主義的方法ではなく、武力革命と」
南 「本来は武力ではなく、選挙で実現すべきだが、2・26事件当時は世界恐慌後であまりにも格差がひどく、農村は疲弊し生活ができない。その悲惨な状況に政治家は救済の手を伸べず、財閥は私腹を肥やしている。そこで軍の将校がクーデターを起こしたのだ。貧しい東北出身の将校が多い。思想的には現人神として天皇を崇拝する将校たちと天皇を人間のひとりとみる北一輝とは異なるが、現実的には北の『日本改造法案大綱』が影響を与えている」
私 「どのようなことを書いているのですか。私は教科書程度しか知らないのですが」
南 「要点は次の通りだ。
巻一 国民の天皇 天皇は国民の総代表である。
つまり国民主権の天皇だから、日本国憲法の「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(第1条)に近い。
華族制廃止。
日本国憲法第14条第2項「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」に一致する。
巻二 私有財産限度
私有財産は認めるが限度があるということだ。日本国憲法第29条第2項「財産権の内容は、公共保福祉に適合するように、法律でこれを定める」というものだ。
巻五 労働者の権利
争議権まで認めているから日本国憲法第28条の労働者の権利保障と同じだ。「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」
労働時間 幼年労働の禁止
労働時間は1日8時間、日曜祭日は休み。日本国憲法及び労働基準法と同じ内容だ。
巻六 児童の権利 国家扶養の義務 義務教育
日本国憲法の生存権、社会権に当たる」
私 「ええー知りませんでした。日本国憲法と同じですね」
南 「もちろん平和主義はない。当時は帝国主義の時代だから、戦争放棄では列強から支配される。北は男女平等、婦人労働の保護までは書いているが、まだ男女平等選挙には至っていない。現代の目からは不十分だが、ほぼ日本国憲法を先取りしている。
マッカーサーの農地改革、財閥解体、労働組合育成は北の主張したところだ」
私 「ということは2・26事件では敗れたが、日本改造法案をさらに発展させ実現させたのはマッカーサーということになりますね」
南 「その通りだ。だから北一輝は言うだろう、『日本国憲法を護れ。なぜならそれは日本改造法案を120%実現しているからだ』と。
ところで、北は軍隊を『国民の軍』と考えていた。当時、国民が苦しんでいるのに政府は救済しない。そこで軍の力を借りて救済しようとした。しかし、反乱軍とされ敗れ去る。民間では北一輝ひとり処刑された。北の観点によると、帝国軍隊は国民の軍隊ではなかったということになる」
私 「そうですか。知りませんでした」
南 「その後、国民から遊離した帝国陸海軍は戦争に突入し壊滅する。アメリカは日本に戦争放棄をさせた。ドイツも同じだ。当時、日本とドイツが軍備を持たなければ世界は平和だと思っていたのであろう。
しかし、現実はそう進展しない。すぐ米ソの対立が始まった。アメリカは日本に再軍備を要求する。共産国への砦にするためだ。アメリカ防衛の役割を日本に与えようとした。つまり日本の軍隊ではなく日本にアメリカの軍隊を作ろうとしたのだ。
しかし、その歯止めとなったのが日本国憲法の平和主義だ。戦争を放棄しているからすんなりと軍隊は作れない。そこで警察予備隊となった。これが保安隊になり、自衛隊になった。
自衛隊の任務は日本の防衛である。規模が拡大してもその原則を貫くことができたのは、日本国憲法第9条の存在だ。つまり北一輝のいう『国民の軍隊』を維持できたのは日本国憲法第9条があるからだ」
私 「そいうことになりますね」
南 「確かに複雑な国際関係のなかでは一国で平和は護れない。集団的自衛権は国際社会の認めるところだが、これまで日本においては憲法の制約上その権利を行使できないという立場が維持されてきた。
ところが最近、政府は集団的自衛権を認めようとしている。憲法改正でなく解釈によって変更しようとしている。これを認めるとアメリカの要請により日本の自衛隊が全世界に出かけることになる」
私 「日本の軍隊からアメリカの軍隊になるということですね」
南 「事情は複雑だが、簡単に言えばそういうことになる。
北一輝は帝国主義の時代、遅れた日本が欧米列強と戦い、平等な分け前を要求すべきだと言った。つまり欧米の世界支配に反対し、アジアなどの遅れた国の権利を勝ち取ろうした。そこには正義があった。
しかしいま、集団的自衛権を行使することは、アメリカの世界支配のために奉仕することになる。日本はアメリカの命令に逆らえないからだ。これまで経済政策についてはアメリカのいいなりであった。ただし国防に関してはそうではなかった。憲法の制約があったからだ。政府は今、その原則を変えようとしている。それも解釈によって。
北一輝は怒るだろう、「国民の軍隊でなくなる」と言って。
国民から遊離した軍隊がどういう末路をたどるかは第二次世界大戦で学んだはずだ。ひどい目にあったのは日本国民だ。たしかに国際情勢は時々刻々変わる。しかしその中にあって、戦争放棄から一転して再軍備に変わったマッカーサーの要求を退けたからこそ、戦後の日本の平和と繁栄が保たれたのだ。原則は守らねばならない。
ドイツは国民投票にかけて再軍備を選択した。これも筋を通している。現在、NATOの枠内にとどまり、集団的自衛権を認めている。かれらは国民に信を問いながら、つまり国民の軍隊を維持して行動している。
それに比べると日本はなんと卑怯なことか。憲法を改正という手続もふまず、内閣の判断で容認を進めている。
日本は国際情勢の変化に合わせる必要はない。情勢など利害打算でころころ変わる。原則を貫いた方が国際社会の信用を得る。日本国憲法の平和主義は護らねばならない。一歩譲っても卑劣な手段は認められない。堂々と国民に信を問え。もちろん不正でなく正当な選挙でなければならない」
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