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記事入力 : 2014/05/31 11:16
拉致問題とかかわり26年、首相にまでなった安倍氏
政治家・安倍晋三と日本人拉致問題
1988年に拉致家族と初対面、生涯の政治課題に
一時帰国の拉致被害者を北に戻さず「保守の皇太子」と人気…後に首相に
当初は拉致説無視の日本、大韓航空機爆破事件の金賢姫元死刑囚証言後に一転
1988年9月、日本の60代のある夫妻が安倍晋太郎自民党幹事長=当時=の執務室を訪ねてきた。夫妻は「5年前に英国ロンドンで行方不明になった娘を探してほしい」と涙ながらに訴えた。手には娘・有本恵子さん=失踪当時23歳=の夫だという人物が北朝鮮から送ってきた手紙が握られていた。それは恵子さんが北朝鮮に拉致されたという内容だった。安倍晋太郎幹事長の二男であり、秘書を務めていた人物が父に代わって有本夫妻を外務省・警視庁に自ら案内し、事件の内容を伝えた。その人物こそまさに、現在の日本の首相・安倍晋三氏(59)だった。この日以来、安倍氏は北朝鮮による日本人拉致問題に関心を抱き、問題解決を「生涯の課題」とした。93年に父の後を継いで国会議員になった安倍氏は、97年に「拉致被害者家族会」の発足を主導、日本人拉致問題関連の議員連盟の事務局次長も務めた。拉致問題で独自の地位を確立したのだ。
2002年の小泉政権時は官房副長官として「拉致疑惑プロジェクトチーム」を発足させて日本人拉致問題の指揮を執り、「保守の皇太子」として注目を浴びた。安倍氏の念願は徐々に実現していった。同年の朝・日(日朝)首脳会談で金正日(キム・ジョンイル)総書記がついに日本人拉致を認めた。生存者5人が日本に一時帰国した際、北朝鮮との約束を破って彼らの永久帰国を貫き、日本全国から支持を得たのも安倍氏だった。
当時の政界に「安倍氏あり」とすれば、メディアには右翼的性向の産経新聞があった。産経新聞は安倍氏を持ち上げ、拉致を公式に認めた北朝鮮を強く非難し、「北朝鮮バッシング」に乗り出した。安倍氏と産経新聞が拉致問題に取り組んできたことで、植民地支配・侵略戦争の「加害者」とされる日本の国際的なイメージを「被害者」にすり替えるという成果も手にした。
安倍氏は「日本人拉致問題が解決するまでは国交正常化も不可能だ」として北朝鮮に対する強硬路線を維持した。06年の首相就任直後にも、対北朝鮮政策や拉致問題を政治的なカードとして利用した。同年10月の北朝鮮の核実験後に安倍政権が宣言した「対北独自制裁」は、今も維持されている。
07年9月に安倍首相が退任して以降はしばらくの間、朝・日関係は冷え込んだままで、拉致問題にも何ら進展がなかった。そして、再び問題解決の転機が訪れたのは第2次安倍内閣が発足した12年末からだ。安倍首相は政権発足と同時に「拉致被害者問題の解決は最優先課題だ」と表明、意欲を見せた。昨年5月に飯島勲内閣官房参与が訪朝、今年3月には朝・日局長級協議が1年4カ月ぶりに再開され、両国の関係は急進展した。
拉致問題の解決に向け国民的な期待が高まっている状況の中、安倍首相は28日、8年前に自身が掲げた「対北朝鮮制裁」解除を餌に北朝鮮の「日本人拉致全面再調査発表」を引き出した。1988年に有本夫妻と出会ってから26年間にわたり夢見てきた目標の第1段階が完了した瞬間だった。
安倍首相の拉致問題に対する取り組みが順調に進展してこられたのは、世界の情勢に応じて日本が韓半島(朝鮮半島)外交戦略を変化させてきたからだという見方もある。
80年代初めまで日本は事実上、韓国と北朝鮮のどちらにも偏ることのない「等距離外交」を目指していた。こうしたムードの中で1977年から83年にかけて横田めぐみさん(失踪当時13歳)をはじめとする日本人17人が行方不明になった。85年に韓国国家安全企画部(安企部)が「辛光洙(シン・グァンス)事件」を発表、北朝鮮工作員が日本人拉致に関与したという内容の資料を日本側に渡したが、日本はこれを無視した。
しかし、旧ソ連圏が揺らぎ、北朝鮮が急激に傾き始めた80年代後半から空気が全く違ってきた。特に87年大韓航空機爆破事件で金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚が「日本人女性『李恩恵(リ・ウネ)』から日本語を習った」と告白したのが決定的な証言となった。金賢姫元死刑囚の証言によると、「李恩恵」は78年に拉致された日本人女性の田口八重子さん(当時22歳)とされる。日本人行方不明事件が北朝鮮による日本人拉致問題であることが事実上確定し、議論が本格化したのもこの時期からだ。
日本はこの問題を91年−1992年の朝・日国交正常化交渉の過程で取り上げてきたが、北朝鮮は「でっち上げだ」と反発した。97年に日本で拉致被害者家族会が結成され、波紋が広がると、北朝鮮はその翌年に拉致疑惑を全面否定する談話を発表している。
90年代に日本は拉致問題をめぐって北朝鮮と駆け引きを続けたが遅々として進まず、2000年代にはこの問題を高度な政治的課題とした。その主役こそまさに安倍首相だった。
東京= 安俊勇(アン・ジュンヨン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/31/2014053100731.html
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