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日本維新の会が分党へ 石原・橋下両共同代表が心境語る
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00269553.html
28日の話し合いで分党が固まった日本維新の会だが、29日の会見は、互いに未練をにじませるものとなった。
29日午後、ほぼ同じ時刻に東京、大阪に分かれて、日本維新の会の分党について語った、石原・橋下両共同代表。
石原氏は「自分たちの政治生命を懸けている問題について、節を折る(自分の意思を曲げる)わけにはいきません。思い切って分党しようという決心を固めました」と述べた。
橋下氏は「分党するということになりました。きれいに分かれようと。それぞれの道を歩もうと。もう石原さんの決意は固かったので、十分すぎるほどわかっているつもりなので」と述べた。
1年半での破局を迎えた2人が口にしたのは、お互いに「今も好きだ」という思いだった。
橋下氏は「石原さんが、僕が間に入って調整している姿を見て、『君がこんなに苦しんでいるとはな。苦しませたくない』と言ってくれるので。僕は石原さんのことはやっぱり好きですし。『ちょっと1回、寝転がりながらでも、酒でも飲みたいな』と話もしてくれて、それが実現できなかったことは残念ですけど」と述べた。
石原氏は「わたしは、彼との出会いは、人生の中の快事だと思っている。彼とたもとを分かつことは、非常につらいですけどね。しかし、千 昌夫の『星影のワルツ』じゃないけれど、『別れることはつらいけど、仕方がないんだ、君のため』」と述べた。
そんな日本維新の会の両看板は、今後、別々の道を誰とどのように歩んでいくのか。
28日、東京と大阪の中間にあたる愛知・名古屋市内で会談した2人。
橋下氏らが進める結いの党との合流について、石原氏が「基本理念が違う。一緒に行動することはできない」と申し入れ、分党が決まった。
それから一夜明け、日本維新の党代議士会が行われた。
突然の決定に日本維新の党の小沢鋭仁国対委員長は「ありうる話かなと思いながらやってまいりましたが、その突然さには驚いている」と述べた。
中田 宏議員は「全く別の夫婦(=みんなの党)が別れて、隣にアパートを借りて引っ越してきたら、今後は、その奥さん(=結いの党)をめぐって、こっちの家庭(=日本維新の会)がぐちゃぐちゃになっている。理解に苦しむわけです」と述べた。
分党をめぐり、驚きや戸惑いが飛び交う中、午後2時半、その経緯について先に口を開いたのは石原氏だった。
結いの党との合流問題に加え、憲法や原発などをめぐる党内の意見対立が、分党の根底にあるとみられている。
石原氏は、ボタンの掛け違いは、橋下共同代表が立ち上げた日本維新の会に、石原氏ら旧太陽の党が合流するための話し合いのときに、すでに起きていたと話した。
石原氏は「彼(橋下氏)がはっきりと、わたしたちが必要としているのは石原さん1人で、平沼さんたちは必要がないというのを、彼がずいぶん思い切ったことを言うなあと思います。その時の心理的な亀裂というのがずっと尾を引いて」と述べた。
一方、石原氏の会見のスタートからおよそ15分後に分党について語り始めた橋下氏は、このときの発言について、「確かにそこで言いましたよ。石原さんと僕は一緒にやりたいので、石原さん以外とはやりたくないと。先にけんかを売られたので、東京は東京サイドで『橋下なんかいらない』とどんどん報道で出た」と述べた。
そして、今回分党が決まったことについては、「僕のある意味、説明不足というか、最後のところで、やっぱり納得していただけなかったというのは、僕の責任だと思います。なかなか政治というのは、個人の人間関係だけではうまくいかないなと思う」と述べた。
石原氏は「山に向かって登るにしても、いくつか登り口はあるでしょうから、それはそれぞれが選択したらいい」と述べた。
この会見を見ていた日本維新の会の清水 鴻一郎議員は「今の自分の考え方は、もともと大坂維新ができたときに、非常に共鳴できるなというふうに思いましたし、基本的には、橋下代表の考え方に、非常にシンパシー(共感)があって、やってきたという経緯がもちろんある」と述べた。
今後は、政界再編にもつながる維新の国会議員62人の動きが焦点になる。
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