http://www.asyura2.com/14/senkyo166/msg/128.html
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憲法を改正すれば、即、日本の国力がつき、アメリカから独立できるわけではない。イラク戦争時のイギリスを見ればわかるように、独自外交をしている国だってアメリカの言いなりになることはある。
同じように、集団的自衛権を行使すれば、即、アメリカの言いなりになるわけでもない。集団的自衛権の行使は義務ではない。やはりシリア紛争時のイギリスのように、断ればいいだけの話である。ここで断れないのであれば、憲法を改正してもどうせ断れない。
憲法9条はあまりにも重大なものと見られがちである。改憲派がどうしても改正しなければならないと考えるほど大そうなものではないし、護憲派がどうしても守らなければならないと思うほど大したものでもない。日本はそれ以外に、やるべきことがたくさんあると思う。
『月刊日本』編集部ブログより
「全てを憲法9条の責任(おかげ)にする人たち」
http://ameblo.jp/gekkannippon/entry-11863962995.html
ANNの調査によると、安倍政権の支持率は先月より約12ポイント下落して45・7%になったそうです。その原因は様々だと思いますが、やはり集団的自衛権の解釈変更をめぐる安倍総理の対応が影響していると思います。
安倍総理としては本来であれば憲法を改正したかったのでしょう。しかし、思ったほど世論の支持を得られなかったので、集団的自衛権の解釈変更に切り替えたところ、こちらも世論の支持を得ることができなかった、ということのようです。
集団的自衛権については、弊誌6月号で様々な観点から取り上げました。ご一読ください。
さて、憲法改正について、いつも疑問に思うことがあります。それは、護憲派・改憲派ともに様々な議論を行っていますが、あまりにもこの問題に拘りすぎているように見える、ということです。
改憲論者たちの多くは、憲法を改正することで日本の国力が増す、あるいはアメリカから独立できると主張しています。しかし、憲法を改正したところで、日本の外交力が突然強くなるとは思えません。アメリカに対して武力行使をチラつかせることで日本の主張を通そうと考えているのであれば、それはやめた方がいいでしょう。なぜなら、アメリカと戦争しても日本が勝つことはないからです。
中国や北朝鮮などに対しては、武力を背景とすることで外交力が増すことはあるかもしれません。しかし、そうすると現在の中国やロシアのように国際社会からの信用を失う可能性が高いので、こちらもやめた方がいいと思います。
現在の日本の外交力が低下しているとすれば、それは憲法9条の責任ではありません。単に、政治家ならびに外交官の能力が劣化しているというだけの話です。作家の佐藤優氏が『知の武装』の中で述べていますが、日本外交の基礎体力の衰えの原因は、日本版CIAがないことではありません。逆に言えば、日本版CIAを作ったところで、日本の情報収集能力が飛躍的に上がるわけではないということです。
憲法9条についても同じことが言えると思います。憲法9条があろうがなかろうが、日本の国力は劣化する時には劣化します。多くの改憲論者たちは全ての責任を憲法9条に押し付け、問題の本質から目をそらしているように見えます。
これは護憲派たちにも言えることです。日本の平和が曲がりなりにも保たれてきたのは、憲法9条のおかげではありません。自衛隊と、日米安保条約があるからです。
そもそも憲法9条下でも日本国内の米軍基地はアメリカの戦争に利用されてきましたし、イラク戦争の時も自衛隊は海外派兵されています。内閣法制局の解釈がどうであれ、日本は事実上集団的自衛権を行使してきたのであって、憲法9条のおかげで日本は平和だったというのはあまりにも現実離れしています。
憲法9条があろうがなかろうが、戦争は起こる時には起こります。護憲論者たちの多くもまた、全てを憲法9条のおかげだと勘違いし、問題の本質から目をそらしているように見えます。
もちろん憲法は改正すべきです。しかし、それよりも先に、外交力や軍事力、経済力、あるいは教育を充実させることなどに力を使った方がいいと思います。
そうでないと、憲法を改正したにも関わらず、アメリカの要請を断れず、自衛隊がアメリカの戦争に参加するといった事態を招く恐れがあるからです。アメリカの要請を断るには国力が必要です。憲法を改正すれば必ずアメリカの要請を断れるというわけではありません。
先月弊社から出版した『曽野綾子大批判』には、文藝批評家の江藤淳氏と、評論家の佐高信氏の対談も収録しています。そこでは次のようなやり取りがなされています。
【佐高】私の考えでは、憲法はロール中のロールであって、大江さん的求め方もおかしいと思っています。そのロール中のロールに、江藤さんは、サブスタンスを求めようとしている、と映ってしまう。ロール中のロールにサブスタンスを求めるのは、徒労なんじゃないかと思うのです。
憲法というものを大江さん的にみんなが受け止めているわけではないし、例えば、女性にとっては、ロールとしての解放をもたらした、ということもあると思いますが?
【江藤】そういうようなこともあるかもしれません。あるかもしれませんが、今の日本の憲法の成立の根本に知的・精神的虚偽があると思うのです。その虚偽に目をつぶって、女性が解放された、女性の地位が高まったと言ってみても始まらないと思っています。
憲法をサブスタンス(実質)と見るか、単なるロール(役割)と見るかは、今でも重要な論点だと思います。
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