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2014-05-28 09:58:43
福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」という言葉は、今も真実として安倍首相が多く引用しています。安倍首相が強調する「戦後レジームからの脱却」とは、アメリカから押し付けられた憲法を廃止し、自主憲法を定めるというところにつきます。石原慎太郎という男も自主憲法に強いこだわりを持っています。
しかし、現実には従属関係を改めるどころか、安倍政権下でアメリカのポチ化は進む一方です。集団的自衛権を行使できるように無理押しするのも、結果的にはアメリカに肩代わりさせられて、あるいはその先兵として戦争をするということを意味します。
ただ、集団的自衛権が焦点になっているいまこそ、私たちはこの議論の中で、「日本の安全保障をどうして達成するのか」を改めて問い直す必要があります。
結論はすでに出ています。「二度と戦争はしない。そのために周りの隣国とは親善友好関係を強める」です。それが、先の大戦から学んだ私たちの教訓のはずです。若い人々を戦場に送り、太平洋の国々の多くの人を殺させ、自国も多大な犠牲を払った結果の貴重な教訓のはずです。
ところが現状はどうか。来年にはあの敗戦から70年という節目を迎えるときに、周辺の国々との緊張が異常に高まっています。とくに中国とは、首相の靖国参拝という一事でわざわざ緊張を生じさせるバカな”外交”をやっています。
中国や韓国など周辺の国々と、なぜ角突き合せなければならないのか。
ヨーロッパでは、ナチス・ドイツやムソリーニ・イタリアと多くの国が熾烈な戦いをし、その反省から今ではEU(欧州連合)を作って、通貨はユーロにするなど、国の主権を譲ってまでも共同で安全を確保し繁栄をめざす努力を続けています。
戦争の世紀とされた20世紀を経て、21世紀の現代は平和をめざす世紀のはずです。そしてそれは、ある程度主権を譲っても、それぞれの構成国がお互いの安全を保障しあうという形に収れんしつつあるといえます。
「一身独立して一国独立す」は、いまでも後生大事にあがめられますが、大きな間違いを含んでいます。一国の安全は一国だけでは守れない。他の国との相互安全保障の関係を深める方策が不可欠です。つまり、頼り合うこと、依存しあうことです。ヨーロッパのNATO(北大西洋条約機構)もそうした考えのもとに今にいたっています。
その意味では、鳩山政権のときに打ち出された「東アジア共同体」構想は、きわめて有意義な提案だと思います。日中韓の3国を中心に経済面でウインウインの関係を築き、その経済の関係を維持するためにどうしても友好平和な関係を築かなければならない。
「一身独立して一国独立す」は、ともすれば「オレが、オレが」に陥る危険があります。
ところで、日米関係はどうでしょう。日本は敗戦後から実質的にはアメリカの保護国として、従属する位置に甘んじてきました。その関係が長く続いたため、今では国民の多くがアメリカの軍事力を頼りにする甘えっ子になってしまい、まともな安全保障の議論ができにくくなっています。一歩的に頼ったり依存するのではなく、お互いがお互いの人格を認めながら頼りにしあう、いわば高度な所作振る舞いが大事です。
まず必要なのは、「日本はこの21世紀をどんな国としてやっていくのか」について、真剣に考え続けることではないでしょうか。ともかく考えましょう。依存しながらしなやかに凛として生きる道を探りましょう。
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