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「戦争も革命もしたことのない政治家たちが「超憲法的存在」を自認しているのって、なんかグロテスクです。」
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2014/5/27 晴耕雨読
内田樹氏のツイートより。
今日書いていたのは「憲法の制定主体は空語である」という話。
日本国憲法の制定主体は読めばわかるとおり「日本国民」ですが、制定時点でそのような名乗りをなすことができ、政体のかたちを決定できるような政治的実力を持った「日本国民」なるものは存在していませんでした。
「だから、日本国憲法は空語なのだ、改憲せねばならぬ」と言い張る人たちがいます。
でも、自民党改憲案の冒頭の一文はなんと「日本国は・・・統治される」という受動態で始まります。
統治主体を指示する言葉がないのです!
そのだいぶあとにようやく「日本国民は」という言葉がでてきます。
でも自民党改憲案では「日本国民」は「日本国民が履行すべき義務」を列挙する文章の中にしか登場しません。
つまり「憲法に定める国民の義務を履行し得るものを日本国民と呼ぶのだが、それが憲法を定める」というクラインの壺みたいな同語反復が起きています。
でも憲法というのは本来そういうものなんです。
「超憲法的存在」がいて、その政治的実力を背景にして「憲法」を制定する。
大日本帝国憲法の制定主体は法擬制的には天皇ですが、実際に制定したのは伊藤博文たちです。
明治維新という「革命」を実行しえた政治的実力がその「権原」を形成した。
アメリカ独立宣言だって、フランスの人権宣言だって、みんなそうです。
革命や戦争があって、旧制度が機能しなくなったときに、一時的に政治的実力を得たものが「超憲法的存在」として憲法を起草して、「われわれは」という主語をあらしめている。
問題は、超憲法的な存在としていきなり「日本国民とはしかじかのものである、あらねばならぬ」と書けるのは戦争に勝つか革命に成功した政治主体「だけ」だということです。
戦争も革命もしたことのない政治家たちが「超憲法的存在」を自認しているのって、なんかグロテスクです。
二つ前のツイートちょっと訂正。
「だから、日本国憲法における「日本国民」が空語であるのと同じように自民党改憲案の「日本国民」も空語であるということです。
それに実体を賦与するのは、その憲法を受け入れ、そこに書かれた理想の実現をみずからの責務だと思う生身の日本国民たちです。」
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