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麻木さんの書評は、いつも的を射ている。 →『真実 新聞が警察に跪いた日』 − 栄光からの転落 - HONZ http://t.co/mh8kRLkpFK
― Shoko Egawa (@amneris84) 2014, 5月 24
『真実 新聞が警察に跪いた日』 − 栄光からの転落(HONZ)
2014年05月24日
http://honz.jp/articles/-/40475
時代がいくら変わっても、新聞には変わらない役割があります。その重要な 一つが権力監視、権力チェックではないでしょうか。権力監視の力は弱くなってきたと言われていますが、読者のためにも権力監視の役割を放棄するわけにはいきません。北海道警察の裏金問題の報道は、まさにそうした、新聞本来の役割を取り戻すための作業でした。
2004年10月、本書の著者・高田昌幸氏が北海道新聞取材班の代表として、報道界最高峰と言われる新聞協会賞を受賞した時のスピーチである。このときの「北海道警裏金問題追及キャンペーン」は素晴らしい仕事であった。一連の調査報道は、このほか日本ジャーナリスト会議大賞、菊池寛賞も受賞し、北海道新聞の勇名を日本中に轟かせた。事件の取材においては警察との「友好関係」が欠かせない警察記者クラブの記者たちが、よくぞ踏ん張って戦ったものだなあと、私も当時感心した記憶がある。
かっこいいなあ新聞記者。頼もしいなあ北海道新聞。そう思った読者も大勢いたに違いない。
ところが。その後にたいへんなことになっていたのである。北海道警はやられっぱなしではいなかったのだ。北海道新聞内でおきた、ある不祥事をてこにして、はげしい揺さぶりをかけていた。対応に苦慮した道新の上層部は、やがて道警との裏交渉を始め、道警追及の前線に立った記者たちは切り捨てられていく。
輝かしい成果を誇った北海道新聞は、実は水面下で圧力に屈し「警察に跪いていた」のだ…。裏切り、密告、恫喝、謝罪。
本書は、企業ジャーナリズムの栄光のあとの落日、戦慄の後日談、組織に翻弄される人々のドラマである。
北海道警察の裏金問題は2003年11月に表面化した。テレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」が「旭川中央署で捜査用報償費が裏金になっている疑いが濃厚」と報じたのである。画面には黒塗りなしの(つまり情報公開請求で得られたのではない、おそらくは内部告発の)会計書類が映し出されていた。
北海道最大のメディアである北海道新聞ではなく、東京のテレビ局に内部告発がなされたことに、著者をはじめ道新の記者たちは衝撃を受け、発奮する。道新に届けても握りつぶされると、見くびられているのではないかと。ならば、本気を出そう。裏金問題を徹底的に明るみに出し、道警に公式に裏金づくりを認めさせる。それが最終目標だ、と。
こうして裏金追及キャンペーンは始まった。存在しもしない人物に支払われたことになっている謝礼金やカラ出張、偽の領収書や裏帳簿の存在など、カラクリが矢継ぎ早に明らかにしていった。まさに真っ向から北海道警と対峙する北海道新聞の姿勢は読者の指示を得ることとなる。市民オンブズマンも動き始める。北海道内の各自治体も、この問題に取り組み始める。そのうねりは知事や道議会を動かし、やがて国会にも波及、警察庁ももはや澄ましてはいられない事態にまでなったのである。
警察内部にあって裏金体質を良しとしない者たちからの情報提供も続く。本来捜査に使われるべき金が裏金となり、幹部の飲食やら小遣いやらに化けていくことを心ある警察官たちは苦々しく思っていたことだろう。身の危険を顧みず報道に協力した者もいただろう。極めつけは元釧路方面本部長・原田宏二氏の実名告発である。退職時の階級は警視長。警視総監・警視監に次ぐ階級まで上り詰めた、文字通り道警の最高幹部だった人物が、組織ぐるみの裏金づくりについて、実名で洗いざらい告白したのだ。
北海道警はついに組織的裏金づくりを認め、利子もふくめ9億円超の資金を返還、約3000人もの職員を処分した。まさに報道の勝利だった。北海道全体を揺るがしたこの一連の調査報道で、上記のように、取材班は賞を総なめにする。
しかし。北海道新聞が栄光に包まれていたとき、すでに「新聞が警察に跪いた日」へのカウントダウンは始まっていた。
このとき道新は室蘭支局で発覚した使い込み事件を抱えていたのだが、これが片付かないうちにもう一件、今度は東京支局で金銭がらみの不祥事が起きた。室蘭の二の舞を恐れた上層部は東京の事件をもみ消し、当該社員を懲戒処分にせず、それどころか依願退職扱いで割り増し退職金まで払ってしまっていた。このことを北海道警につかまれれば、社に家宅捜索が入るかもしれない。それどころか払う必要のない退職金を払ってしまったことで、経営陣は特別背任に問われる可能性さえあるのだ。時も時、道警と厳しい対立関係にある最中に、である。
道新が攻め、道警が防戦一方だった形勢は、水面下で静かに逆転していた。ここから道新幹部たちの道警関係者参りが始まり、この二つの組織の手打ちをどうするか、裏交渉が始まった。現場の記者たちが全く知らぬ間に。
交渉のポイントは、取材班が書いた「泳がせ捜査失敗」の記事。その内容は「道警銃器対策課が2000年4月頃、いわゆる泳がせ捜査に失敗し、大量の覚せい剤と大麻を国内に流入させてしまった」というものである。これが北海道警の逆鱗に触れた。道警側の要求は「ねつ造記事であると認め、謝罪し、関係記者を処分せよ。それをもって、裏金問題でこじれた道警と道新の関係を正常化させる」というものだ。
これにたいして、北海道新聞の幹部がいかなる振る舞いを見せたか。じつは本来表にでないはずの裏交渉の詳細が、いま明らかになっている。幹部たちの言動は密かに録音されており、その膨大の記録を文字に起こした文書が、裏金問題にからんで本書の著者らにたいして起された名誉毀損裁判で、証拠として提出されたのである!逐一録音されていたとは道新幹部もさぞかし驚いただろうが、何も知らないうちにはしごを外されていた著者たちは、それこそ驚愕したに違いない。
この裏交渉の中身がとにかく生々しい。
北海道新聞幹部たちは、現場の記者を「吊るし上げ」て「情報提供者」を明かせと迫り、「明かせないのは記事がねつ造だからだ」と認めさせようとする。記者たちは記事に自信があるとして、幹部の説得に頑として応じない。そうした新聞社内の調査の進捗状況は、当時は退職したばかりで警察関係の公益法人に天下っていた道警の元総務部長へ随時「報告」されていた。このまま事態が膠着し記事の取り消しと謝罪の社告が出せなければ、「組織としての北海道警察が北海道新聞を民事の名誉毀損訴訟で訴える」との情報におびえて右往左往する道新幹部たちの姿は悲しいほどである。著者ら取材班のメンバーが異動したあとの後任の警察担当デスクなどは、この元総務部長にたいして「お願いにきた。早く提訴して、高田をやっつけてほしい。われわれが力になる」とまで言い出すのだ。
裏交渉のキーパーソンとなる元総務部長は、警備公安畑を長く歩み、裏金問題が発覚した際には警察の組織防衛に奔走した人物である。
道警との交渉がいわゆる公安警察のやりかたに沿ったものだったのかどうか、それは私には判断できない。ただ、甲84号証(道新と道警のやりとりの録音の文字起し)を何度も読み返していると、ある語句が浮かんでくる。
「赤子の手をひねるように」という言葉である。
組織には組織の論理があり、人はそれに翻弄される。自分のすべきことを貫くことが出来る幸運に恵まれる者もいれば、流れに呑まれてしまう者もいるだろう。組織とはそういうものだと言ってしまえば北海道新聞も北海道警も等しく「組織」だ。だが道警は「公権力機関」なのである。
冒頭の高田氏のスピーチにあるように新聞の役割が公権力の監視とチェックなら、公権力側は「監視とチェック」を受ける義務がある。義務に見合う権力を持っている。その公権力との距離を測り違えて、単なる「組織と組織」の手打ちであるかのように対処した結果、道新内部は分断され、互いの信頼を失ってしまった。
もとより社会的なできごとは多様である。私の目線と他人の目線は違う。映る風景も違う。それが前提になっている。
悪人はどこにもいない。どこにもいない。
著者はそう言う。が、本書を読み終えてもまだ、私にはわからない。誰もが陥る可能性のある罠なのだという気もするし、どこかにやっぱり「悪」がひそんでいるような気もする。
さて、例の「泳がせ捜査失敗」の一件。真実はどうだったのだろうか。本書の終盤に、ある人物が登場する。彼が語る「驚くべき事実」を確かめることは出来ないが、「まさか」と思うよりも、「ああ。そういうことはありうる。あってもおかしくない」と思わずにいられないくらいには、本書で「闇」を覗いたように感じる。
ぜひこの本を読んで、報じる者・報じられる者、それぞれの顛末を追ってみてほしい。そして本書に登場する様々な人々の立場に身を置いてみてほしい。自分が記者だったら、警察官だったら。どうするだろうか。そんなふうに考えるうちに、ニュースの見え方が変わってくるはずである。
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