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「「民意による政治の意義と限界−なぜ立憲主義とデモクラシーが結び付くのか?」:山口二郎氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14256.html
2014/5/24 晴耕雨読
「民意による政治の意義と限界−なぜ立憲主義とデモクラシーが結び付くのか?」
山口二郎(政治学・法政大学)から転載します。
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/activities
私は憲法学者の理念的な話と対照的に、少し現実の今の日本の政治状況を見ながら解釈改憲、集団的自衛権の問題点、それに対してどう闘うかということをお話ししたいと思います。
民主政治の定義、これは先ほどの愛敬さんのお話にもありましたけれども、本来的には国民自身が国民を統治する――リンカーンの定義によれば、人民によって、人民のために統治をする――これが民主政治の基本的な理念です。ところが「人民によって人民のために」というのは言うほどに簡単な話ではありません。人民の意思とは何か、これをどうやって表現するか、あるいは定義するか。これは本当に民主政治の歴史とともに、長い難問であります。
一応現代の民主政治においては、選挙と代表制という仕組みで人民の意思を表現する、あるいは把握するという建前になっております。それから当然人民にはいろいろな考えがありますから、意見が割れた場合には、多数決によって最終的には一つの結論に到達するというルールがあります。それ自体は民主主義を構成する重要な原理であり、私は別にけしからんというつもりはありません。ただし選挙と多数決があれば、それで民主主義が成り立つのか。選挙・多数決というのは民主主義にとっての十分条件かといえば、そうではないと言わなければなりません。つまり選挙と多数決以外に民主主義、民主政治を構成する原理はほかにもあるということが、今日の私の話の一つのポイントであります。
多数意思が万能かといえばそんなことはありません。多数意思が間違った事例というのは1930年代のドイツをはじめとして山ほどあるわけです。先ほど愛敬さんも安倍さんの発言を紹介していましたけれども、私に言わせれば、国王ではなく国民が権力を持つ時代だからこそ憲法による縛りが必要なわけです。しかも為政者が標榜する民意というのは、多くの場合、フィクション、擬制です。つまり選挙で表れた民意にすぎません。しかし選挙の時にはどの政党、どの候補者を勝たすかという意思表示ぐらいしか分からないのであり、その背景に人々がどのような政策を選ぶかということについては、やっぱり政治家が勝手に「これが民意だ」と言う余地がとても広いわけです。
最近の日本を見ておりますと、為政者が人民をなめているとしか思えないことがたくさんあります。今日のシンポジウムのテーマで「『私が決める政治』のあやうさ」というのは、実は私が考えたのですが、大阪の橋下市長、そして国政の安倍総理、彼らは非常に似ていると私は思います。つまり選挙に勝ったのだから自分が民意を体現している。自分が進めている政策・方針が国民の意思であるという自己正当化で、バシバシといろんな政策を進めていく。しかも議論をなるべく省略して多数決でさっさと決めていくことがむしろ民意を実現するという観点で、民主主義的であると言わんばかりのおごりや開き直りが大阪、さらには国政レベルで広がっています。これはとんでもない詐欺です。
そもそも為政者は選挙の時に任期中の自分の行動をすべて予告して、それについて選挙民・市民から委託あるいは負託を受けているのかというと、そんなことはありません。そこに第一の欺瞞があります。自民党は2012年の12月の選挙や去年の夏の参議院選挙で「憲法改正します」と、ちゃんと国民に声高に訴えたか。そんなことはありません。アベノミクスと言っていただけです。こういう開き直りを許しますと、民主主義というのはきわめて矮小化というか、貧相なものにされてしまいます。つまり民主主義は「決める人を決める手続き」に矮小化されてしまうわけです。そして決める人を決めてしまえば、国民は、あとは出番なし。あとは決める人が決める。それが民主主義だ。これが安倍流、橋下流のデモクラシーの定義ということになります。
やはり安倍政権の憲法議論は、ひと言で言えば野蛮だと思います。つまり近代を否定するわけですから近代の前の暗黒時代、あるいは野蛮人の時代に日本をまるごと連れ戻したいと思っていると私は感じています。案の定というか、安保法制懇の座長代理の北岡伸一さんが今週の月曜日の東京新聞で非常に正直に本音をしゃべっています。本当にびっくりしました。憲法は最高規範ではなく、上に道徳律や自然法がある。憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法である。その意味で憲法学は不要だとの議論もある。今日おいでになっている憲法学者はあとでこれにしっかり反論していただきたいと思うのですが、これはちょっと神がかりですよね。つまり憲法の上位規範に自然法とか道徳がある。でも道徳とは何か。北岡さんが「これが道徳だ」と言ったものが憲法より上の規範になるのですか。これはもうほとんど神託というか、神様の権威を騙ったご託宣のレベルですよね。そんな話で日本国の重要な政府の行動を動かしてよいのかと。とんでもない話だと思います。でもそこに安倍政権の本音があると思うのです。つまり、先ほど愛敬さんが紹介した自民党改憲案の野蛮さというのは北岡さんにとってはどうでもいいわけですよ。彼は、そこはどうでもいいと思って安倍政権の手伝いをしているわけです。「憲法が最高規範ではない」と言っているのだから、あれは政治家の作文みたいなもの。青年の主張コンクール。自民党の右翼政治家がその青年の主張をやって、それはそれでいいのだと。これが北岡さんたちの発想だと私は思います。
もう一つ、野蛮なだけではありません。現実主義を気取る国際政治学者や評論家、あるいは元外交官の皆さんは途方もない空想世界に遊んでいるとしか思えない。それが安保法制懇の特徴であります。北岡さんは、同じ東京新聞のインタビューで、安全保障は常に最悪を想定しておかなければならないと言っています。本当に最悪を想定しているのですか。私にはとてもそうは思えない。つまりどこか遠くの公海上で外国の船が戦闘状態に陥った時に日本が一方の国に加勢する。ようするに戦争状態に入るということですね。ということは相手方の国にとって日本は敵国になるわけですから、もう何の遠慮もなく日本を攻撃できる。そうすると日本海側にある原発なんていうのは、もう「撃ってください」と言わんばかりのロケーションですよね。そこにミサイルが飛んでくる。日本は一体どうなるか。そういう最悪の状態を彼らは本当に考えているのか。彼らが考えている武力行使というのは、なんか悪いやつを一緒に叩きのめすみたいな、自分のとこには火の粉は飛んでこないみたいな。そういう非常に空理空論の前提で、机上の空論をしているとしか思えないわけです。
今、進んでいる安倍政治の特徴、これは国家の私物化と憲法の玩具化です。憲法がおもちゃになっているというのはさっき言った通りです。最高規範じゃないと思っているから、ああいう野蛮な作文コンクールの対象にするわけです。そして安倍政治においては本来専門的中立的な機関として政治をチェックする。あるいはとりわけ多数派の暴走をチェックするために置かれていたような内閣法制局あるいは公共放送、そういったものを一つの 党派色で塗りたくる。さらには成長戦略という話で特定の企業のあられもない私的利益を国全体の政策目標として掲げて、「残業代ゼロ」みたいなことも言い出す。まさに政策を決める機関全体を私物化することが進んでいるわけです。その中で憲法はもう玩具ですから、さっき言ったように集団的自衛権は客観的な必要性があって導入するというよりも、それ自体が目標だということになります。
私はこういう安倍首相や取り巻きの若手の政治家を見ていますと、石原吉郎という詩人が書いたシベリア抑留時代の体験記を思い出します。その抑留中、抑留されていた日本人の捕虜たちは隊列を組んで歩かされるわけですけれども、後ろに銃を構えた警備兵がついて、ちょっとでも列を離れると逃亡とみなして撃っていいというルールになっていた。石原は、実戦の経験が少ないことに強い劣等感を持っている17,8歳の少年兵に後ろに回られるくらい嫌なものはない。彼らはきっかけさえあれば、ほとんど犬を撃つ程度の衝動で発砲すると書いています。まさに安倍及びその取り巻きの恐るべき子どもたちというのは、実戦経験がないことに劣等感を持っている少年兵そのものだと思います。
しかし、政治の現状はそれほど悲観したものではないわけでありまして、例えば4月7日の朝日新聞の世論調査を見れば、国民の大多数は集団的自衛権の行使には反対、憲法九条は変えないほうがいい、そして武器輸出の拡大には反対という常識をまだ保っています。つまり今、民意とそれから政党の配置の間に大きなずれがあるということです。自民党が右に寄って、途方もない憲法案を作った。さらにその右に維新の会やみんなの党という補完政党が自民党の改憲を手伝おうという形で連立のパートナーの座を狙っているという状況です。公明党がどうなるか今、分からない。国民の常識はだいたい真ん中辺でさっき言ったように憲法を守ったほうがいい、集団的自衛権はおかしいと思っているわけです。
問題はこの中間の領域が政治の世界で空白だ、国民の常識を受け止めるちゃんとした野党がないという問題です。今、必要なことは対抗勢力を立ち上げることです。対抗勢力というのはもちろん国会議事堂の中できちんと安倍自民党政権に対抗する政治家の皆さんのかたまりを作ることも必要なのですが、私たち自身が対抗勢力になるということです。これが今必要なのです。安倍政権、今とても順風満帆のように見えるのですが、党内で集権化が進み、野党が不在で、世論調査の支持率は50%を超えている。でも支持率を下げれば政治は変わるわけです。今必要なことは幅広い連帯・連携を作ることです。一つは責任野党なんていうまやかしは信じちゃだめです。それはもう維新の会とみんなの党の今の動きを見ればあれがいかにいかがわしいかということは皆さんもうよく分かると思います
国民の常識を受け止める政治勢力を作るということですが、そこで私は立憲主義というプラットフォームはやはり有効だと思います。というのは、例えば九条の解釈で自衛隊違憲だという方も大勢いらっしゃると思うし、いや、戦後の日本が歴代の自民党政権のもとで専守防衛、海外派兵しないという安全保障政策を持ってきたことが平和主義なのだという解釈の人もいるでしょう。でもそれが今、手を組む必要がある。最大の敵は野蛮な自民党改憲案であり、海外で戦争をしたいという今の安倍政権の改憲路線。これと対決をするために、海外派兵をしないという多数派を結集していく必要があるということです。そういう幅広い結集のために、これから私どももいろいろと言葉を出してプラットフォームを作っていきたいと思いますので、ぜひとも市民の皆さんもご関心を続けていただいて、いろんな場で発言をしていただきたいとお願いして、私の話を終わりといたします。ありがとうございました。
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