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小沢一郎は<西郷隆盛>になるのか?
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2014年05月22日 04時41分13秒 世川行介放浪日記
三上治さんからメルマガが届いていた。
僕は、彼を、批判すべき時には批判するが、
その人となりは好きで、
吉本隆明が彼を可愛がった理由が理解できる気がする。
定期的に送られてくる「テント村日記」は、
「ホント、この人は文章が下手くそだなあ。」
と微笑みながら、愛読してきた。
今日のメルマガは、小沢一郎講演会の案内だった。
「小沢一郎議員を支援する会」が主催だそうで、
世話人代表である伊藤章という老人の呼び掛け文が載っていた。
出席者の名が連記されていて、
それらを見ながら、
「この人たちは、
とうとう、小沢一郎を、反体制政治家で終わらせていくのだな・・・、」
と、淋しい思いで眺めた。
まあ、そのことについては、「新日記」に書いたので、ここにまで書こうとは思わないが、
小沢支持者群には2種類があって、
自民党離脱時からの支持者群と、
陸山会事件を契機として小沢支持に移行した支持者群だ。
僕などは、前者なのだが、
ここ数年、眼(まなこ)を凝らして見るところ、
僕たちのような「自民党離脱時からの支持者群」が、
この1〜2年で、小沢支持から急速に離れていったように思える。
その理由は何かと言うと、
前者は、小沢一郎に政権担当の夢を見、
後者は、小沢一郎に反体制政治家の期待をかけた。
ということではなかろうか。
自民党離脱時の小沢一郎は、
新生党という少数政党を立ち上げたものの、
政権奪取の意欲は旺盛で、
新進党、小沢自由党、民主党と、
政権への道に挑戦し続けた。
しかし、
民主党離脱後は、
彼の奥底から、政権奪取の意欲は色褪せたか失せたか、のように見える。
そういう気配は、人にはすぐに通じるわけで、
今、小沢一郎が政権奪取への決意表明をしたって、
国民の多くは、まともに受け止めないだろう。
そういう場所に、現在の小沢一郎は、いる。
そんな小沢一郎を遠望していて、
「ひょっとしたら、
小沢一郎は西郷隆盛になったのではないのか?」
時々、そう思う。
歴史を繙(ひもと)けばわかるとおり、
前期には、冷徹なリアリスト政治家を生きた西郷隆盛は、
明治政府ができると、鹿児島に帰り、
再び政府に呼ばれるが、征韓論に敗れ下野し、
最後は、西南戦争で、謀反人として自刃して果てる。
その波乱に満ちた生き様は多くの文学者を惹きつけ、
たとえば、司馬遼太郎は『翔ぶが如く』で、江藤淳は『南洲残影』で、
彼らなりの西郷像を描いてみせた。
西郷隆盛を論じる時に焦点の一つになるのが、
何故、鹿児島から兵を率いて東上しようとしたか、
という点で、
それを、側近の桐野利秋のせいにしたり、
警察制度の創始者川地利良のせいにしたり、
その理解の仕方の違いで、様々な西郷論が展開されてきた。
よく言われる西郷解釈の一つに、
明治政府の傲慢堕落のありように、
「多くの血を犠牲にした結果がこんな政府だったのか。」
と、
現世にはある諦念を抱き、
自分を慕ってきた桐野利秋たち過激派の神輿に、黙って乗った。
というのがある。
これは、いかにも、「人徳の西郷隆盛」と呼ぶにふさわしい解釈で、
結構、多くの人の賛同を得てきた。
仮に、そうした姿勢の男の像を、西郷隆盛、と呼ぶとしたなら、
「最近の小沢一郎は、<西郷隆盛>になったのではないか?」
そんな気がする。
三上治さんから送られてきた案内状の、
趣意文とメンバーを見ると、
征韓論で敗れたその余燼をはらい落としきれずに西南戦争に向かった西郷隆盛の行程を、
思わず連想させられる。
多くの<桐野利秋>たちの過激神輿に乗って、
「反体制政治家の雄」としての色を濃くし始める小沢一郎は、
本来の小沢一郎なのだろうか?
それとも、現世諦念の姿なのだろうか?
小沢政権を夢に見続けた僕たち20年来の小沢一郎支持者群には、
淋しい限りの現在の光景だ。
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