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「集団的自衛権」という戦争のための大義名分
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2014/05/post-59dd.html
2014.05.19 きっこのブログ
5月15日、安倍晋三首相は、自分で勝手に作った「何の権限もない私的機関」に「憲法の解釈を変更して集団的自衛権を行使できるようにすべき」というヤラセ報告書を作らせて、それを自分自身に提出させて、それを受けて会見をひらいた。そして、報告書はさっき受け取ったばかりなのに、まるで何日も前から用意していたようなパネルを使って、「集団的自衛権」の必要性を説明した。
まさに「自作自演」の茶番劇だったけど、あの滑舌が悪く詭弁に満ちた会見の内容をここで繰り返す必要もないし、あの会見の意味を説明するのなら、次の中曽根康弘元首相の言葉を紹介するだけでコトは足りるだろう。
「現憲法においても集団的自衛権は行使できる。これは解釈の問題だから、総理大臣が公式にそれを言明さえすれば、一時的にいろいろ騒ぎがあるかもしれぬが、そのまま進めれば通用して行く」
これは、2004年11月11日の「衆議院憲法調査会」の公聴会で、熱心な改憲派の中曽根元首相が述べた主張だ。そして、10年の時を経て、この作戦を実行したのが先日の会見だったってワケだ。ようするに「言ったもん勝ち」の作戦だけど、こうした強引な作戦を成功させるためには、背景として「それなりの支持率」が必要だ。支持率の低い首相がこんな作戦を強行したら、一気に退陣に追い込まれちゃう。
だから、第一次安倍政権でも、次の福田政権でも、次の麻生政権でも、この作戦は強行されなかった。そして、「野党がバラバラで敵がいない」という理由で「それなりの支持率」をキープできている今こそ、念願だった「戦争のできる国」へと突き進むチャンスだと判断した安倍晋三が、汚染水対策よりも、原発事故の収束よりも、被災地の復興よりも、経済政策よりも優先して、「集団的自衛権」という「戦争をするための大義名分」を手にするために動き出した今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
‥‥そんなワケで、今日は、この「集団的自衛権」について書いて行こうと思うんだけど、国の防衛や日米安保の問題については、人それぞれ、いろんな意見や主張があるだろうし、反対意見の人と議論をすれば、たいていは水掛け論になっちゃう。あたしは、水掛け論ほど不毛なものはないと思ってるので、今回は「賛成か反対か」じゃなくて、この「集団的自衛権」が行使できるようになったら、日本はどうなるのか?‥‥ってことについて書いていこうと思う。
ま、ザックリと言っちゃえば「戦争ができるようになる」ってワケで、これはマクラの部分から書いてきてるけど、もっと分かりやすく言えば、「戦争をするための大義名分」として、この「集団的自衛権」てものが存在してる。安倍晋三は15日の会見で「集団的自衛権が行使できるようになっても、湾岸戦争やイラク戦争のような戦闘には決して参加しません」なんて無責任なことを言ったけど、これは単なる詭弁にすぎない。
湾岸戦争やイラク戦争だけでなく、1956年にハンガリー政府の要請を口実にしてソ連が軍事介入した「ハンガリー動乱」も、1965年から10年間も続いた「ベトナム戦争」も、1968年にチェコスロバキア政府の要請を口実にしてソ連が軍事介入した「プラハの春」も、1979年から10年間も続いたアメリカの傭兵軍コントラによるニカラグアの内戦「コントラ戦争」も、他にもたくさんある近年の戦争の大半は、この「集団的自衛権」を大義名分にして火ぶたが切られている。
たとえば、1990年からの湾岸戦争の時だって、クウェートに侵攻したイラクを叩くために、国連安保理の決議を受けて、アメリカ、EU、アラブ諸国が「集団的自衛権」の行使を表明して、総攻撃を開始した。この時、もしも日本も「集団的自衛権」の行使が容認されていたら、日本の自衛隊は、100%、アメリカやEU各国の軍隊と一緒にイラクを攻撃し、敵と一緒に何の罪のないイラクの民間人たちを虐殺していただろう。
日本が今まで、こうした戦争に参加せずに来られたのは、もちろん「憲法9条」によって「集団的自衛権」の行使が認められていなかったからだ。だから、「集団的自衛権」を行使できるようにして、アメリカやEUの国々と一緒に戦争のできる国にしたいのであれば、憲法を改定するしかない。だけど、これを現行の憲法のままで、解釈の仕方をねじ曲げることによって可能にしてしまおう、というのが、中曽根康弘や安倍晋三の考えってワケだ。
でも、これは無理がありすぎる。解釈の変更だけで、今まで「できない」としてきたものを正反対の「できる」にするのは、いくら何でもデタラメすぎる。たとえば、「薄い灰色」を「濃い灰色」だと言うくらいならともかく、「白」を「黒」だと言い変えるのはアリエナイザーだ。
‥‥そんなワケで、憲法の解釈変更の是非は置いといて、ここからは、日本が憲法に違反して実際に「集団的自衛権」を行使した実例を振り返ってみよう。それは、小泉政権下の2003年12月から2009年2月まで強行されたイラク戦争への自衛隊の派遣だ。これは、その前の湾岸戦争の時に、アメリカから「日本は同盟国なんだからカネだけじゃなくて『血の犠牲』も払え!」と言われたために、アメリカの飼い犬の小泉政権下で強行された悪しき実例だ。
もちろん、日本には「憲法9条」があるし、当時は解釈変更なんていう姑息なゴマカシも行なわれていなかったから、自衛隊を派遣するためには憲法の網の目をすり抜けるためのイイワケを考えなきゃならない。そこで、小泉政権では、「人道復興支援活動」と「安全確保支援活動」というタテマエの看板を作り、その前提として自衛隊の活動できる範囲を「非戦闘地域」に限定した。
だけど、「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域かなんて、どうして分かるのか?」という野党からの質疑に対して、当時の小泉首相は「自衛隊のいる場所が非戦闘地域です」という支離滅裂な答弁を繰り返した。そして、国民の85%の反対の声を無視して、日本の自衛隊はイラクへ派遣されることになった。
で、日本のテレビでは、ヒゲの隊長が現地の人たちに飲料水を配給して感謝されてるような平和的な映像しか流されなかったし、政府は「自衛隊は全員無事に帰還した」なんて報告して、多くの日本国民を騙し続けた。2006年には、当時の外務大臣だった麻生太郎が「日本の自衛隊は、これまで2年半の間に1人の犠牲者も出さずに人道復興支援をやり遂げてくれた。野球で言えばノーヒットノーランぐらいすごいことだ」とコメントした。
でも、実際には、この時点で、複数の自衛隊員が亡くなっていた。この1年後の2007年11月13日、社民党の照屋寛徳衆議院議員(当時)の「イラクから帰還した自衛隊員」に関する質疑に対して、当時の福田康夫首相は、「イラクに派遣された隊員のうち在職中に死亡した隊員は35人」と回答した。内わけは「陸上自衛隊14人、海上自衛隊20人、航空自衛隊1人」で、死因は「自殺」が16人、「病死」が7人、「事故又は不明」が12人だ。
これは、自衛隊のイラク派遣が始まった2002年から2007年10月末までの人数で、年度別に分けると、2002年が2人、2003年が3人、2004年が4人、2005年が8人、2006年が10人、2007年10月現在が8人だ。なんか、2005年から急に倍増してるよね。
それにしても、「事故又は不明」って何?死因が分からない隊員が、1人や2人じゃなくて、何で12人もいるの?‥‥ってワケで、ここで、麻生太郎が「ノーヒットノーランだ」と言った1年前の2005年7月8日の「イラク・レジスタンス・レポート」の「長時間の日本軍基地攻撃はシーア派の敵意増大を反映」という記事の一部を紹介しよう。
「8日午後2時30分、イラク南部の都市サマワにある日本占領軍の基地に対して、イラク・レジスタンス勢力は強力なロケット弾と迫撃砲弾を見舞った。イスラム・メモのサマワ通信員は、レジスタンスの砲撃は1時間15分ほども続き、施設内にサイレンが鳴り響くなかで、濃い煙がたちのぼるとともに、日本占領軍の基地内ではいくつもの二次爆発が発生した。いわゆる「人道支援イラク日本合同司令部」で通訳として働く基地内の情報筋は、イスラム・メモに対して、この砲撃は日本占領兵にも死傷者を出したが、犠牲者のはっきりした数字を示すことができないと語った。」
※全文はこちら
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/0708-2005_Resistance_Report.html
‥‥そんなワケで、イラクの自衛隊のキャンプが砲撃を受けたというニュースは、当時の日本でもちょっとだけ報じられて、あたしも記憶してるけど、雰囲気としては「大したことはなくて負傷者は1人も出ていない」という感じでサラッと流していた。でも、現地の報道では、1時間以上もの長時間の攻撃が続き、日本の自衛隊員に死傷者が出たと報告している。そして、この年、イラクに派遣された自衛隊員は8人も亡くなっている。さらには、この8人が該当するのかは分からないけど、死因が「事故又は不明」が全体で12人もいる。
で、次は、ドバイ在住のPINKさんというハンドルネームの人のブログの2009年5月2日の「英国軍イラク撤退」というエントリーを紹介する。これは、タイトルの通り、英国軍がイラクから撤退したことについて書かれてるもので、日本人のあたしにとっては、耳の痛いことが書かれている。
「911ニューヨーク攻撃犯人は、サウジアラビア人達だと言っておきながら、サウジアラビアは攻めず、イラク人など一人も関わっていなかったにも拘わらず、アルカイダの存在も全くなかったにも拘わらず、イラクへ侵略した欧米日本...イラク人達の犠牲者の数、イラクの苦悩には一言も触れずに、侵略戦争の成功を神様に感謝しながら祈る牧師の姿は、ヤッパリ戦闘服であるのがヤケにピッタリした感じでもあります。」
そして、次のように続いている。
「そう言えば、ワタシが驚いたのは、日本では自衛隊員の犠牲者は一人もなかった...事になっていると言うことでした。何年頃だったか忘れましたが、日本の外では、BBCもCNNも確かに、初めての自衛隊員の銃撃戦による死亡を伝えるニュースを流したことがありました。 少なくとも一人の自衛隊員はイラクで銃撃戦の犠牲になっているのは事実です。」
※全文はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/pinkorangedesert/48038993.html
‥‥そんなワケで、「イラクに派遣された自衛隊員が銃撃戦の犠牲になった」なんて、日本ではまったく報じられていないし、こうしたニュースが海外で報じられたことを知っている日本人は少ないだろう。そして、日本の政府は、亡くなった自衛隊員の死因を「不明」と発表し続ける。なぜなら、「銃撃」や「砲撃」と言ってしまったら、そこが「非戦闘地域」ではなくなり、小泉純一郎が、自民党政権が、憲法違反をしたことが立証されてしまうからだ。
ちなみに、アメリカの当時の大統領のブッシュも、イギリスの当時の首相のブレアも、イラクには「大量破壊兵器」はなかったと認めているが、日本の当時の首相の小泉純一郎だけは、未だに自分の非を認めず、謝罪も説明責任も果たしていない。
10万人とも15万人とも言われているイラク戦争の犠牲者のうち、9割以上は何の罪のないイラクの一般市民であり、子どもや女性が半数以上を占めると言われてるけど、「集団的自衛権」を大義名分にして戦争をふっかけた側の死者の数は、米国の兵士が3万2226人、英国の兵士が315人、その他の国の兵士が212人以上だ。
そして、現在も「集団的自衛権」を大義名分にした戦争が続いてるアフガニスタンでは、2014年4月現在で、米国の兵士が2322人、英国の兵士が453人、以下、カナダが158人、フランスが86人、ドイツが54人、イタリアが48人、デンマークが43人、ポーランドが42人、オーストラリアが40人、スペインが34人、グルジアが30人、ニュージーランドが25人、他にもたくさんの兵士が亡くなっている。
安倍晋三は、「海外で日本人に危機が迫っても、今の憲法解釈では集団的自衛権が行使できないので日本人を救うことができないのです」だの「集団的自衛権が行使できるようになっても、湾岸戦争やイラク戦争のような戦闘には決して参加しません」だのと詭弁を並べたけど、ここまで読んでくれば分かるように、この「集団的自衛権」とは「戦争をするための大義名分」なのだ。
もしも日本が「集団的自衛権」を行使できるようになったら、現在のアフガニスタンのように、アメリカとEU各国が「集団的自衛権」を掲げて戦争を始めた時に、日本だけが「参加しない」なんて言えるワケがない。今までは「憲法9条」という盾を使って「非戦」を貫いて来れたけど、その盾がなくなるんだから、結局はナシクズシ的に戦争に参加することになる。
その上、日本はアメリカの子分なんだから、大規模な形での参加を余儀なくされる。さっき挙げたイラク戦争とアフガニスタンで戦死した兵士の数を見れば分かるように、どちらもアメリカの兵士の数が突出している。これは、もちろん動員数に比例したものだけど、日本はアメリカから「同盟国なんだからカネだけじゃなくて『血の犠牲』も払え!」って言われてるくらいだから、アメリカに次ぐ人数の動員を迫られるだろう。そうなれば、必然的な戦死者の数も多くなり、兵士の数が不足してくれば、お次は「徴兵」だ。実際、自民党は、過去に「徴兵制」に関する議論を活発化させようとした前科がある。
‥‥そんなワケで、「消えた年金問題は来年の3月までに、最後の1人まで、最後の1円まで、私の責任において解決すると国民の皆様にお約束いたします!」と連呼した2ヶ月後に「最後の1人まで」どころか「最初の1人」すら解決せずに政権を丸投げした安倍晋三、港湾外にダダ漏れで3キロ沖でも海水の放射性物質の濃度が2倍以上に上昇してるのに「汚染水は港湾内で完全にブロックされています!」なんて宣言しちゃう安倍晋三、こんな男の「集団的自衛権が行使できるようになっても、湾岸戦争やイラク戦争のような戦闘には決して参加しません」なんて言葉は、たとえ地球が逆向きに自転し始めても絶対に信用できないと思う今日この頃なのだ。
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