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「必要な時に自国民を守りもしなかった政府が何を言う:masanorinaito氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14216.html
2014/5/19 晴耕雨読
https://twitter.com/masanorinaito
総理は、今の状況では、日本人を守れないと強調するが、違う。
守れないのではなく日本政府が守らなかったのである。
イラン・イラク戦争のとき、テヘランに取り残された邦人は日本政府の救援を待ったが、救援機は来なかった。
民間に投げたが、JALは当然のように戦闘地域になど飛びはしない。
結局、邦人を救出したのはトルコ政府が派遣したトルコ航空の民間機だった。
あの時、邦人を救出するために自衛隊機を派遣したとして、それがイラクやイランの人達に日本の武力行使を疑わせることなどあり得なかった。
だが、政府は憲法上できないと主張した。
安倍総理が会見で使った話の中に、戦地から逃れるお父さんお母さんおじいさんおばあさんや子どもたちを乗せた米国の船を護衛できないんですという一節があった。
おかしいじゃないか。
日本の船に乗せて自衛隊が護衛するなら明確に個別的自衛権の範囲だ。
それすらやらなったのになぜ米国に良い顔をする?
最初から、自国民の保護より、アメリカに良い顔をしようとするだけじゃないか。
政権も安保法制懇の人達も、二言目には、湾岸戦争のときに130億ドル出したのに感謝されなかったのが悪夢みたいなことを言うが、必要な時に自国民を守りもしなかった政府が何を言う。
中東で仕事をしてきた日本人には、日本政府ほ有事の際に助けに来ないことを思い知らせたのがイラン・イラク戦争だった。
邦人救出をしてこなかったことを棚に上げ、アメリカとの同盟関係のために集団的自衛権を認めろとは笑止千万である。
窮地に陥ったテヘランの邦人を救出したのは民間のトルコ航空機だったが、トルコ軍がでてきたわけではない。
民間だけで日本人を助けたのである。
イラクのフセイン政権は、とてもトルコの民間機を撃ち落とすことなど出来なかった。
そこを読み切ったのはトルコ政府。
日本政府ではなかった。
抑止力というのは、軍事力や集団的自衛権をひけらかすことで持てるわけではない。
集団的自衛権の議論への根本的違和感は、自国民をどう守るかを議論する前にアメリカに何をできるかを議論していること。
個別的自衛権といえども、軍事力の行使に依存しなくても担保しうる。
軍は政権のおもちゃではない。
イラン・イラク戦争のときにトルコ航空機がテヘランの邦人を救出した件だが、トルコのオザル首相にトルコ航空機派遣を頼んだのは日本政府ではない。
イスタンブールで働いていた一人の日本の民間人。
日本政府はこの救出劇を美談に仕立てようとしたが、日本側の主役は一民間人。
トルコ側の主役も民間機のパイロット。
重要なことは信頼。
グローバル化がこれだけ進んだ今だからこそ、特定の同盟関係より、日本という国は軍事力で他国を脅さず、過去の過ちは過ちとしてきっちり認める国であることを世界に示すことこそ邦人安全確保の要諦。
他国を威圧するなら、刀を抜かずに威圧する術を学ぶべき。
イラン・イラク戦争のトルコ航空機による邦人救出。
当時、イスタンブールにいた民間人がオザル首相に直訴して、首相がそれまでの信頼関係からトルコ航空に日本人だけを救援するために特別機を出させた。
トルコ人はテヘランに残ったのだ。
集団的自衛権など何の関係もなし。
この一件でさえ、後に、この民間人の功績ではなく、当時の外務省高官の功績にすり替えようとする動きがあった。
不愉快な話だった。
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