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歴史を歪曲する「読売(腑抜け)新聞」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20140518-00035437/
2014年5月18日 18時33分 田中 良紹 | ジャーナリスト
安倍総理が「デマゴーグ会見」を行った翌日、新聞各紙は会見の模様を一面で伝えたが、読売新聞は一面右下に「吉田茂ならどうする」との見出しで政治部長の解説を掲げた。これが日本の歴史を歪曲するとんでもない内容であった。
この新聞社は以前にも特定秘密保護法が強行可決された際、政治部次長が「民主主義は多数決」と民主主義のミの字も知らない恥さらしの解説を行ったが、またまた性懲りもなく歴史の無知をさらけ出した。「バカでなければ新聞記者にはなれない」というブログを書いた事があるが、この新聞社はその見本である。
政治部長は「吉田茂ならどうする」で、「吉田茂こそ憲法9条解釈を大転換させた先駆者である」と書いている。同じことを自民党の高村副総裁も会見で語っているから、集団的自衛権の行使容認を憲法解釈で行おうとする勢力の中に「吉田茂先駆者論」が共通認識になっているのだろう。しかしそれがどれほど愚かであるかをこれから説明する。
読売の記事を引用する。「1946年の憲法制定会議で、当時首相の吉田は9条について『自衛権の発動としての戦争を放棄した』と明言した。だが、50年に朝鮮戦争が勃発すると『主権国家が自衛権を持つのは当然』と大胆に主張を変え、警察予備隊、保安隊を経て、54年に自衛隊を創設。51年のサンフランシスコ平和条約の締結の際は、日米安保条約も結んだ」。
いかにも吉田茂が自主的判断で解釈を変更したという書きぶりである。しかし戦後の日本は1952年まで主権がなかった。吉田茂は自主的判断で憲法解釈を変更する事など許されなかった。読売の記事はアメリカ占領下の出来事と書かず、その歴史的事実を隠蔽し、むしろ日本の歴史を歪曲する意図を明白にした。
私は日本の学者、評論家、ジャーナリストを概ね信用しない。寄らば大樹の陰で、国家権力やアメリカの言いなりになる(腑抜け)が大勢いる事を知っているからである。特にテレビに出る人間は信用出来ない。テレビ・ディレクターをしていた頃、本当に出て欲しい人には出てもらえず、出たがるのは四流の人間ばかりという情けない実態があった。
しかもこの国は特定秘密保護法や日本版NSCで分かるように、アメリカと違い情報を隠蔽し棺桶の中にまで持って行く国である。戦後史を検証するには、国内で言われている事など糞の役にも立たず、アメリカの公文書などを参考にしないと判断を誤る。その意味で吉田茂が何をしてきたか、アメリカ側の資料から説き起こしたマイケル・シャラー著『「日米関係」とは何だったか』をベースに戦後史を読み解いてみる。
日本は「無条件降伏」をした。「無条件」とはすべて戦勝国の言いなりになる事である。東京裁判は一方的でおかしいと文句を言う人々がいるが、それなら「無条件降伏」をせずに「一億玉砕」すればよかった。戦争に正義などあるはずがない。無条件降伏をした国は言いなりになるしかないのが現実である。勇気を持ってその現実を受け止め、そこから失地回復を目指し、次の戦いで勝利する事を考えるのが敗戦国の政治である。
アメリカ占領軍は日本の軍国主義を徹底的に解体する事を目的にした。そのために平和憲法を作った。46年に吉田はそれを受け入れた。ところが50年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカの政策は大転換する。軍国主義解体をやめ、日本を再武装させてアメリカの手先に利用する方向に転換した。しかし追放した旧軍関係者をそのまま戻すのでは問題になる。そこでマッカーサーは吉田に7万5千人の警察予備隊の創設を命じ、それを吉田は受け入れた。
吉田が憲法解釈を転換したのではない。吉田はアメリカの命令のまま動いただけである。しかし吉田はただの(腑抜け)ではなかった。アメリカが警察予備隊を30万規模に増強するよう命令してきた時、その要求を受け入れなかった。朝鮮戦争によって日本経済は甦ったが、甦った経済に負担を与える規模の軍備増強には応じなかった。
そのための口実に使われたのが、国民の平和志向、経済の脆弱性と共に平和憲法の制約である。吉田はアメリカが作った憲法を盾にアメリカの要求をかわした。目的は軍事で敗北した国が経済で勝利する路線を確立するためである。
一方のアメリカは、日本が中国やソ連に接近するとアメリカは利益を失うという怖れを抱いていた。アメリカにそう思わせるように動く事も重要であった。そしてアメリカは日本の軍備増強より経済拡大の方針を優先させたのである。日本製品を東南アジアに輸出できるよう東南アジアの共産化を防ぐことがアメリカの使命となった。「大東亜共栄圏」を日本のためにアメリカが作ることになった。それがベトナム戦争にアメリカが引きずり込まれた要因だとアメリカは分析している。
朝鮮戦争とベトナム戦争で日本経済は完全に甦った。逆にアメリカ経済は双子の赤字に悩むようになり、80年代には日本が世界最大の債権国に、アメリカが世界最大の債務国になった。敗戦国日本は戦後40年でアメリカに経済で勝利した。冷戦で勝利した国はアメリカではなく日本とドイツだとワシントンで言われるのはそのためである。
外交官であった吉田は46年に「戦争に負けても外交で勝った歴史がある」と友人に述べたという。それを吉田は目指して実現した。そのためアメリカに従属しているように見せてアメリカの弱みを探り、アメリカ一辺倒ではない外交を追求した。安倍総理の祖父である岸信介も同様である。アメリカに防衛義務は負わせるが、アメリカのために戦争はしない。集団的自衛権を米軍に基地を提供する事と経済支援だけに限定した。
アメリカが軍国主義解体から再軍備へと政策を大転換させてからの方針は一貫している。日本の軍事力を強化し、しかしそれを自立ではなくアメリカの手先に使う方向に導く事である。
イギリスの歴史学者クリストファー・ソーンの『太平等戦争とは何だったのか』(草思社)は、日本と戦った英米には「黄色いサル」に対する人種的偏見があった事を指摘している。黄色いサルの戦争は黄色いサル同士でやらせようとする考えが、集団的自衛権の行使を要求するアメリカの背景にあるかもしれない。吉田茂ならそうした要求をかわす外交術を発揮したに違いない。
田中 良紹
ジャーナリスト
「1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材。89年 米国の政治専門テレビ局C−SPANの配給権を取得し(株)シー・ネットを設立。日本に米国議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年からCS放送で「国会TV」を放送。07年退職し現在はブログを執筆しながら政治塾を主宰」
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