http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/566.html
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「思考力が低い哀れな男だが、それでは済まない危険さがある→「必要なら憲法解釈変更」: 落合洋司氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14204.html
2014/5/17 晴耕雨読
白々と夜が明ける中、降りしきる雪を踏んで決起し、君側の奸を討つ、ということに、気分では強い共感を覚える。
あくまで気分レベルだが。
日米安保と憲法では、レベルも影響もまったく異なる、ということが、よくわかっていないのだろう。
思考力が低い哀れな男だが、それでは済まない危険さがある。
→集団的自衛権で首相会見 「必要なら憲法解釈変更」:J-CASTニュース http://t.co/nAay8rUJXK
全能感に浸りきった勢力が国を誤らせる、というのは、いつか来た道だろう。
→賛成派ずらり、7年越し念願=安保法制懇(時事通信) - Y!ニュース http://t.co/YW6yBrauDi
選挙でちょっと勝ったくらいで、全能感に浸って、憲法もねじ曲げてしまえ、という、そもそもの感覚が怖い。
何のために、多くの日本人が我慢しつつ米軍の基地が国内、特に沖縄に多く存在しているのか。
日米安全保障体制と現行の憲法(従来の憲法解釈を含め)が、日本を戦争に引きずり込むのを防止しつつ、日本の安全を保障してきた、それを、今、わざわざ憲法をねじまげてまで変える必要があるのか、だろう。
米軍と過度に一体化することは、アジアの緊張を高め、日本を紛争の前面に引きずりこみかねない。
一体化が高まれば、攻撃される可能性も高まる。
東京にミサイルが降りそそぐ、という危険も、今よりは増大するだろう。
低まることはない。
米軍が攻められれば米軍は即座に反撃するだろうし、自衛隊が一緒に行動していれば自衛隊に対する攻撃でもあるだろう。
正当防衛なり自衛権の行使なりで自衛隊反撃すればよい。
それを、わざわざ米軍「だけ」が攻撃されて、と、不自然な設定から説き起こすところに、集団的自衛権肯定論の胡散臭さがある。
日米関係は、日本が、日米安全保障体制を堅持し、個別的自衛権をしっかりと行使すれば、十分強固なものであり続けるだろう。
アジアにおける軍事的脅威(そう見えてしまうことも含めて)に、日本がなってしまうことの悪影響を懸念すべきだと思う。
今月10日の朝日朝刊で、ジョン・ダワーが、日本国憲法は、必ずしも押しつけたものではなく、GHQ内の理想主義者によるところも大きかった、占領が終わった後、むしろアメリカは日本の再軍備を推し進めようとしたが日本国民がそれに抵抗し平和憲法を堅持してきた、そこを評価すべき、としていた。
自分も、ジョン・ダワーの、その見解はその通りだと思う。
ベトナム戦争に出兵した韓国のようにならなかったのは、現行憲法あってこそだろう。
一旦、タガがはずれてしまい、集団的自衛権行使可能となれば、日本は、アメリカの世界戦略の中で「先兵」として便利に使われかねない。
同盟、同盟というが、美辞麗句の陰で、アメリカは日本の大使館等をしっかり盗聴している、そういう国。
お人好しに、協力します、やりますとすり寄れば、じゃあ、ここを攻めてくれ、攻められたら弾よけになってくれと、利用されかねないし、その際に流れるのは日本国民の血。
日本は自国が攻撃されない限り戦争しない、という確固たる方針を持っておくことは、日本が他の方法で国際貢献することと矛盾しないし、緊張が高まる中で、さらに高めないという効果も生める、むしろ、懸命なやり方だと思う。
そういう前提の元で、現行法令の枠内で出来ることはかなりあるはず。
普通の国、普通の国と、愚民党、じゃなかった(そうかも)自民党は騒ぐが、戦争やって国民が次々死ぬのが普通の国なら、日本は普通の国ではないほうがよいし、そういう国ではない、ということで戦後の平和と繁栄を築いてきた日本は間違ってきたのか、ということになりかねない。
国連安全保障理事会で、どこかの国を空爆する、となった場合に、航空自衛隊は航空機出して空爆するのかね。
現行憲法をどう読んでも、そんなことができるとは読めないと思うんだが。
それは書いてない、のではなくて、解釈としてできないのだよ。
個別的自衛権すら満足に行使できない状態で、何が集団的自衛権か、ということでもある。
東京がミサイル攻撃されたら守り切れるのかね?
他の国へ飛んでいくミサイルの前に、そちらの対応が先だろう。
複数の原発がミサイル攻撃されたらどうする?
日本海のどこかに小規模限定上陸されたら?
対応できるの?
平和な東京でぬくぬくと暮らしてきた首相には、戦争、といっても抽象的にしか捉えられないのかもしれないが、例えば広島の場合、原爆投下で一瞬にして上空に巨大な火の玉ができて焼き尽くされた、戦争というものはそうして、首相とか大臣とかじゃなくて、無名の一般市民が、子供が苦しんで死ぬもの。
自分の父方の祖父は、旧制中学の英語教師で、被爆し、それを探しに曾祖父は自転車で広島市内へ入りあたりががれきや死体だらけで自転車をかついで祖父を探した。
祖父は戦後数年でおそらく原爆の影響のガンで死に、曾祖父も後を追うように死んだ。
母方の祖父も原爆投下後市内に入り、翌年4月に死んだ。
そういう、無数の、無念の死の上に存在しているのが、日本国憲法ということを忘れるべきではない。
確かに、現実から遊離した理想論で片付かないけれども、では、現実に引きずられて、理想から離れていけば、また来た道を歩むことになりかねない。
積極的平和主義というが、日本は、既に強力な軍事力を持ち核兵器もその気になれば数年で持てる、十分、脅威になり得る国だと思う。
その国が無用な積極性を発揮する、その悪影響やリスクを十分考えなければならないと思う。
アメリカと一緒になってばんばん戦う、兵器も売りつけてまわる、そういうことをする国だと思われることで、いかに、今まで築いてきた信用や信頼を失うかも考えるべきだろう。
押しつけと言い始めたら、ポツダム宣言も、その後の農地改革などの一連の改革も、押し並べて押しつけなんだが。
サンフランシスコ平和条約だって押しつけ。
日本国憲法だけ押しつけです、じゃ、全然筋は通らない。
その点、ヤルタ・ポツダム体制打破を提唱する、いわゆる新右翼は、筋は通っている。
押しつけ論者は、憲法と東京裁判を目の敵にしがちだが、自分たちが享受している平和や繁栄は、実は、壮大な押しつけの上に成り立っていることを、理解していないか、見ないふりをしている。
問題は、押しつけかどうかではなくて、できあがった戦後体制が日本国民にとって利益になるものかどうかだろう。
戦後の日本は、壮大な押しつけの上に成り立っている。
それはなぜか。
戦争に負けたから。
ただ、戦争には負けたが、戦後の体制や国民の努力で挽回し戦前を遙かに上回る国家を築き上げてきた。
確かに、戦後の日本は、経済発展に重きを置く中、自分たちのアイデンティティやナショナリズムを軽視しすぎてきた面はある。
しかし、そこを押しつけ論や帝国憲法回帰論で埋めようとするのは後ろ向きすぎる。
後ろ向きではない前向きが見えてこないから、元気で威勢の良い後ろ向きの議論に引きずられる。
政府や愚民党、じゃなかった自民党は、武力行使を何でもかんでも戦争に結びつけるが、警察権の行使として整理、位置付けられるところも、かなりあるだろう。
自衛隊と都道府県警察の中間に、ドイツのGSG9のような警察特殊部隊を創設して、海外での国民救助などはそれに担わせる手もある。
自衛隊は、元は警察予備隊だった。
警察権の名の下に、実質的に軍隊化するのは問題だが、警察権でどこまでまかなえるか、という発想も、憲法をねじ曲げてしまう前に必要だろう。
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