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「限定的な集団的自衛権の行使は許される」。安倍晋三首相は15日、こう主張する私的諮問機関の提言を受け、行使容認をめざす意向を強調した。しかし行使が認められれば、自衛隊の海外派遣に歯止めはなくなる。首相は「国民の命を守るため」と繰り返したが、内閣の裁量で憲法の根幹を骨抜きにすることは憲法で権力を縛る立憲主義に反し、政府の権限を無制限に拡大させ、国民の権利を侵す危険性をはらんでいる。
「私たちの命を守り、平和な暮らしを守るため、私たちは何をなすべきか」
安倍首相は政府の「基本的方向性」を示す会見の冒頭でパネルを使って訴えた。繰り返したのは「国民の命を守る」の言葉。朝鮮半島の有事(戦争)で集団的自衛権を行使することを念頭に日本の避難民を運ぶ米艦船を自衛隊が守る例を挙げ、感情に訴えるように声の調子を上げた。「船に乗っている子どもたち、お母さん、多くの日本人を助けることはできない。本当にいいのか」
報道陣から、集団的自衛権の行使は他国での戦争参加につながると指摘されても「巻き込まれるという受け身の発想ではなく、国民の命を守るために何をなすべきか」と反論した。
首相は解釈変更する根拠を説明する際も、憲法の条文をこう引いた。「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない」「憲法前文、13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じられていない」
戦争放棄をうたう9条があっても、憲法の「国民の命を守る」ことなどを理由に「自衛権」を使えるとする説明は、首相独自の考えではない。日本を攻撃した国に反撃する個別的自衛権を使えるとした、歴代内閣の解釈に沿ったものだ。特に憲法前文や13条を根拠とする考えは田中角栄内閣が1972年に示した見解を引用した。
しかし、72年の見解は続けて「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と明記する。従来の政府解釈を確立させた81年の鈴木善幸内閣の見解でも、集団的自衛権行使は「必要最小限度の範囲」を超えるもので「憲法上許されない」と結論づけている。
安倍首相は歴代内閣が集団的自衛権を否定してきた経緯には触れず、その行使を「必要最小限度の武力行使」として認めた法制懇の報告書を「従来の政府の基本的な立場を踏まえた」との見方を示した。
ただ、従来の政府解釈はあくまで、憲法が保障する国民の命や権利を守る必要最小限度の個別的自衛権の行使を認めたものだ。首相が憲法の条文や従来解釈を都合よく「切り張り」した理屈で、他国での戦争に加わる集団的自衛権の行使を正当化する姿勢が論議を呼ぶのは必至だ。
■「限定的」論理に矛盾
「日本が再び戦争をする国になるといった誤解がある。しかし、そんなことは断じてありえない」。首相は会見で、安保政策見直しがむしろ戦争を回避する抑止力につながると主張した。
法制懇の報告書のうち、国連安全保障理事会の決議などに基づく多国籍軍への直接参加については「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは決してない」などと採用を否定し、抑制的な姿勢を強調した。集団的自衛権の行使をめぐる説明でも、法制懇の報告書に触れて「限定的な行使」と主張。「我が国の安全に重大な影響を及ぼす」ケースに限るとアピールした。
しかし集団的自衛権の行使対象は本来、同盟国の米国や、近隣の韓国に限られない。政府は「自国と密接な関係にある外国」としており、法制懇は自衛隊が「地球の裏側」に派遣されることも否定していない。
首相が説明した「子どもらを乗せた船を助ける」ような事態は世論を意識した一例に過ぎず、いったん行使が容認されれば、米国などの要請に応じて自衛隊の海外派遣に歯止めがかからなくなる危険性がある。
首相自身、その他の想定をしているのかと問われると「あらかじめ将来起こりうる事態を想定することは容易なことではない」「あらゆる事態に対し万全の備えをするのが大切だ」などと繰り返すだけだった。首相は「国民を守る」と強調して集団的自衛権を「限定的」に使うとしたが、実際は「必要最小限度の行使」にとどまらなくなるという矛盾を認めた形だ。(鶴岡正寛)
■政府権限、際限なき拡大も
首相が「基本的方向性」を示したことを受け、自民党と、集団的自衛権の行使容認に慎重な公明党との与党協議が始まる。しかし首相は会見で「憲法解釈の変更が必要と判断されれば、改正すべき法制の基本的方向を閣議決定していく」と踏み込んだ。
歴代内閣は政府による解釈変更はできないとの見解を示してきた。2004年、当時の小泉純一郎首相は国会で「憲法規範に対する国民の信頼が損なわれる」と否定した。従来の政府が抑制的な姿勢を貫いてきたのは、憲法は権力を縛って国民の基本的人権を保障するものと考える立憲主義を尊重する立場からだ。
しかし、安倍首相は2月の衆院予算委員会で「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。私たちは選挙で国民の審判を受ける」と答弁するなど、選挙で信任を得れば、憲法解釈に手をつける権限を持つと主張した。
こうした考えは憲法学者からも「権力者が憲法の根幹を壊す行為」と厳しい批判を浴びた。見逃せないのは、与党が13年参院選に勝って衆参両院で過半数を握ると、政府の権限があたかも、憲法の制約を受けない「枠外」にあるかのように振る舞う姿勢が露骨になってきたことだ。
政権が昨年末、与党の採決強行で成立させた特定秘密保護法は行政の裁量による「特定秘密」の指定を認め、国民や国会はその内容を知ることができない。行政の権限を無制限に拡大させ、国民の権利を侵害する危険性は閣議決定で解釈変更をめざす姿勢と重なる。
天皇主権の旧大日本帝国憲法のもとで、戦前の軍部は天皇が軍事を直接つかさどる「統帥権」を盾にして、自らの権限を憲法の外に置くことで肥大化させ、最後は政府や国会を支配して国を破滅させた。権力が国民の権利保障や法治主義を無視すれば、憲法の理念や民主主義国家の枠組みは崩壊する。今後の国会審議や政党間協議で、与党・公明党や野党が、首相らにどう対応するかが問われる。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11137638.html
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