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2014/05/16 05:59
昨夕の安倍首相の記者会見は異様だった。彼が『有識者』と称する御仲間に諮問した『集団的自衛権』に関するあり方を直ちに採用して、これまで『集団的自衛権』は許されないとしていた歴代内閣の認識を覆し、閣議決定で『憲法解釈』を変更しようというのだ。
これが独裁でなくして何だろうか。日本は憲法により三権分立が定められ、それぞれの三権が牽制しあって憲法に基づく国家を創造していく決まりになっている。それが憲政主義だ。しかし安倍氏はいつの間にか憲法改正を政府の独断で行っても良いと解釈したようだ。
憲法の番人たる最高裁は歴史的に米国と政府の言いなりだった。それが高村副総理が「集団的自衛権容認判決だ」とヒトっ飛びに拡大解釈した「日本に駐留する米軍は戦争放棄を定めた日本国憲法に抵触しない」とする判決だ。それも一審では米軍は戦争放棄を定めた日本国憲法に抵触する、とした判決を最高裁が覆したものだった。
その時点で最高裁は憲法の番人であることを放棄したようだ。その後は今日のある状況がすべてを物語っている。もちろん私は自衛隊は必要だし、日本が攻撃力も含めた軍備をするのは国家として当然の権利だと考えている。しかしあくまでも日本は立憲主義を採っている。それらはすべて憲法を改正して行うべきだった。
この国の政治家たちの姑息さの集大成が安倍氏の『解釈改憲』「集団的自衛権閣議決定の拠り容認されるべき」とする主張に表れている。世界でもベスト5に入る装備を持つ自衛隊が「戦力」ではない、というのは余りに酷い。そうした酷い状態に自衛隊24万人を貶めていたのは政治家たちだ。
憲政主義国家なら憲法改正をまず成すべきだ。そのために国民的議論を喚起して、国民の総意として憲法改正の手続きを踏んで物事を進めるべきだ。安倍氏の主張する「閣議決定で解釈改憲出来る」というのなら、内閣が変わるごとに解釈が揺れることを考慮しなければならなくなる。そんなのは国家ではない。村の集会ほどのものでしかないだろう。国家の在り方として危うさを感じざるを得ない。ただ、安倍氏の解釈改憲の記者会見に対して最高裁が沈黙しているのは「違憲立法審査権」を当の昔に放棄している証拠なのだろうか。
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