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安保法制懇と安倍首相の会見
http://blog.livedoor.jp/analyst_zaiya777/archives/52583608.html
2014年05月15日 在野のアナリスト
安倍首相が、集団的自衛権に関して記者会見を行いました。まず安倍氏は、安保法制懇を右におき、自身を中道として公明への説得を試みる立ち位置をつくりました。その安保法制懇の報告書ですが、ミジメという他ないほど歪んでいます。国際法に規定があるから、PKOの参加など、憲法に規定していなくてよい、など寡聞にして聞いたことのない論拠であり、そもそも憲法9条は軍隊の保有を否定する条文です。PKOなど、軍としての装備があろうと自衛隊は軍ではないので、憲法を改正する必要が本来であれば生じます。また自衛隊法を破棄、新たに軍隊創設に向けた法整備しなければ、国内でさえ通用しません。国際法があれば、憲法に記載がなくても可能、というなら立法府はもう必要性すら疑念を生じさせるもの、となってしまうのでしょう。
次に安倍氏の会見、危機感を煽り、必要性を訴えるという従来の手法ですが、出してきた例がレアすぎて、首を傾げます。朝鮮半島有事の際、日本人救助の米艦艇が攻撃…という例は、そもそも海自が近くにいるのに、米艦艇に救助させている時点で怠慢ですし、民間人が民間機のピストン輸送すら間に合わない段階まで残っている、ということも考え難い。そもそも北朝鮮を想定するなら、空軍が弱いので、空輸がもっとも安全な輸送方法です。どうしても海上輸送をしなければならない、しかも米艦艇に護衛がない状況で、というのがまったく想定できません。
PKOに参加しながら、救助要請を受けても行けない、という例にしても、PKO活動には様々なものがあり、日本は武器をもたない参加をしています。それを、武器をもつ参加とするなら、救助要請云々は関係なく、初めから戦闘ありきの参加でなければなりません。緊急時だけ武器使用、が最も自衛隊を危険にさらす行動であり、判断を難しくします。安倍氏の語る例は、自衛隊を蔑ろにし、また『自衛隊=軍隊』という前提をもった人間からでる発想ともいえるのでしょう。
日本が再び戦争する国になる、という言葉を「断じてあり得ない」としますが、むしろ逆です。つまり後代の内閣が解釈変更で何でも変えられると、安倍政権が今回、その可能性を広げるのであって、将来は流動的です。しかも「あらゆる事態に対処」できるようになれば抑止力が働く、と古い軍事バランス論をもち出すに至っては、軍拡路線に一直線、といったこともうかがえる。次は、中国に対抗するためには軍事費倍増…という言葉が、ここからも読み解けるのです。
「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を、政府は最大限尊重するために、必要最小限度の武力の行使は許容」と述べています。しかし突きつめれば、露系住民がいるとして露国がウクライナに侵攻することも、仮に中国人が尖閣に上陸し、その生命を守るため、として中国軍が尖閣を占拠するのも可能、と読み替えることができてしまいます。いくら言葉を飾っても、歯止めが外れれば「力による現状変更が可能」という形しか残らない。最小限度の捉え方次第であり、そこが日本では憲法9条という、軍隊の保有を禁じた条項により担保されてきた、といえるのです。
しかし今回、憲法9条の解釈変更ばかりでなく、滲むのは自衛隊の軍隊化という流れなのでしょう。そうなると、9条が形骸化することになります。しかし自民は憲法改正が党是だったはず、憲法を形骸化することは、結果的に憲法は解釈変更で何とでもなる、という認識を広め、改正を遠のかせるのであって、戦後一度も改正がない、米国におしつけられた、といったタメにしていた議論を、虚しくさせることになるのでしょう。歴史に名を残したい、という一人の人間のわがままに、様々な人間が振り回されている形ですが、それが名声なのか、悪名なのか、といえば、今のところ悪名に近い形にしかなっていない、ということにもなっているのでしょうね。
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