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2014-05-15 10:06:31
青年将校が決起してクーデターを起こした「5・15事件」は、昨日も触れたとおり82年前、昭和7年(1932)の本日に勃発、犬養首相らが暗殺されました。犬養首相は銃を突きつける青年将校らに、「まあ待て、話せば分かるじゃないか。話せば分かるじゃないか」と、繰り返したが、あっさり発砲され、命を奪われました。
その後、投降した青年将校らは軍法裁判にかけられたが、比較的「軽い罪」で済まされ、これが以後の軍部の暴走を後押しする結果を招いたと伝えられています。比較的「軽い罪」で済んだのは、軍部内の”身内意識”もあったでしょうが、なんといっても世論が青年将校たちに同情し、その行動に納得する気持ちが色濃くあったからでした。現在も、暴走する政治に対し、世論の大勢がいわば納得しているかに見えます。
5・15事件後、急速に軍事色が強まり、言論の自由が制約されて、日中戦争が激しくなり、ついにはアメリカにも宣戦布告して、結局、国家破たんの道を進みました。無条件降伏し、敗戦。日本国は疲弊し、たとえば東京の上野の山は多くの戦争孤児らが腹をすかしてうろついていました。
敗戦から7年、昭和27年(1952)にサンフランシスコ条約が結ばれ、安倍政権は昨年、この日を日本が「主権を回復した日」と決め大々的に祭事を行いました。しかしこの日、沖縄は本土から切り離され、占領軍の施政下に据え置かれたままで、「屈辱の日」となりました。沖縄の占領状態継続は、日本政府が「本土独立」と引き換えに沖縄をアメリカに売り渡したものでした。その陰には、昭和天皇がマッカーサー占領軍司令官に、「沖縄売り渡しの申し出」をしていた歴史がありました。
沖縄が本土復帰を果たしたのは、敗戦から27年も経ったのちの昭和47年(1972)になってからでした。しかも、沖縄の人々が「平和憲法」がある祖国へ復帰するのだと喜んだのもつかの間、依然、アメリカ軍基地はそのまま残る、いわばみせかけの「祖国復帰」でした。「屈辱の日々」がずっと、いまなおつづいているのです。
敗戦後の国民は、荒廃した国土を新しく復興させ、一時は「経済大国」と評されるほどの物質的な豊かさを手にしました。これは軽武装・経済重点主義のもとでの反映でした。
しかし、その繁栄はアメリカの許容範囲で認められたものにすぎず、あまり発展しすぎることに警戒したアメリカはその後、さまざまないいがかりをつけ、日本の国力を削ぐ政策を押し付けてきました。
日本全体を、新自由主義による統治体制へ大幅に転換させるようになりました。外交でも、中国や韓国など周辺諸国とは関係がぎくしゃくするように仕向けられ、日中韓3か国の一体化は妨げられてきました。
いま日本がある姿は、アメリカの大きな手の平の上で、ちょうど扱いやすい安倍という操り人形が躍らされているようなものです。操り人形のパペット・アベは本日、「集団的自衛権行使容認」の安保法制懇報告書を受け取り、再び戦争ができる国へ突き進もうとしています。いつか来た道です。
かつては青年将校たちが血気にはやって猪突猛進しましたが、いまは総理大臣みずからが鼻息も荒く、暴走しています。当面最も緊急の経済対策より戦争準備政策に血道をあげています。「国民の生活が第一」のはずですが、安倍という男には、それより「アンポ」が大事なようです。
国の統治機構、つまり官僚機構は、いったん走り出したら加速こそすれ、ブレーキは利きません。もともとブレーキがついていないのが官僚機構です。だからあとで、「あの時の空気では、とてもブレーキ役は果たせなかった」と、責任逃れして済ませます。ましてや世論が強い監視の目を光らせなければ、官僚はやりたい放題になるものです。官僚機構は大化の改新のころから結果的には、性悪説を地でいってきました。
福島での「鼻血」問題に対するヒステリックな反応も、ことが大きくならないうちに抑え込んでしまおうという権力側の過剰反応です。この場合の権力側とは、安倍政権とその官僚機構、福島県、大阪府、原子力ムラのご用医師たちなどです。
国民が、自分の頭で考えて行動しなければ、また悲惨な歴史を繰り返します。本日「ゴーイチゴー」は、歴史の転換点です。
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