http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/443.html
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「「国民の生命、健康にかかわる情報は『疑わしくは報道』したい」:佐藤 圭氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14180.html
2014/5/15 晴耕雨読
https://twitter.com/tokyo_satokei
東京新聞:美味しんぼ批判 行き過ぎはどちらだ:社説・(TOKYO Web) http://t.co/TFjNOrdT5T
2003年10月、所沢ダイオキシン訴訟に関する弊社の社説は「国民の生命、健康にかかわる情報は『疑わしくは報道』したい」と宣言した。
弊社の姿勢は一貫している。
2003年10月、所沢ダイオキシン訴訟に関する東京新聞社説は、以前ツイートしましたが改めて。
「国民の生命、健康にかかわる情報は『疑わしくは報道』したい。
事実の正確性、報道手法の慎重さは基本だが、慎重を期すあまり事なかれ主義に陥ると報道機関の使命放棄になりかねない。
人の生命、健康に関係する情報を伝える自由は特に重要なものとして確保されなければならない。
だが、テレビ朝日の番組「ニュースステーション」による所沢市産の野菜のダイオキシン汚染報道に関する最高裁判決は、この論点に触れず、名誉棄損の法理の細部に問題をわい小化してしまった観がある。
一般論として、食品の安全や健康に関する報道に関し、厳密な真実性立証を強いると報道機関は過度に慎重になり、必要な情報を十分伝えられなくなる。
結果として、国民の健康、生命が脅かされかねない。
データの確認不十分、必要以上に不安感をあおる表現など、問題の放送には反省すべき部分もあった。
半面、政府にダイオキシン対策に本格着手させた功績は泉徳治裁判官の補足意見にある通りだ。
自戒しつつも、負の部分に目を奪われ委縮しないよう、知る権利にこたえる報道の責任を確認したい。
この報道をめぐっては政治介入が激しかった。
テレビ朝日社長が国会で詰問され、放送に関し権限のない農相(当時)が訂正放送や賠償支払いを迫った。
最高裁判決を機に報道をめぐる論議の再燃が予想される。
正当な批判は真摯(しんし)に受け止めなければならないが、知る権利を無視し国民による公権力の監視、チェック機能を形がい化する不当な動きとは断固、対決しなければならない(了)」
「国民の生命、健康にかかわる情報は『疑わしくは報道』したい」。
原発事故や放射能の取材をする際、肝に銘じているところです。
自社の報道姿勢、個々の記事には常に辛口の私ですが、たまたま見つけたこの社説には大変勇気づけられました。
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http://t.co/TFjNOrdT5T
【社説】
美味しんぼ批判 行き過ぎはどちらだ
2014年5月14日
被災者の切実な声が届くのか。それとも風評被害を増すのだろうか。漫画「美味しんぼ」が物議を醸している。何事にせよ、問題提起は必要だ。だがその表現には、もちろん思いやりも欠かせない。
「美味しんぼ」は一九八三年から週刊漫画誌上で連載されており、昨今のグルメブームの発信源とされている。東日本大震災後は、被災地を取り巻く食の問題などにほぼ的を絞って、問題提起を続けてきた。
前号で、主人公の新聞記者が東京電力福島第一原発を取材直後に鼻血を流す場面が論議を呼んだ。
そして今週号では、福島第一原発のある双葉町の井戸川克隆前町長や関係する学者らが実名で登場し「大阪が受け入れたがれきの焼却場周辺でも眼(め)や呼吸器系の症状がある」「福島にはもう住むべきではない」などと訴えて、騒ぎはさらに広がった。
福島県の佐藤雄平知事は「風評被害を助長するような印象で極めて残念」と強く批判した。
漫画作品だけに、創作部分も多いだろう。表現の隅々にまで、被災者の心と体に寄り添うような細心の注意が必要なのは、言をまたない。その意味で、配慮に欠けた部分もある。
しかし、時間をかけた取材に基づく関係者の疑問や批判、主張まで「通説とは異なるから」と否定して、封じてしまっていいのだろうか。
東電が1号機の格納容器から大量の放射能を含んだ蒸気を大気中に放出するベント作業をした後も、住民にそれを知らせなかった。「そうとは知らず、われわれはその放射線を浴び続けてたんです」と、前町長は作中で訴える。
SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射能の拡散情報が、住民に伝えられなかったのも事実である。
またそれよりずっと以前から、原発は絶対安全だと信じ込まされてきたというさらに強い疑念がある。それらが払拭(ふっしょく)できない限り、被災者の心の底の不安はぬぐえまい。素朴な疑問や不安にも、国として東電として、丁寧に答える姿勢が欠かせない。情報隠しの疑念こそ、風評の温床なのである。
問題提起はそれとして、考える材料の提供である。登場人物が事故と被害をどう見ていくのか。作品を通じ、作者は社会に訴えようと試みる。行き過ぎはないか。もちろん、過剰な反応も。
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