04. 2014年5月15日 00:34:02
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新国立競技場の何が問題なのか──中沢新一氏と伊東豊雄氏が問題提起 GQ JAPAN 5月14日(水)19時10分配信東京の神宮外苑に建設予定の新国立競技場をめぐって、建築家らが批判を続けている。人類学者の中沢新一氏と、建築家の伊東豊雄氏による問題提起。 5月12日、東京・千駄ヶ谷の津田ホールで「新国立競技場のもう1つの可能性 伊東豊雄の国立競技場改修案発表をうけて」と題された緊急シンポジウムが開催された。2020年に開催される東京五輪のメイン会場として利用される新国立競技場は、国際コンペによってザハ・ハディド氏のデザインが最優秀賞として選出された。いっぽう、選出プロセスや建設プロジェクトの進捗プロセスが不透明なこと、建設に莫大な費用がかかること、神宮外苑の環境に与える影響などを考慮し、決定済みのハディド氏の案に反対し続ける建築家や研究者も多い。 7月には現在の国立競技場の解体が始まるとされる状況のなか、今回、人類学者で明治大学野生の科学研究所所長の中沢新一氏、建築家でRIBAゴールドメダル、プリツカー賞受賞者の伊東豊雄氏、建築エコノミストの森山高至氏、建築史家で京都工芸繊維大学教授の松隈洋氏が集まり、現行の計画の問題点を討議した。 本稿では、中沢氏と伊東氏による問題提起をお伝えする。なお、このシンポジウムに先立って開催された記者会見でも両氏は発言しているため、両方の場での発言を再構成して掲載する次第だ。また、伊東氏の改修案や、森山氏と松隈氏の発表は追って掲載する。 中沢氏の問題提起 僕は明治神宮の全体の(成り立ちの)経緯などについて、勉強する機会を得ました。そうしてみると、明治から大正にかけて、日本の伝統と、当時の日本の最先端の建築であることがわかりました。熟慮に熟慮を重ねて成った建築だ、と思います。僕にとって明治神宮の問題は、日本文化全体にとっての大きな問題だと思っています。 新国立競技場の問題が起こってから明治神宮を詳しく研究しました。そうしたら、大変驚くことがたくさんありました。明治神宮は、明治天皇が亡くなった後に陵墓は別な場所(京都市伏見区桃山町古城山)に置くことになったので、東京都民はがっかりしたんですね。 明治天皇を記念する場所を作りたい──その(選考、建設)過程は、国民的な関心がかなり高いものでした。東京に明治天皇をお祀りする施設を作る、その当初から内苑と外苑の二重構造で作るという案が決まっています。内苑は代々木。外苑は青山、練兵場があったところですね。 内苑は鬱蒼たる森にする。当時の常識的な考え方では、伊勢神宮を見てもわかるとおり、神社には杉の木なんですね。また、当時の写真をみると、代々木というのは荒れた土地でした。周辺がすさんだ土地を、森に変える。100年経って、はじめて明治神宮の森ができるような計画を、当時の科学者や技術者が真剣に考えました。造林学の最先端と、日本の神社がどう造られたかをよく研究して作ったんですね。そうして今、椎や楠が生い茂る森に育ったのです。内苑は神様を祀るための森としました。外苑はどうするか。中心は(聖徳記念)絵画館でした。絵画館は明治天皇の事跡を表す場所です。 明治神宮は、大きくこの2つで成り立っています。外苑の構造は内苑の構造に深く影響していますし、そのために当時の日本人は最先端の知識を駆使しました。また、当時の国民はマスコミを通してすごく口を出したんですね。口だけでなく手も出した。全国から10万本が献木され、さらに植えるのも協力した。都市の中に、森と外苑で成り立つ、“新しい日本が目指すべき文明の形”を先取りしたところを創設したのです。 当時の日本人は真面目でしたし、東京の都市空間にこういう場所を作ることに賭けたんです。技術者も最善を尽くすことに賭けた。 明治神宮は、国民の知識と知恵を総動員して作った──そのことの意味をいっさい考慮に入れない。現代の経済的な価値、スポーツやエンターテイメントからもたらされる収益だけを目的として進めている。これを考えたとき、僕は恥ずかしい思いをした。僕がこの問題を知ったとき、建築家に話をぶつけてみたかった。 国際コンペが行われて、イラク生まれで、イギリスで活動しているザハがコンペに出ました。ザハの建築の特徴は、コンテキスト(文脈)の無視にあります。だから、それはそれで結構。しかし、日本人がコンテキストをまったく無視している。 私はその思いを伊東さんにぶつけました。そうしたら、伊東さんがそのコンペに応募していた(笑)。まずいこと言っちゃったなと思ったんですけどね。伊東さんご本人は、ザハ案が通ったときにどういうことになるかを大変危惧していました。そして、この問題を一緒に考えたいと言ってくれた。伊東さんくらいのポジションになると、(問題化することは)危険なことでもある。けれど、自分は泥をかぶってもいいんだ、自分がこの問題を放置してしまうと、次の世代、次の次の世代に申し訳ないものを作り出すことになってしまう、と。100年先を考えて作られた場所を、いとも簡単に壊してしまう。それを現代の我々がやってしまうのは大変恥ずかしいことだ──そう伊東さんに投げかけました。 2人で考えた話を週刊誌(『週刊現代』)で発表しよう、と。伊東さんが、新国立競技場は改修でいくのが一番リーズナブルでいいんじゃないかと言いました。あ、そういう可能性があったのか、と。ザハ案を変えるには、もう1回国際コンペをしないといけないけれど、そんな時間はないでしょう。可能性があるのは、改修に舵を切ることじゃないかと考えるようになりました。未来の人たちに何を残しておくか、という点においても、最も正しい道です。また、2020年のオリンピックでも、自分たちの考え方やスタイルを提示するもっともよい例になるでしょう。それは、“もったいない”というのは日本の考え方だが、今あるものを繕い直して提示していく、最もふさわしい機会ではないかと思いました。 ところが世の中は、「国立競技場解体」というのが共通認識。世の中全体では解体が規定事項なんですね。どんどん事柄が進もうとしている。槇先生(槇文彦氏、建築家)の提案、多くの建築家からの批判があるにも関わらず、ほおかむりしています。 決まったことだとして、7月にはこの国立競技場を解体しようとしているのです。日本人が、日本で、何度も見てきた同じ光景が繰り広げられようとしています。そこで伊東さんに、回収案を具体的に提示することは可能だろうか、と提案してみました。まさか本当に作るだろうかとドキドキしましたが、その方向性で動いてくれた。感動しました。伊東さんのような建築家が、そういう方向に踏み出すことは大変勇気のあることです。立場やポジションを確立されている方であるにも関わらず、自分が今いる場所に安穏としないで、建築は未来に向かって開かれたものでなければいけないという思いを強く持っている建築家の1人として、そういう行動に出てくれたのです。僕は大変感動しました。 選定に関わった著名建築家がだんまりを決め込んで、自分たちがだんまりを決め込んでいれば事態はどんどん進んでいきますから。日本人は忘れてしまいますが、ところがそうはいかないんだと思います。 もう時間がありません。7月の解体が始まってしまいます。このことを国民的な議論の場に持ち上げてほしい。今日のシンポジウムをきっかけにして、この問題を国民的な議論の場に持ち上げてほしい。それだけの価値があるのです。 この問題は、一競技場の問題を越えて、今の日本人が未来の日本人に何を残していくか。それに触れているんだろうと思うのです。 伊東氏の問題提起 私はコンペに参加して、あっさり負けました。お前はコンペに参加して負けたじゃないか、負けた者がどうしてぬけぬけと出てくるんだ──そう思っている方もいるでしょう。ここに出てきた理由は2つ。ひとつは、1年半経っても、いったいどういうものを出すのか、一般の人にまったく知らされていないこと。 オリンピック誘致のためにコンペが行われて、2カ月という短期間で応募しないといけませんでした。審査員は、できるだけかっこよく、目立つ案を選んで、オリンピックを東京に呼び寄せたい、と思って選んだんでしょう。建築のコンペは、スポーツの勝ち負けとは違って、審査員次第ですから。 ザハの案を見たとき、「え?なにこれ?」と思いました。だって、中央線をまたいでいるんですよ(笑)。とんでもないルール違反です。敷地をはみ出したりしていたので、縮小・修正して今の案に落ち着きました。これではザハも嬉しくないでしょう。コンペから1年半も経って、(競技場の)中はこんなに素晴らしいんですよ、ランドスケープも良いんですよ、という話が出てこない。おかしいでしょう。槇先生たちが反対ののろしを上げたからといって、私が出てきたわけではない。この1年半、いま進められているであろう案がはっきり見えないんです。そのことに強い危惧を持っています。 もうひとつは、応募した者だからわかることです。まず、僕の案を見てください。 コンペでは、上から見た鳥瞰図1枚で外観を提示しなさい、という。これを見ると、なんだこれつまんねえな、と(笑)ただし、これくらい(屋根が)開かないと、サッカー場の芝は育てられません。僕らは厳密なシミュレーションをしましたし、日照条件を精査して、このデザインになりました。 次に内側のイメージを見てください。 これが今回のコンペで一番難しいところでした。ここで、コンサートやサッカー、トラック競技をやるというのが条件だったのです。そのためには、コンサートをやるなら屋根を閉じる必要がある。つまり、雨天でも開催できること、外に音が漏れないこと。屋根が閉じた状態では、遮音性能がないといけません。 さらに、サッカーをやる時とトラック競技の時とでは、観客席の配置がかなり異なります。サッカーの時はできるだけ観客席を前に出したい、フィールドに近づけてあげたい。そうすると、椅子を可動式にしないといけません。これが屋根に続くもうひとつの装置。 また、10万人級のコンサートを芝の上でやったら、芝は一発でダメになるので、いったん引っ込めて別の台を用意する必要があります。現代のスタジアムは、装置だらけなんです。1つの機構を動かすだけでもお金がかかりますし、維持するためのメンテナンスコストもかかっていきます。 さて、ザハ案は中央線を踏み越えています。これではまずいということになり、3月に(越えた部分が)消えました。それで、言い方は悪いですが、手足のないカニのようなデザインになりました。 皆さん、このザハの案に遮音性能があると思いますか? 周辺環境も考えなければいけません。新国立競技場でのイベントは、1年でせいぜい40日って言われていますから、残りの300日以上は空いている。そういうときに、周りの人たちにどういう環境を提供するか。雪にも耐えないといけません。そこで、水で冷やした空気が流れるコンコースを、誰でも歩けるようにしました。ジョギングもできます。できるだけ自然エネルギーを利用するために、屋根も可能な限りソーラーパネルを張りました。 我々は、できるだけ電気を使わないようにしようと、普段は公園のように使えるスタジアムを設計しました。こういう絵がどうして、勝ったザハの案に出てこないんでしょう。 高さについてですが、70mまでという制限があります。現行の国立競技場は30mですが、私達の案は50mでした。それですべての機能を果たせる。ザハ案の高さは定かではないのですが。 もう1つの問題は、イベントをやるには芝の養生をしないといけません。芝をいったん引き上げて、下からステージを出す。これだけやらないと、条件を満たせません。芝を育てるには、私の案くらい天窓を開けないといけないのです。こうした条件を満たしている案は、ほかにあるだろうか、と考えました。そんなにないな、と思います。屋根、観客席、芝という3つの可動装置を動かすには、膨大なお金もかかります。 ザハ案がこうした条件をどれだけ満たしているかはわかりません。どうもあの案を見ていると、幕の屋根しか開閉できないでしょう。遮音性は、芝の養生は、と考えてしまいます。 ザハが最初に提案したものは、流動感があり、確かにすごいなと思います。今はカニの手足がないようなものになってしまって、ザハ自身、満足できるでしょうか。決まってしまったことのために、これをやっているんじゃないでしょうか。 (国際コンペの審査委員長の)安藤忠雄さんは、このデザインコンクールを世界に向けて発信して、そのプロセスをはっきりさせながらコミュニケーションをとるように進めたい、まるで国民の祝祭のように、というようなことを言っていました。今の事態は本当に、安藤さんがいったような国民の祝祭なんでしょうか。最後のチャンスに、何とか考え直せないでしょうか。もう1回コンペができればいいのですが、その時間がないのであれば、改修すればいいのでは、というのが僕のスタンスです。 以前、中田英寿さんに聞いたことがあります。今までサッカーをやってきて、どこの会場が一番良かったですかと聞いたら、国立競技場だというんです。なぜかというと、空が広いから。こんな会場はほかにはないんです。 GQ JAPAN編集部 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140514-00010002-gqjapan-life&p=1 |