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配偶者控除の廃止・縮小は家事に価値を認めない暴挙だ!
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ogasawaraseiji/20140513-00035280/
2014年5月13日 13時42分 小笠原 誠治 | 経済コラムニスト
昨日、政府税制調査会が小委員会を開いて、配偶者控除の見直しについて議論をしたと報じられています。
ご存知ですよね。安倍総理が、女性の社会進出を促すために配偶者控除の見直しを議論するように指示しているということを。
どう思いますか?
いずれにしても税制とか配偶者控除の話は専門的過ぎて、正確かつ分かり易く話をするということは至難の技なのです。ということで、本日は、細かな数字には拘らず本質に迫る話をするように心掛けたいと思いますので、その点了解いただきたいと思います。
では、話をスタートしましょう。
先ず、そもそも配偶者控除とは何か? 何故そのような制度があるのか?
例えば、同じ30歳の男性が2人いて、2人とも税込の給料は同じだとしましょう。そして、一方の男性には専業主婦の配偶者がいて、もう一方の男性は独身者であるとした場合、これら2人の所得にかかる税は同じ額とすべきか、或いは差を設けるべきか? 如何でしょうか?
まあ、独身の男性であれば、税込の給料が同じであるのなら負担すべき税も同じであるべきだと考えるかもしれません。
しか〜し‥世の中は、家庭を持つことを推奨するような税制度になっているのです。つまり、家庭を持ち無職の妻がいるのであれば、その男性は、独身者と比べて生活は苦しいのだから税金を負けてやるべきだ、つまり配偶者控除を認めるべきだとなっているのです。
なんと言ったって、独身貴族という言葉もあるように、独身者は税を負担する力が相対的に大きいと見做されているのです。
でも、これは本当に公平な制度なのでしょうか?
というのも、妻帯者の方は、確かに見た目には独身者と比べて生活が苦しいようにも見えるのですが、その代り精神的満足度などを含めた生活の豊かさを比べると、独身者よりも恵まれているようにも見えるからです。
それに、もし、独身の男性が洗濯や掃除などの家事サービスを享受するために家政婦さんを雇い、そしてそのために相当の代償を支払っていたとしたら、果たして本当に独身男性の方が税の負担能力が大きいと言えるのでしょうか?
しか〜し‥
世間の常識は違うのです。独身者は、独身貴族と見做されているのです。つまり、独身者は税を沢山負担して当然であり、配偶者がいる男性には所得税を安くしてやるべきだ、と。
ここまでは、それほど難しいことではないと思います。
では、ケース設定を少し変化させます。
今度も、税込の給料が同じ額の2人の男性がいるとします。しかし、今度は、一方の男性には無職の専業主婦がいて、そしてもう一方の男性にはパートで働く妻がいたとします。
このようなケースの場合に、この2人の男性の所得税はどうあるべきなのか? つまり、両方とも妻帯者だから同じ額の所得税を支払うべきなのか? それとも、一方の男性の妻は働いていて収入があるので、専業主婦を配偶者とする男性よりも所得税を重くすべきなのか?
如何でしょうか?
多分多くの方が、専業主婦の妻を持った男の方が生活が苦しい筈だから、そっちの所得税は軽くしてやるべきだと考えるのではないでしょうか?
そうなのです。それが社会の「常識」なのです。そして、そうした常識の下に配偶者控除の制度が構築され、そして、その配偶者控除の制度があるので、安倍総理はそれが女性の社会進出を阻む一因になっているのではないかと言うのです。
何故配偶者控除があると、女性の社会進出の障害になるのか?
それは、女性が稼ぐ収入が一定限度を超すと、配偶者控除の対象として認められなくなってしまうからなのです。つまり、女性が働いて得る収入がそれほど多くないうちは配偶者控除の対象として認められるので、働いても夫の配偶者控除に影響を及ぼすことはないが、しかし、一定限度を超えると配偶者控除を受けられなくなるので、女性がそれ以上は働こうという気がなくなるからだ、と。
如何でしょうか?
ここで、多くの人が思うのです。配偶者控除があるから女性の社会進出を阻むと言うが、だったら配偶者控除を廃止するのでなく、むしろ拡大したらどうか、と。
そうなのです。200万円にでも300万円にでも、或いは500万円にでも配偶者控除の対象となり得る収入の限度を引き上げれば、女性は夫の配偶者控除について気にせずに働くことができるのです。
だったら、女性の社会進出を促進することに力を入れる安倍総理としては、何故配偶者控除の廃止ではなく、拡充を訴えないのか? そうでしょう?
しか〜し‥そうなると税収が落ち込んでしまいます。だから、配偶者控除を拡大しようなどとはとても言えない。
私としては、女性の社会進出を促すためにという耳触りの良い言葉は大変に眉唾だと思うのです。だって、そうでしょう?
女性の社会進出を配偶者控除の制度が阻んでいるのが本当であったとしても、そこで意識されている収入はおおよそ100万円程度のレベルでしかないからです。つまり、スーパーのパートなどをしている女性たちなどが関係するだけなのです。ですから、仮にそのような女性たちがさらに働く時間を増やしたからと言って、パートで働く時間が増える程度の効果しかないのです。
それで、何が女性の社会進出なのか、と。
それに、そもそも論をするならば、女性が幾ら稼ぐかによって配偶者控除の対象になるかどうかを決めるのは論理的でないという考え方もあり得るのです。
一つの例を提示したいと思います。
例えば、同じく妻帯者の2人の男性がいるとします。税込の給料は同じです。但し、一方の男性の妻は専業主婦であるのに対し、もう一方の男性の妻は家政婦として働いていて、年収が200万円ほどあるとします。
これら2人の男性の所得税は同じにすべきか? それとも配偶者控除の制度によって差を設けるべきか?
世間の「常識」によれば、何の問題もなく職を持った妻の夫の所得税は、そうでない男性よりも多くて当たり前だということになるのです。
では、仮に家政婦として働いている妻とその夫の関係にひびが入り、家庭内別居の状態が発生したとしましょう。そして、妻は自分の家の家事は一切しなくなってしまい、このため夫は別途家政婦を雇うことを余儀なくされた、と。
となれば、自分の妻が仮に200万円を稼いでも、その一方で、夫が家政婦を雇うことを余儀なくされたために同じ額の200万円ほどの出費が余儀なくされたとしまうのです。ですから、このような場合には、幾ら自分の妻には配偶者控除の対象にはなり得ないほどの収入があろうとも、その夫は専業主婦を抱えた男性と同じような税負担能力しかなくなってしまうのです。
だとしたら、何故配偶者の収入の多寡が配偶者控除の要件になるのか、と言うことなのです。配偶者にどれだけの収入があろうとも、妻を養うのが夫としての義務であるとしたら、妻の収入や財産など問題にすべきではないのかもしれません
それに配偶者控除の要件として配偶者の収入だけに着目するのは適当とは言えない恐れもあるのです。というのも、妻が専業主婦であって全然収入がないとしても、多額の財産を保有していれば、敢えて配偶者控除を認める必要もないという考えも成り立ち得るからなのです。
いずれにしても、このようなことを考えていくと、配偶者の収入の多寡で配偶者控除の資格を決める考えが絶対的なものではないことが分かると思うのです。そうなのです、それらは世間の「常識」にしか過ぎないのです。
そして、このように配偶者控除の本質に迫る考察をすると、ある大事な事実に気が付くのです。
そもそも配偶者控除の対象となる一定額の収入とは何を意味するのか?
それは、要するに配偶者が大金を稼いでいて、配偶者と呼ぶ必要がないかどうかのメルクマールになる訳ですが、同時に、その金額は専業主婦が現実に生み出している家事サービスの価値を意味しているとも言えるのです。
というのも、夫の所得から配偶者控除分を差し引くということは、妻の家事サービスに夫が支払った経費であるとみなす考えが成り立ち得るからです。
ということになれば、その配偶者控除を縮小するということは、妻の家事サービスに対して国が認める価値が下がるということになるのです。
でも、そんなことっておかしいのではないのでしょうか?
確かに、社会に出てバリバリ働いている女性の方が社会に貢献しているように見えるかもしれませんが‥しかし、男であるか女であるかに拘わらず誰かが家事を分担しなければ、家庭は成り立たず子どもたちも健やかに成長することもできないからです。経済が発展するのもそのような健全な家庭があってこそのことであることに何故気が付かないのでしょうか。
配偶者控除の縮小・廃止は、家事サービスの価値に気がつかない愚かな政策としかいいようがありません。
以上
小笠原 誠治
経済コラムニスト
小笠原誠治(おがさわら・せいじ)経済コラムニスト。1953年6月生まれ。著書に「マクロ経済学がよーくわかる本」「経済指標の読み解き方がよーくわかる本」(いずれも秀和システム)など。「リカードの経済学講座」を開催中。難しい経済の話を分かりすく解説するのが使命だと思っています。
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