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【今日の赤旗】ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長で元患者の差別解消を訴えた谺雄二さんが肺がんで死去。82歳だった。1955年日本共産党入党、党支部長。「思い出の会」(通夜)が12日午後6時から、告別式は13日午前9時半から、いずれも栗生楽泉園中央会館(群馬県草津町草津)で
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 5月 11
@akahataseiji 以前に東京多摩の「全生園」近くに在る、ハンセン病記念館を見学した事が有り、国の以前有った「ハンセン病患者隔離政策」が如何に酷く人権を、蹂躙していたかよく判りました。元患者差別に尽力された谺雄二様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
― 鈴木三男 (@kwanotarou) 2014, 5月 11
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47年8月、参院補欠選の遊説に後の衆院議員・伊藤憲一ら党員たちが楽泉園を訪れます。重監房の存在や患者作業などの問題を知り患者代表と懇談。患者たちは重監房の撤廃、最低生活保障などを求めて立ちあがります。党は国会でも追及。重監房は廃止されます。
ハンセン病患者の朗報は治療薬プロミンの開発でした。不治の病がプロミンの投与によって治るようになりました。「全患者にプロミンを」と患者はハンストをして訴えます。ところが政府は、それに見合う予算(49年度)を組みません。伊藤、土橋一吉ら国会議員は患者と当時の池田勇人大蔵大臣に要求、予算復活を約束させました。
議員控え室を訴えてまわったときのことを谺雄二さんはこう語っている。
「ハンセン病患者が室内に入ると共産党以外の議員は例外なくぎくっとして私たちをよう正視しなかった。だが伊藤憲一さんら共産党議員は私たち患者に正面から向き合って話を聞き、政府交渉に立ち会い、要求実現に真摯に取り組んでくれた。だから私は伊藤憲一さんの勧めに応じて日本共産党員になった」
谺さんが人権集会の講演に来られた際、私が運転する送迎自動車の中で聞いた話である。
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