http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/361.html
Tweet |
「自然エネルギー推進会議」設立総会で、脱原発を訴える小泉純一郎元首相=7日夜、東京・永田町(大橋純人撮影)(写真:産経新聞)
小泉元首相が民間シンクタンクの「顧問」辞任 「脱原発」へ財界と“決別”
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140511-00000542-san-pol
産経新聞 5月11日(日)21時17分配信
小泉純一郎元首相(72)が、財界が中心となって設立した民間シンクタンク「国際公共政策研究センター」の顧問を4月末に辞任した。細川護煕元首相(76)とタッグを組んで訴える「脱原発」の実現に向け、原発容認の立場をとる経済界との事実上の“決別”を決断した。
国際公共政策研究センターは平成19年3月、トヨタ自動車やキヤノン、東京電力、新日本製鉄が発起人となり、東京・日本橋室町の三井本館5階に設立された。経団連会長だったトヨタの奥田碩(ひろし)元会長が旗振り役となり、国内の主要企業80社が約18億円の設立資金を提供した。
奥田氏が会長に就任し、首相退任後の小泉氏を「顧問」として迎えた。小泉氏の労をねぎらう目的もあった。小泉氏は奥田氏、理事長の経済評論家、田中直毅氏とともに、このシンクタンクの「トップ3」を形成していたが、実は奥田氏が小泉氏のために創った「小泉シンクタンク」の性格を帯びていたのである。
国際公共政策研究センター関係者によると、小泉氏からの顧問辞任を申し出に対し、奥田氏は慰留したが、小泉氏は翻意することはなかったという。小泉氏は20年9月の政界引退後も同センターを拠点に政治活動を続けてきたが、都合7年余をもって去った。
小泉氏は2月の東京都知事選で「脱原発」を掲げる細川氏を全面支援したが、三位の惨敗に終わった。しかし、さる7日には細川氏とともに原発ゼロと再生可能エネルギーの普及を目指す一般社団法人「自然エネルギー推進会議」を設立し、脱原発に向けて再び動き出した。
関係者によれば、小泉氏が国際公共政策研究センターの顧問を辞任した背景には「シンクタンクにこれ以上、迷惑はかけられない」という強い思いもあった。
というのも、同センターの理事には、原子炉プラントのトップメーカーである日立製作所やIHIなど原発関連企業のトップが名を連ねており、自身が「脱原発」を叫ぶことと辻褄(つじつま)が合わないからだ。小泉氏にしてみれば、このシンクタンクはいわば「敵陣」である。ゆえに顧問のイスに座り続けることは二股膏薬(ごうやく)になってしまうのだ。
そもそも国際公共政策研究センター設立の発起人となった東電はもちろん、新日鉄の三村明夫元会長は経産省の総合資源エネルギー調査会会長で、原発推進を主導してきたのである。
「顧問として毎年一千万円を超えるとされる報酬を払ってきたことを踏まえれば、同センターの原発推進派には、昨年夏以降、脱原発に突っ走っている小泉氏が『裏切り者』に映っている」(経団連関係者)という。
小泉氏が「脱原発」に大きく傾いたのは昨年8月、フィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」を視察したのがきっかけとされるが、この視察でさえ同センターの資金で賄われたとされている。
小泉氏はそうした事情を十分自覚してシンクタンクを去ったわけだが、それはまた、原発を推進する財界とは一線を画す決意を示したものだといえるだろう。
小泉氏は7日の自然エネルギー推進会議の設立総会で「過去の人と言われようが、未来の世代のためにも何と言われようと原発のない国造りのため死んでも頑張る」と怪気炎をあげた。
「人生の本舞台は常に将来に在り」。小泉氏はかねて講演で「憲政の神様」と呼ばれる政治家、尾崎行雄の言葉を好んで用いてきたが、その思いはついえないのだろう。
しかし財界との“縁”を切ってまでも、細川氏とともに挑む原発ゼロへの道は果てしなく遠く険しいと言わざるを得ない。ともあれ成算なき戦いかもしれないが、「変人」小泉氏の選択の行方を注視したい。(政治部編集委員)
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK165掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。