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いくら安倍政権が脱原発に消極的だからといって、小泉・細川と組むのはやめた方がいい。小泉流のやり方では脱原発を実現することはできない。それは、なぜ小泉が脱原発を掲げているかを考えれば明らかだ。脱原発を達成するためには、もう一度最初から運動を立て直すしかない。
『月刊日本』編集部ブログより
http://ameblo.jp/gekkannippon/entry-11846964136.html
先の東京都知事選で落選した細川護煕元首相と、細川氏を応援していた小泉純一郎元首相が、脱原発を目指す一般社団法人「自然エネルギー推進会議」を設立しました。この組織の発起人・賛同人には、かつて小泉政権を批判していたと思われる人々も名を連ねています。
これは東京都知事選の際も同様でした。脱原発については細川氏の他に宇都宮健児氏も主張していましたが、小泉氏のカリスマ性に期待して細川氏に投票した人も多かったはずです。
現在の安倍政権が脱原発に消極的であるため、やむを得ず、政治的な判断のもと、この組織を応援している人たちもいるでしょう。しかし、それは極めて危険な行動です。小泉氏がなぜ脱原発を掲げているのか、その表向きの発言に惑わされず、彼の思想の根本をしっかりとつかむ必要があります。
ここでは弊誌4月号に掲載した、東京都知事選に関する論考を紹介したいと思います。(YN)
『月刊日本』4月号より
東京都知事選より1カ月が過ぎた。物事を客観的に分析できるほど十分な時間が経過したので、ここで改めて東京都知事選の結果を総括してみたい。
今回の選挙で争点となったのは脱原発である。実際、脱原発以外に候補者たちがどのような主張をしたか、田母神俊雄氏を例外として大きな話題にはなっていなかった。
脱原発を掲げた宇都宮健児氏と細川護熙氏の得票数を合わせると190万票以上になり、当選した舛添要一氏の得票数210万票に迫る。それだけ都民の関心が高かったということである。脱原発は今後も選挙の争点となるだろう。
脱原発派の大きな敗因は言うまでもなく、小泉純一郎元総理の応援を受けて細川氏が立候補し、分裂選挙になったことである。小泉氏のカリスマ性に期待し、小泉氏の過去の言動を全て棚上げして細川氏に投票した人も多いだろう。
何故小泉氏は脱原発を主張するようになったのか。『小泉純一郎の「原発ゼロ」』(毎日新聞社)によると、それは「私が原発ゼロにしろという一番の理由はね、使用済み燃料の処分場がないっちゅうことですよ」(29頁)ということらしい。
これは恐らく小泉氏の本心だろう。しかし、そうだとしても彼の発言を鵜呑みにすべきではない。人間の思想というものは、上っ面だけで分析できるものではない。我々はもう一歩踏み込む必要がある。
メディアではしばしば、脱原発と経済成長は両立しないといった議論が行われている。脱原発を進めれば海外からの燃料調達費がかさみ、さらに今は円安なので、企業活動と家計を直撃するというわけだ。しかし、この議論は必ずしも正しいとは言えない。なぜなら、原発はその他の発電方式に比べてコストパフォーマンスが悪いからだ。
『国策民営の罠』(日本経済新聞出版社)によれば、それは既に専門家の間では常識になっている。アメリカのMITは原子力、石炭、天然ガスの3つの発電形態について、「販売者費用」、「所有者費用」、「送電設備更新費」、「資本コスト」、「操業費用」という観点から発電費用を計算している。2009年の最新の研究に基づいて1キロワットの発電をするための発電費用を比較すると、原子力:8・4ドル、石炭:6・2ドル、天然ガス:6・5ドルとなり、原子力が最も高い(39頁)。
もっとも、実際はこれほどの差は生じない。この計算では、原発は他の発電形態と比べて建設費が高く、建設開始から操業開始までの期間が長く、反原発運動の激化など政治リスクが高いため、「ハイ・リスク、ハイ・リターン」の原則により資本コストを高く見積もっているからだ(44頁)。
とはいえ、これを差し引いても、原子力:6・6ドル、石炭:6・2ドル、天然ガス:6・5ドルと、原子力は依然として割高である(48頁)。
しかも、ここには原発受け入れ地への交付金は含まれていないので、これを加えれば原子力のコストはさらに高くなる。
このように、原発は原発事故を想定すれば費用対効果が悪いというものではない。そもそも費用対効果が悪いのだ。それ故、小泉氏が脱原発を進めるのも何ら不思議ではない。要するに彼は根っからの新自由主義者だということだ。
それでは何故多くの国が経済合理性の欠いた原発を推進するのだろうか。『政治と思想』(平凡社)によれば、それは核兵器製造のためである。たとえ不経済だとしても、他国が原爆を持っている以上、こちらも持たざるを得ない。経済的に見て非合理なことをやるのが国家なのである(168頁)。もちろんそれにより一部の軍需産業は利益を得ることになる。つまり、原発は「資本=国家」によって推進されてきたということである(167頁)。
それ故、脱原発を実現するためには、資本と国家の両方と対決する必要がある。新自由主義に批判的というだけでは、国家の論理に絡みとられ、原発推進へと流れてしまう。国家主義に批判的というだけでは、資本の論理に絡みとられる。小泉氏は恐らく原発をめぐり経済合理的な環境が整えば、原発を推進するはずだ。
我々は国家主義的でもなければ新自由主義的でもない、新たな道を模索しなければならないのである。
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