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この国の権力がいま突き進んでいる 「日本人を幸福にしない新システム」安倍政権 「4つの不幸」
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2014年 05月 09日 (金) 15時 45分 05秒 晴天とら日和
■〜週刊ポスト5月9・16G.W.合併特大号より
【週刊ポスト〈緊急特別寄稿〉カレル・ヴァン・ウォルフレン
この国の権力がいま突き進んでいる
「日本人を幸福にしない新システム」安倍政権 「4つの不幸」】
http://shlonger.com/2232e7010f42d133587ad90c704aa2a6
この男は国民の幸福より先に「総理としての幸福」を追い求めている
@祖父を越えようとするほどその功績から遠ざかる総理自身の不幸
A愚かな坊ちゃんリーダー、ブッシュJrと相似形の不幸
B改憲論者すら違和感を持つ「軽薄すぎる解釈改憲」という不幸
C「日本人を不幸にするシステム」をさらに強化しようという最大の不幸
「日本には至るところに『偽りの現実』が刻み込まれている」ーー。『日本/権力構造の謎』『人間を幸福にしない日本というシステム』などの著作で知られるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏(アムステルダム大学教授)は、80年代から続ける日本研究の中で、「日本社会」をそう看破した。日本研究の第一人者は、現在の日本をどう見ているのか。主張する外交、憲法改正、アベノミクスに邁進する安倍首相の姿に、ウォルフレン氏は「新たなる日本を不幸にするシステム」の到来を警告する。
《岸信介と正反対》
国民を不幸にする「日本というシステム」はその完成度を一層高めているーーそれが、安倍首相が再登板してからの約1年半で感じた率直な日本の姿である。それをもたらしているのは、安倍首相が抱える「4つの不幸」だ。安倍氏が自らの政策に突き進めば進むほど、不幸が日本と日本人にのしかかり、悪しき「日本というシステム」は強靭になっていく。
4つの不幸を順に見ていこう。
第一は、祖父の政治思想に憧れを抱きながら、その行動が祖父の思想から遠ざかっているという矛盾に気づかない安倍氏自身の不幸だ。安倍氏は常々、「尊敬する政治家は祖父・岸信介」と言い続け、岸が成し遂げられなかった自主憲法の制定を目指している。
そうした「偉大な祖父」を越えたいという政治的野心が悪いとは思わない。むしろ、安倍氏が本当に岸信介を目指しているというなら、それは素晴らしいことだと思う。
私は著書『日本/権力構造の謎』で、日本には説明責任を負う政治の中枢が空白で、ただアメリカの意思に追随するだけであり、政治的意思も哲学もないと論じた。しかし、そうした日本の政治家にあって、私は岸の功績を高く評価し、戦後日本における最も重要な政治家の一人と考えている。
岸は“アメリカべったりの政治家”というイメージが固定されているが、その評価は正しくない。戦前に日本帝国のアジア植民地政策を主導した人物であることは事実だが、戦後の岸は、戦前の過ちを省みて、日本の復興を遂げる上でアジアでの立ち位置を友好的にする必要があると考えた。岸は米国と信頼関係を結びながら“真の独立”を果たすために自主憲法制定を目指すと同時に、中国との経済関係改善を模索し、日中貿易を推進した。結果的にそうした米国からの“独立”や、独自に中国との関係を築こうという動きは、米国の不信感を買い、総理退任という憂き目を味わうことになるのだが……。
また、彼が日韓国交正常化に尽力したことは紛れもない事実だ。岸は優れた国際感覚で戦略的に前を向いてアジアとの外交を考えていたというのが私の評価だ。
では、安倍氏はどうだろうか。今、日本国内では首相の中国や韓国に対する強硬姿勢が、「主張する外交」として持て囃されている。しかし、それは岸が展開した外交の真逆だといえる。安倍氏には戦略はなく、あるのはマッカーサー憲法や戦後史観に基づく教育によって失われた日本を昔に戻すのだという後ろ向きの幻想だけだ。
象徴的な例が、靖国神社参拝の顛末だろう。安倍氏は米国の後ろ楯を頼みに、靖国参拝で中国・韓国に強烈なメッセージを送ったが、“味方”だと思っていた米国から咎められると思考停止に陥った。「私は強いリーダーだから、中国や韓国にピシャリと言える」という主張する外交が、一瞬にして「米国に言われたら主張できなくなる」ことを露呈してしまったわけだ。
先の日米首脳会談でも、安倍氏がやるべきは、オバマ大統領に日本の国益をきちんと主張することだった。しかし、「日米同盟の強化」という言葉とひきかえに、TPPや基地問題で国益を次々と米国に差し出し、中国や韓国に「日本は米国のサーバント(召使い)」と見られるだけの結果に終わった。
安倍外交が祖父の思想とは逆に、中国、韓国、そして米国との関係冷却を招いたことは、外交面でも経済面でも、日本の将来に暗い影を落としている。
《ブッシュの失敗を繰り返す》
安倍氏は日米首脳会談に先立って来日した米共和党議員から、「総理は“日本のロナルド・レーガン”と呼ばれ、共和党では特別な誉め言葉だ」といわれて相好を崩していたという。
だが、安倍氏を米共和党の大統領に喩えるならば、ふさわしいのはレーガンではなく、“坊ちゃん政治家”ぶりをいかんなく発揮したジョージ・W・ブッシュ大統領ではないか。彼も安倍氏と同様に「父(ブッシュ・シニア大統領)を越えたい」という二世政治家らしい野望を隠さなかった。
政治手法も似ている。
ブッシュ氏は9.11以降、「テロとの戦い」を掲げ、アフガンやイラクで軍事力を行使した。彼は、9.11の悲劇を、米国内の貧困や格差の拡大という経済問題から国民の不満をそらす格好の材料に利用したのだ。冷戦崩壊でビジネスを失っていた米国の軍産複合体、石油産業、戦争特需を期待するウォール街は戦争を歓迎し、多くの米国民も当初は「強いアメリカ」を熱烈に支持した。しかし、米国の介入は新たなテロを招き、イラクやアフガンに無秩序をもたらした。米国が担っていた「世界の警察」の威信と信頼を大きく失墜させる結果になった。
スケールこそ違うが、現在の安倍氏の中国や韓国に対する姿勢は、そのブッシュ氏の失敗と重なって見える。
日本では民主党政権時代、不況の中で震災復興は進まず、原発もなし崩しに再稼働されて国民の不安と不満が募っていた。そこに登場した安倍氏はタカ派発言で中国と韓国を挑発し、国民は「強い安倍」を歓迎した。私には安倍氏がブッシュ氏と同じように、国民の不満の矛先を巧妙に中国や韓国への反感に向けさせたように思える。そして高い支持率の中で増税を実施し、軍備を増強し、原発も推進している。
しかし、米国の国民がブッシュの戦争が米国に何の利益ももたらさなかったことに気づいたように、日本の国民もいずれ、安倍政治が国民に安全も利益ももたらさなかったことに気づく日がくるだろう。これが第二の不幸だ。
《改憲で対米依存が強まる矛盾》
安倍氏の憲法改正の姿勢に、第三の不幸がある。
断っておくが、私は日本が憲法を改正することに賛成の立場であり、それは日本研究を始めた頃から一貫してきた主張である。憲法は時代に即して変えていくべきものだ。
たとえば第9条はシンプルに〈すべての統治国家と同様に日本は交戦権を持つ。しかし、悲劇的な戦争の経験から、侵略者を排除する場合以外はその権利を行使しない〉とすればいい。いくら詭弁を弄しても、自衛隊は世界有数の軍隊だ。それを「軍隊ではない」と誤魔化し続ければ、世界から日本人は憲法を守る気がないと思われる。
私の意見には、いわゆる「左翼」から少なからぬ反対があることは承知しているが、現在の違憲状態には責任ある国家として終止符を打つべきだと考える。
だが、それでも安倍氏の憲法改正論には懸念を感じるのだ。彼は「誇りが持てる国にする」といい、自分の国が他の国より優れているというナショナリズムを憲法改正に持ち込み、歴史の時計の針を巻き戻したがっているかのような印象を受けるからだ。それは、時代に合わせて憲法を進化させるという改憲とは全く違う。
巧妙なのは、安倍氏やその周囲が「米国に押しつけられた憲法だから変えるべき」と主張するなら、改憲の目的は日本の主権を侵してきた米国からの独立に置かれなければ論理的に合わない。日本国憲法の「戦争の放棄」の条項は、米国が日本を米軍の管理下に置くための口実だったからだ。
ところが安倍氏が改憲の先鞭として取り組んでいる集団的自衛権の見直しは「米軍の世界展開の補助」に目的があり、日本の独立性を弱め、米国依存を強める方向だ。「官僚支配」の日本のシステムは米国従属によって成り立っている。システムを崩すことができないから、米国に押しつけられた憲法に対する鬱屈したナショナリズムは反米(米国からの独立)ではなく、はけ口として中韓への優越心に向けられる。
改憲論者として知られる中曽根康弘氏をはじめ、安倍氏の改憲に懸念を覚える改憲論者は少なくない。それは安倍氏の改憲論に、そうしたある種の「軽薄さ」を感じ取っているからにほかならない。その結果、憲法改正という日本が取り組むべき課題が、改憲論者からも危険視されるという不幸を招いている。
《誰のためのアベノミクスか》
そして現在の日本人にとって最大の不幸は、安倍政権下で「人間を不幸にするシステム」が、さらに強固になっていることだ。私は『日本/権力構造の謎』を発表した時から、日本の強固な官僚機構こそ日本というシステムの「管理者」であり、政治家やメディア、財界を束ねるシステムの「支配者」だと指摘してきた。霞が関と族議員の旗振りで原発は増え続けたが、彼らは福島第一原発事故が起きると危険な情報を隠蔽し、国民は危険に晒された。官僚機構が自分たちの既得権の維持や、責任回避のために国民を犠牲にした代表的な出来事である。
そして、今まさに安倍首相が推進するアベノミクスという経済政策も、官僚機構の維持を助け、国民に不幸を強いる政策になろうとしている。
私はエコノミストではないので、アベノミクスの経済的な分析はしない。
だが、はっきり言えるのは、この1年数か月の成果を安倍氏が自画自賛し、メディアが礼賛しようとも、アベノミクスが「失われた20年」と呼ばれる日本の停滞を根本的に治癒する政策ではないという点である。金融緩和政策は株価を上げる効果をもたらしても、バラ撒いたお金は大衆の懐にはほとんど届かず、官僚システムに寄生する財界大企業や機関投資家に集まるばかりだ。その結果、システムの管理者である官僚機構の影響力は強まり、国民の不幸はさらに深まる。アベノミクスを褒めそやす人々の顔ぶれが、政治家、財界、メディアであることからしても、システム側が喜ぶ仕組みであることがよくわかる。アベノミクスの「経済哲学」とは、既得権の打破でも一般国民の幸福でもなく、「システムに近い者、賛同する者を優先して守る」という一点にある。
戦後数十年にわたって不幸なシステムに縛られてきた日本人を救うのではなく、むしろその枷(かせ)をさらにきつく締め、官僚システムとの共栄共存を図ろうとするのが現在の安倍政権の姿だ。憲法改正でも経済政策でも、安倍首相は祖父を越えるという政治的達成感、「総理としての個人的幸福」のために、国民の不幸を踏み台にしているとさえいえる。それが安倍氏の抱える「偽りの現実」なのである。
終
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