http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/241.html
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「本当に国と伝統を愛しているなら、自分の地位や面子を守る為に国を滅ぼす戦争を始めたりはしない。」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14120.html
2014/5/8 晴耕雨読
山崎 雅弘氏のツイートより。https://twitter.com/mas__yamazaki
安倍晋三首相は6日午前、パリで開かれた経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会で基調講演し、各国との経済連携協定(EPA)交渉加速に最優先で取り組む意向を表明。
知的財産権侵害など国際規範からの逸脱が目立つ中国を暗にけん制した(時事)http://bit.ly/Qaj7X3
欧州連合(EU)と日本が締結交渉を行っている戦略的パートナーシップ協定(SPA)に、日本で人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合、EPA(経済連携協定)を停止できるとの「人権条項」を設けるようEUが主張していることが分かった(時事)http://bit.ly/1lUYOsV
日本は「人権や民主主義をちゃんと尊重する民主主義国の仲間なのかどうなのか、最近ちょっと怪しい」と、ヨーロッパの民主主義の国々に思われ始めている。
首相周辺による様々な言論活動や、現首相になってから成立した法律、そして過去の歴史と向き合う際の修正主義的な姿勢等を考えれば、当然だろう。
安倍首相の愛国心の過剰露出と霞が関で話題なのが、ユネスコの記憶遺産への特攻隊資料の申請問題だ。
首相から申請手続きに入るよう指示があったとされ「集団的自衛権問題が佳境の折に雑音を増やすだけ」と自民党内からも懸念が上がっている(FACTA)http://bit.ly/1kHNGvo
(特攻隊の記憶遺産への申請が)霞が関で話題なのは、文部科学省の担当者が、お騒がせ発言の日本放送協会(NHK)会長、籾井勝人氏の娘さんの籾井圭子さんであること。
慶大法学部を卒業して文部科学省に入ったバリバリのキャリア官僚(FACTA)http://bit.ly/1kHNGvo
単なる特攻礼賛の小説や映画は、特攻の復活しか使い道がないが、誰よりも人命を大事に思う主人公が理不尽を承知で最後には特攻に身を投じて散る、という諦観の自己犠牲そのものを美談化した小説や映画は、特攻以外にも様々な用途に活用できる。
「反対の思想を持つ主人公も最後には」という構図が要点。
首相周辺が目指しているのは「徴兵制の復活」だ、という意見には、需要があると思えないので「そこまでは無いのでは」と思っていたが、最近しきりにNHKが「福島の事故処理や廃炉事業で将来的に人手不足が予想される」と煽っているのを見ると、その方面での「徴用」はあるかも、という気がしてきた。
もし原発事故現場の処理作業や廃炉関連作業が災害派遣と同様の「広義の国土防衛」という文脈で自衛隊の管轄となった場合、今のような志願制では必要な人数を賄えなくなる可能性が高いと思う。
そして、作業員の被爆状況や健康に関する情報は全て「安全保障上の秘密」というベールで隠す事が可能になる。
「この美しい国を守るために、誰かがやらなくてはならないこと」「愛する家族を守るために、これから生まれてくる世代のために」特定事業に従事するのが国民として当然の務め、という「空気」が創り出され、兵役に似た形での「従事義務」が法制化されれば、個人が抵抗するのは容易ではなくなるだろう。
>Shoko Egawa 特攻隊資料を世界遺産資料にすることにご執心の安倍首相は、水平社の資料には「違和感」を覚えているのか… →「特攻」が世界記憶遺産に?安倍ご執心、担当は籾井令嬢:FACTA online http://t.co/ZfUKVEBtl3 @factaonlineさんから
特攻隊が記憶遺産に認定され、関心を持って事実関係を自分で調べる人が海外で今よりも増加すれば、彼/彼女らがそこで目にするのは、自己犠牲の美談ではなく「当時の日本の戦争指導部がいかに人命を粗末にし、人権など一顧だにしなかったか」という信じがたい非人道性でしょう。
> プラス、当時の日本の戦争指導部の無能ぶりと…
おっしゃる通りですね。
兵站軽視の補給途絶による兵士の餓死や病死、敗北必至となった状況下での自殺的突撃や体当たり攻撃などは、古今東西の戦史が教養と見なされる国では特に「戦争指導部の無能の証し」と理解され、宣伝は逆に日本という国の評価を落とすことになると思います。
前にも書いたけど、昭和11年(1936)から同20年(1945)の10年間の日本は、それまでの100年とその後の70年とは隔絶するほど、人間の命を粗末にすることの価値判断が停止した国だったと思う。
表面を伝統らしきもので粉飾していたが、実体として日本の伝統とはかけ離れたものだった。
戦前の日本は、国民向けの精神教育で日本の伝統文化を利用したため「伝統を重んじた時代だった」かのように錯覚されやすいが、実際には単に国民を従わせるのに有用な「道具」として利用しただけだった。
本当に国と伝統を愛しているなら、自分の地位や面子を守る為に国を滅ぼす戦争を始めたりはしない。
満州事変から日中戦争、太平洋戦争、そして1945年夏の「国家滅亡の淵」へとこの国が暴走したのは、日本人が「邪悪だから」でも「愚かだったから」でもなく「心理的な病気に罹っていたから」だと思う。
しかし同じ事を二度繰り返すなら、後世から「やはり愚かな国民だ」と評されても仕方ないだろう。
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