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解釈改憲による集団的自衛権行使容認は、立憲主義が禁じる憲法破壊の行為
http://chikyuza.net/archives/44302
2014年 5月 6日
<浦田賢治:早稲田大学名誉教授・憲法>
憲法記念日に思うこと
憲法施行67週年記念日の現在、内閣の了解をえず「政府方針」で集団的自衛権の行使容認の首相見解を発表しようとしている。背景にある政権与党では、中国や北朝鮮を念頭に、集団的自衛権について「必要最小限度での行使」で議論をまとめようとしている。この解釈に憲法の改正は必要ないという。これらは立憲主義が禁じる憲法破壊の行為である。安倍政権は、“選挙独裁”の「大権国家」の執行部になって、憲法反逆罪を犯している。アベノミクスでは「物価」と「金融システム」の安定という日銀法の目的に違反している。TPPでは多国籍企業に国の立法主権を売り渡す。首相の靖国参拝で政教分離の原則を踏みにじっている。これらは国内法でも国際法でも「法の支配」の原則にそむくことだ。
いま求められる歴史認識とかかわって、憲法の平和主義の特質をどうとらえるか。欧米帝国主義の時代に世界に船出した明治日本は、開国以来、日清・日露などの7つの戦争を経て近代化した。また「琉球処分」を経てこの「国民国家」は、台湾・朝鮮の植民地帝国となり、中国やアジア太平洋諸国を侵略して、人類史上未曾有の惨禍をもたらした。この自覚と反省が、河野談話(1993年)と村山談話(1995年)に示され、菅談話(2010年)でもあらわされた。
ヒロシマ・ナガサキの原爆体験は核時代の自覚をもたらした。日本国憲法はこうした時代背景の中で誕生して、平和と軍縮の方向を示す普遍的規範となった。@戦争を放棄する、A戦力を持たず、交戦権を否認する、B平和的生存権を保障する。このうちA戦力の不保持と交戦権の否認が、(主権国家は自衛権と軍事力にたよるという)近代の憲法と国際法の傾向に照らして、日本国憲法の平和主義の特質である。
だから朝鮮戦争(1950年−53年休戦)の時期、良心的知識人たちは世界平和と全面講和を求めて苦闘した。だが日本の支配層は、アメリカ主導の西側諸国とだけ講和条約をむすんだ。ソ連も中国もインドも除外された。それから63年後の現在、米国の「アジア回帰」政策が揺れている。中国と韓国は経済成長めざましく、北朝鮮の核開発は進んでいる。安倍政権は「中国や北朝鮮を念頭に」と言っているが、これを認めるのは「地球の裏側まで」集団的自衛権の行使を許す「蟻の一穴」を掘ることである。これに対して憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して、平和と安全を保持するという道をすでに選んだのだ。「北東アジア平和協力構想」もある。この道は核時代の平和と安全保障に通じる。
では法律家は、どうしたらいいのか。未来を見据えた明文改憲阻止運動の戦略立案と実行も大事だ。しかし現在、安倍政権とその与党首脳たちが憲法反逆罪を犯しているではないか。すでに秘密保護法で日本民衆の自由と人権が脅かされている。だから自覚的な民衆は、アベノミクスの増税と軍事基地の強化と安倍の靖国参拝に果敢に反対している。創意工夫した「1点共闘」の大衆的運動が起きている。法律家の憲法活動も憲法闘争も、選挙独裁の諸政策にたいして、大衆の抵抗行動となぜ、どのように連帯するのか。正解を求め考えながら勇気をもって行動すること、これが喫緊の課題ではなかろうか。
(2014年5月3日記)
初出:「ピースフィロソフィー」2014.5.5より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/05/blog-post_5.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4841:140506〕
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