14. 2014年5月07日 13:52:32
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岸田外務大臣は2014年3月28日、ODA大綱を11年ぶりに見直す、と外国人記者クラブの会見で発表しました。さらに有識者懇談会を開き、「積極的平和主義の考え方や民間企業や非政府組織(NGO)との連携などを打ち出す方針」を盛り込んだ報告書を年内にまとめる、と発表しています。大綱の見直しの方向へ進むのは望ましいことですが、大切なのはその中身です。 この岸田外務大臣の発表が行われる約1カ月前の2月26日、私は予算委員会第三部会でODA、特に規模の大きい対中支援について質問をしました。第1の論点は、このODAが「ODA大綱」にあるような「我が国の安全と繁栄、国益」に資するものであり、日中友好に適ってきたのかどうか。この点を政府はどう考えているのかを尋ねました。 すると、木原誠二外務大臣政務官からこんな返答がありました。 「経済インフラ整備支援等を通じて、中国の改革・解放を後押しした」 「アジア太平洋地域の全体としての安定的な発展にも貢献」 「2008年5月の日中首脳会談で、当時の胡錦濤国家主席から、ODAについて心からの謝意の表明」 しかし昨今の日中関係、特に尖閣諸島や國問題などの歴史認識をめぐる懸案を見ても、日中友好とは言い難い現状があります。 また、現在のODA大綱では援助の実施原則として、 「環境と開発の両立」 「軍事への使用を回避」 「国際平和と安定を維持・強化」 「開発途上国における民主化の促進、市場経済導入の努力並びに基本的人権及び自由の保証状況」 の4点に留意して実施するものと定められています。 そこで質疑では、特に4つ目の項目に関して「日本のODAは中国の民主化に役立っているか」と質問したところ、岸田外務大臣から「一概に我が国から中国の民主化について評価するのはなかなか難しいし、立場としてはそれは控えなければならないのではないか」という答えが返ってきました。 私は何も、中国に「民主化はどこまで進んでいるのか」「もっと進めろ」と内政干渉しろと言っているのではありません。日本側の問題として、まず「客観的評価として支援が民主化に役立っているかどうか」を総括すべきではないか、と指摘したに過ぎません。もちろん、ODA大綱の原則に見合う成果が出ていないのであれば、ODAをやめるという判断もあってしかるべきです。 年間1兆5000億円(2012年度)の税金を投じながら、ODAは法律に比べて非常に緩やかで幅のある「大綱」によって運営されている。そのせいで、予算付けにしろその成果にしろ、厳格な基準で運用されていないことが問題なのです。 対中ODAの現状は、長くこの問題を追ってきた産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久さんの言葉を借りれば、最後の巨大利権、ブラックボックスと言っていいでしょう。 対中ODAは1979年に始まり、現在まで35年間も続けられてきました。35年間、総額約3兆円に上る金銭の支援は、世界最大級の期間であり、金額です。 ODA実績には有償・無償の資金協力だけでなく、技術協力も含まれています。2012年時点で実施中のプロジェクトを見ると、 「持続的農業技術開発」(約3.89億円) 「四川省震災後森林植生復旧」(6億円) 「人とトキが共生できる地域環境づくり」(4.5億円) など緊急性の低いものもあります。これが「日本の安全と繁栄」にどのように資するのか。 また、「四川大地震復興支援ー心のケア人材育成」(3.3億円)や「労働保障観察」(金額不明)などもあり、特に四川大地震のプロジェクトに関しては「東北への復興支援が足りていないのに、なぜ中国なのか」という疑問を呈されても仕方がない。 対中感情や中国の経済的躍進によって対中ODAに対する視線は厳しくなってはきましたが、特にODAに対する非難の声を封じられやすいのは「環境支援」です。 PM2・5などでも分かるように、中国の環境の悪化は日本にも影響を及ぼす。そのため、「日本も迷惑を被るのだから多少の支援は仕方がない」と思われがちです。しかし、中国の大気汚染の原因は地球環境の変化ではなく明らかに人為的なもので、中国の工業化の産物です。中国政府の環境汚染対策失敗の結果であり、中国政府が管理すべき問題です。 越境する環境被害に対しては、発生地点の国に管理責任があります。少し古い話ですが、1920年代後半から30年代にかけて、アメリカとカナダの間ではトレイル溶鉱所事件と呼ばれる訴訟が行われました。 カナダの私企業がアメリカとの国境の近くに作った溶鉱所から排出された物質がアメリカの自然環境に影響を与えた問題で、越境汚染に対して初めて国際法的に管理責任が認められ、カナダがアメリカに賠償を支払っています。 ところが日中の場合は、本来ならば日本が賠償請求できる状況であるにもかかわらず、「日本にも関係あることだから、資金や技術を提供して解消に努めよう」と援助だけが行われ、しかもその支援の成果の総括さえなされていないのが現状です。 報道を見る限り、大気汚染は悪化の一途を辿っており、「支援」が生かされているとは言い難い。中国政府の不作為によって日本人に健康被害が及ぶのであれば、日本政府がすべきは「支援」ではなく「賠償請求」です。 現状では環境改善どころか、「日本に汚染物質を送りつければ資金や技術の援助が貰える」というお粗末な話になってしまっています。 日本が15.6%(2012年末)出資し、歴代トップも日本人が占めているアジア開発銀行(ADB)は、「アジア・太平洋の加盟途上国に対し、貧困削減と生活水準の質の向上を支援」することが設立の目的ですが、やはり中国への出資比率が大きい。 支援実績の推移をみると中国向けの割合は2004年の23%から2012年には10%まで減りましたが、これはあくまでも割合です。全体の出資額は2004年の5400万ドルから1億3145万ドルへと2倍以上に増えているので、対中支援の金額そのものはほとんど変わっていないことになります。 実際に行われている事業の中には、「ウイグル自治区のインフラ整備」や「チベット自治区医療機材整備」などが行われています。しかし、ウイグルやチベットへの支援の一方で彼らの文化や宗教が弾圧されるなど、人権問題は全く解決されていません。このギャップも看過できるものではありません。 さらには、これまでODAの一環で行われてきた「留学生支援」にも疑問があります。留学生支援はODAからは外れることなのですが、額も規模も保ったまま文部科学省の所管となり、看板を掛け替えて続けられることになります。 文部科学省のHPによれば平成25年度の外国人留学生受入れ予算は総額で約294億円ですが、一方で日本人学生の海外留学のための予算は約36億円」。外国人留学生への支援は大学生で月12万円、大学院生で14万円。もちろん学費はかかりません。 今後の留学生政策について http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1338568.htm 生活保護では「最低限の生活を営める基準」として7万円程度の支給になっていますから、大学院留学生は倍くらい貰っていることになります。この数字の根拠は一体、何なのか。 日本人の若者は両親と学費について膝つき合わせて相談し、生活費を削って費用を捻出して、何とか大学に通っています。一方、留学生は何の生活の心配もなく、これだけの支援を貰える。それでなくても増税で家計を心配する志向が強まっている中、「外国人の留学生よりも、まずは日本人のために使ってくれ」と思うのが心情ではないでしょうか。 中国人留学生は国費留学生約8600人のうち約1400人で16%を占めています。留学生として日本にやって来た中国の若者たちが、日本文化を学び、日本を理解し、将来の「日中友好」の架け橋になってくれるというなら何の文句もありません。 しかし現状では彼らが帰国後、一体何をしているのか分からない。質疑で「その後、どうなったのか追跡すべきではないか」と指摘したところ、「情報把握に努めている」との返事でした。 しかし、その後の経過を追わなければ、留学時代に作った日本とのパイプを、スパイ活動に生かしていないとも限らないのです。もしそんなことになれば、日本は税金でスパイを育ててしまうことになる。 留学生支援に限らず、対中ODAそのもが、実際には「日本の支援によって日本の脅威を作り出している」現状を制限できない状況にあります。 中国は日本からODAを受けながら、国内のインフラ整備を行ってきました。箱モノだけではなく、空港や鉄道、道路なども着々と整えてきた。北京空港などは、成田空港よりも遥かに近代化されています。 李登輝元台湾総統が、かつて福建省の鉄道や高速道路についてこんなことを言っていました。 「これらのインフラは人民解放軍の移動に大いに役立っている。台湾にとっては脅威だ。中国の予算でやっているならまだしも、日本の予算で中国のインフラを整備するのはやめてもらいたい」 しかし日本はこのような指摘も無視して、「リクエストベース」での対中支援を行ってきました。この方式では、「貧困問題解消のため」「ウイグル、チベットなどの人権問題解消のため」と、支援側が使い道を指定することができません。国内の予算要望とほぼ同じ形で、中国側の「○○にお金を使いたい」との要望(リクエスト)に基づいて予算を組んできたのです。 日本の予算は既得権益化されていて、外務省の官僚たちも「前年より多く予算を取る」ことを至上命題としていますから、一度予算がつけば来年、再来年も予算を取ろうとする。 ODAにも同じことが言え、外務省の担当者は予算獲得に奔走する。中国の立場からすれば、日本の優秀な官僚のおかげで、日本から毎年一定額の資金が送られてくることになります。もはや、日本の国家予算の一部が中国の予算化していると言っていいでしょう。 外務省のODA担当者に、「援助をすることで人民解放軍は近代化し、日本の脅威になっている。日本が『やってあげている』ようなものだ、という指摘もある」と言うと、「ODAの資金が軍事開発の事業開発に直結しているわけではない」という答えが返ってきました。 しかし問題なのは、中国が本来、自分たちでやるべき事業を日本が一部肩代わりすることによって中国は予算的に余裕ができ、その分が軍事費に回って近代化に専念できたのではないか、という点です。 そもそも、中国はもはや他国の支援を受けなければならない「開発途上国」ではありません。GDPでは日本を抜き、OECD内のDACの調査でも「中高所得圏」に入っています。 中国は国策としてロケットを打ち上げ、月面探査船まで送り込んでいます。これらの面では日本より進んでいると言っていい。庶民の生活を見ても大富豪が2億人もいて、日本の銀座や新宿のブランド店に大勢やってきています。 「1人当たりGDPは日本より低い」とか、「格差が大きく、貧しい人は10億人もいる」などと言って支援を今後も続けるべきだとする向きもありますが、これはODAを続ける理由にはなりません。 ケ小平が先富論を唱えてまず沿岸部を発展させ、その恩恵が時間差で内陸に及ぶとの方針を立てたからこそ、現在の格差が生じているのであって、それはあくまでも中国の国内政策の問題です。 ODA見直しに関する報道でも、「(見直しに際しては)国際社会の議論が『貧困撲滅』から『持続可能な開発』『格差是正』などに重点が移っている現状も踏まえる」とあるのは要注意で、これでは対中ODAの終わりは全く見えなくなってしまう。格差を解消しないうちは日本から援助が貰えるとなれば、中国政府は格差解消に本気で乗り出すことはないでしょう。 不思議なことに、外務委員会では野党も「ODAを削って国内福祉に回せ」と言わないどころか、「もっとODAを増やせ」「どうしてこれしか予算を獲得できないのか」という声さえあります。 援助には2つの側面があり、1つは純粋な寄付や支援。もう1つは外交ソースとしての援助です。対中ODAは明らかに後者で、そもそもは戦後補償の代わりとして始まりました。戦後、中国側は蔣介石が「怨みに報いるに徳を以てす」と言い、日本への過剰な追及を辞め、その後の日中関係においても戦後補償ではなくより広い心で友好を築くべく、援助という形を取ることにしました。 しかし、戦後賠償は期間も額も決まっていて「終わり」がありますが、援助には終わりがありません。結果的には、戦後補償以上のものを中国に払うことになったのではないか。 しかもそれが日中友好に役立ち、中国が日本の脅威ではなくなるというのならまだしも、中国は明確に日本の脅威になっています。尖閣周辺にも毎日船を派遣して、日本の安全を脅かしています。 これは、「国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資すること」というODAの理念に反しているのはもちろん、客観的に考えて「領海侵犯を繰り返し、日本の安全を脅かす隣国に一方では多額の支援を行っている」ことは、国際社会から見ても実に理解不能な状況と言っていい。 アジア開発銀行(ADB)については日本の意向が強く働くとは言え、独立機関なので法規制は難しい。しかしODAに関しては法整備し、例えば「民主化の促進」という方針を決めれば、そこから外れるものを共産圏に支援することは法律違反になります。これである程度の規制、少なくとも今より状況は改善できる。 そのための法整備を議員立法でやろうと動き始めたところです。アメリカの対外援助法をはじめとする諸外国の制度も参考にしながら、真に意味のある援助を行うための下地を整える。議員としての責務を果たしていきたいと思います。
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