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現代に生きる侍(奴隷)の精神
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2014年05月05日 兵頭正俊 兵頭に訊こう
スポーツ界が「侍」という言葉をやたらと使い始めた頃、わたしは名状しがたい違和感を覚えた。
「侍ジャパン」などといわれると、少なくとも外国に対しては、それだけで日本異質論の鋳型ができあがる。
ネーミングをつけた連中には、簡単で、手っ取り早くて、それでよかったのだろう。
が、どうしてもわだかまりが残る。そのわだかまりの中身はなんだろうか、と考え続けてきた。
昨今のこの国の政治状況を論じているうちに、その答えがわかってきた。
武士道については、佐賀藩士山本常朝が「武士道というは、死ぬことと見つけたり(武士道とは死ぬことである)」(『葉隠聞書』)と言い切っている。この後、山本常朝はこう続ける。( )内は現代語訳である。
「二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわりて進むなり。図に当たらず、犬死になどいうことは、上方風の打ち上りたる武道なるべし」
(生か死かどちらかを選択しなければならないときは、死ぬ方を選ばなくてはならない。別にそれ以上の意味はない。覚悟をきめて前に進むだけだ。当てが外れて死ぬのは犬死にだ、などというのは都会風の軽薄な武士道である)
二つ二つの場にて、図に当たるようにすることは及ばざることなり。われひと、生くる方が好きなり。多分好きの方に理がつくべし。
(生死をかけるような場面では思いどおりに行くかどうかはわからない。わたしだって生きる方が好きである。人間は生きる方に考えようとする)
もし図にはずれて生きたらば、腰ぬけなり。世の物笑いの種となるなり。この境危うきなり。図にはずれて死にたらば、犬死に・気違いにて、恥にはならず。これが武道の丈夫なり。
(もし、思い通りにゆかずに生きながらえたなら、それは腰ぬけである。その境目はとても難しい。逆に、当てが外れて死ねば、犬死にであり気違いざたであるが、これは恥にはならない。これが武士道の本筋である)
毎朝、毎夕、改めては死に、改めては死に、常住死に身になりて居る事は、武道に自由を得、一生落ち度なく、家職を仕果たすべきなり。
(毎朝毎夕のように死ぬことを決心して、常に死んだ身になっていれば、武士道と自分は一体となり、一生落ち度がなく、職務をまっとうすることができるのだ)
『葉隠聞書』は奴隷精神の極致である、とわたしは考えている。おそらく世界に、これほど人間に対して、非人間的な、死としての生を強制した思想書はないように思われる。
実はこの『葉隠聞書』の精神は、封建時代のみならず、太平洋戦争時の日本全体を支配し、神風特攻隊や人間魚雷となって現実化した。現代に至るも保守イデオロギーの深部に息づいている精神である。『葉隠聞書』は優れて現代的な思想書なのであり、まだ生きている思想なのである。
人は、生死をわける二者択一を迫られる境遇に陥ったら、躊躇なく生を選び取るべきだ、というのが、わたしの考えだ。それが人間の気高さなのであり、勇気なのである。
生死の二者択一を迫られて死を選ぶのは、人生からの逃亡である。死の選択こそが「腰ぬけ」なのであり、「犬死にであり気違いざた」なのだ。
いつも死と同伴し、わたしを棄てて奉公するのは、奴隷の生き様である。その生き様が集団的自衛権を確立し、米国の国家戦略に沿って、傭兵に身を落として世界の紛争地に出兵する。これが保守政治の好きな武士道の正体である。
もちろん「侍」を平気で国際大会に出場する日本のチーム名に、それも誇らしげに冠する国は日本しかない。
主人と奴隷がいて、奴隷がおのれの奴隷精神を誇らかに宣揚する。侍とは何か、が考えられない。侍とは、おのれのためにではなく、主人のために命を賭して戦う奴隷である。主人に対する反逆も反抗も異議申し立ても許されない。それは不忠なのだから。
今回のオバマ訪日にも主人と奴隷の関係は現れていた。日本の国体は米国隷属である。この国では米国に隷属することで、日本の支配層がおのれの安全と利権を、すなわちこの国の秩序を守る構造が形成されている。
米国への隷属を正当化する根拠は、仮想敵国としての中国と北朝鮮の存在である。中国と北朝鮮が危険な国であるから、米国に守ってもらわなければならない。そのために米国に貢ぎ続ける。その見返りが日本の支配層の安全と利権なのである。
ただ、主人としての米国にとってアジアでもっとも重要な国が、日本より中国に変わってきた。オバマは来日して正直にそのことを語った。そうなると日本の既得権益支配層の戦略はすべて狂うことになる。
そこで慌てた日本政府は、オバマ来日を国賓扱いにし、 1泊の予定を2泊にしてもらい、銀座の高級寿司店「すきやばし次郎」を演出した。
オバマが安全保障を尖閣に適用すると語ったことを、曲解し、まるで米国が、尖閣をめぐって、日・中が軍事的に衝突したときに、米国が軍事的に介入して日本を助けるかのように喧伝した。
本メルマガの購読者には、わたしはすでに安保条約の第5条を引用しながら、その間違いを正してきたので、おわかりのことと思う。
尖閣群島が日本の実効支配下(施政下)にある限り、安保条約が適用されるのは当然である。
ただ、安保条約第5条には、米国(当然、日本も)参戦するか否かを議会に諮ると書かれている。その点、NATO条約では、加盟国への攻撃は即時的に参加国全体への攻撃とみなされ、すぐさま反撃に移る。しかし、日米安保条約の場合は、参戦に議会の承認を経なければならない。日米安保条約には、米国によってよく考えられた逆櫓がついているのだ。
そのときに、米国が日本の領有権を認めていない無人島のために、世界一の米国債の購入国であり、原水爆を保有する核大国であり、米国の大統領自ら重要な国だと認める中国と、戦端を開くなどというのはありえないことだ。
しかも安保条約第5条には、国連の安保理への報告がわざわざ明記されている。米国が日・中の軍事衝突を見て、どのように動くかは明確なのである。
米国は、軍事衝突を安保理へかけて、停戦から終結へと導く。米軍は一兵たりとも動かない。
これこそ主人と奴隷の関係である。
TPP参加問題についても主人と奴隷の関係は如実に表れていた。日本政府は御用メディアを使って、オバマ来日中に、ことさらに日米交渉の対立を喧伝した。
そこで日本国民は、国益のために頑張っている安倍自民党を、洗脳されてしまったのである。残念ながら多くの識者もこれにだまされてしまった。
自明のことを述べるが、TPP参加交渉の項目は農産物重要5品目と自動車だけではない。20項目以上に上る。すでに売国は、食の安全、保険、医療、知財とあらかた終わっている。
経団連、日米経済協議会、全米商工会議所、米日経済協議会の4団体が、「TPPに関する共同提言」を、オバマ来日の直前に出している。ここに政治の演出とは違った、剥き出しのTPP参加の狙いが正直に語られている。
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