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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014050502000135.html
2014年5月5日
屋根より高く悠々と、色とりどりのこいのぼりが泳いでいます。木漏れ日を透かして新緑がざわめく五月になるたび思う。あの風になりたいと。
タレントで書家の矢野きよ実さん(52)は二〇一一年の夏から、東日本大震災の被災地に「書きましょ訪問」を続けています=写真。
被災者の心の中に閉じ込められた言葉の固まりを、文字にして吐き出してもらおうと、主に宮城、岩手の小学校を回っています。
三月半ば、矢野さんは福島市郊外の集会場で開かれた原発被災者の交流会に招かれました。福島へは二度目の訪問でした。
◆とんかつ、すし、野球
南相馬市、浪江町、富岡町、双葉町、そして飯舘村から、約五十人の大人と子どもが集まった。
テーブルの上に、はがきの束、筆、墨、すずりのセットを四組用意して、いつものように「書きたい言葉を自由に書いて」と呼び掛けた。
大人たちは書きました。
「毎日が涙でした」「返せ」「いまだふるさとに戻れず」と。
それを見ながら、子どもたちはこう書きました。
「いつまでも勇気を持っていられるように」「家族がけんこうでいられるように」…。何となく落ち着かなさそうな顔をして。
矢野さんは「大人が泣くと、子どもは笑う。笑おうとする。福島ではまだ特に」と感じています。
被災地の子どもたちが書く文字に一つの流れがあることに、ある時矢野さんは気が付いた。
戸惑いながら筆を握り締め、子どもたちはまず、「時間」「家」「父」などと、震災でなくしたものの名前をしたためます。
次に「怖い」「さびしい」「一人にしないで」と、不安を打ち明け始めます。
不安やおびえをひと通り出し終えてしまったあとは「笑う」「負けない」「死んでたまるか」と、希望や決意が表れます。
そして最後に「とんかつ」「すし」「水泳」「野球」と、食べたいものやほしいもの、やりたいことを文字にしていきます。力強く、夢中になって、笑顔に墨を飛び散らせ。子どもたちは、風に踊る五月の枝葉のようにしなやかに、毛筆を走らせ続けます。
子どもたちの心の奥から、それらを順番に解き放ってあげたくて、何度も足を運ぶのです。
経済学者の宇沢弘文さん(85)から聞いた、教育制度に関するお話をまた思い出しました。
◆福沢諭吉の訳語論争
明治の初め、初代文部大臣になる森有礼と教育者福沢諭吉の間でちょっとした論争がありました。
compulsory educationという英語は、直訳すれば強制教育です。compulsoryには、徴兵や土地収用の意味もある。
これをどう訳そうか。
森は、国家に有用な人材となるべき学びという意味で「義務教育」という言葉を当てました。
対する福沢は、educationは「開発」とすべしと主張したそうです。
開発といえば、自然破壊の負のイメージにとらわれるかもしれません。ところが、開発=developmentという英語のもともとの意味は、写真の現像という訳語もあるように、それが内包するものを、そのまま引き出してあげること。一人ひとりが生まれ持つよいものを、見つけ、引き出し、伸ばしてあげるのが、educationの最もめざすべきところだと福沢は考えました。
強制とは正反対の解釈です。
もちろん、成長し、社会生活を営むためにどうしても覚えなければならない知識や技能、身に付けなければならない約束事もたくさんある。でも開発教育という言葉には、なぜか心引かれます。
バラの種からはバラの花、スズランの球根からはスズランの花が咲くものです。それぞれに美しく、より健やかに咲くように、土を耕し、環境を整えてあげるのが、開発というものでしょう。
◆かざぐるまを回す風
道徳を教え込めとか、英語を覚えさせろとか、そのために遠足をなくして土曜の授業を再開しろだとか、自信のない大人たちの迷走が子どもたちを惑わせているように思えてなりません。肝心な事を忘れていませんか。
子どもたちはこいのぼり、子どもたちはかざぐるま。大人は風になれればいい。
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